「そんなはずないわ!」美穂は思わず声を上げた。「東京の森川財閥の御曹司が、どうして神奈川の大学なんかに来るの?海外に行かないにしても、せめて東大でしょ!」
「本当なんだって!」慶太は声をひそめる。「どうやら彼の想い人が神奈川にいるらしくて、わざわざ来たらしいよ。でも森川家がしっかり守ってるから、名前も顔も全然分からないんだ。もし分かったら、家を売ってでも探し出すのに!」
美穂の心臓はドキドキと鳴り止まない。なんてこと…あんなに身分の高い人が、たった一人のために華やかな東京を離れて、神奈川に来るなんて…なんてロマンチックなの!
もし…もしその森川の御曹司が、自分のことを好きだったら——
そんな考えが浮かび上がったとたん、美穂の胸は高鳴り、抑えきれなくなった。会ったこともない女性に、どうしようもなく嫉妬してしまう!
「森川の御曹司は絶対に神奈川にいる!このチャンス、絶対に逃すな!」
「うん!お父さん、任せて!」美穂の瞳に野心が灯る。彼女は自分の才能で森川の御曹司を振り向かせてみせる!
取締役室を出て、美穂は豪華な監督室に戻った。高価な家具に囲まれ、彼女の目に一瞬強い嫉妬の色がよぎるが、すぐに満足感に変わった。啓宏は千雪のために、こんなにお金をかけてきた……なぜ生まれつき全てを持っている人がいるのだろう?
でも、今は全部自分のものだ!
美穂はスマートフォンを取り出し、高島健一に電話をかけた。「健一、私、昇進したの!」
健一は優しく返す。「美穂、本当にすごいね。お祝いに何が欲しい?」
美穂はにやりと微笑む。「そうね……」
黒いマイバッハが「スピードフィールドクラブ」の前に止まり、健一と美穂が車を降りる。
美穂は健一の腕に甘えるように絡みつく。「健一、本当にあの限定マセラティをくれるの?」
「うん。このクラブのオーナーは世界中の限定高級車のパイプがあるんだ。三ヶ月前に注文しておいたんだけど、本当は千雪の誕生日プレゼントにするつもりだったんだ。」
美穂は少し唇を噛む。「でも、それ千雪にあげるための……」
「とりあえず君にプレゼントするよ。半年後……どうせ使わなくなるし、その頃に返せばいいさ。」健一は当然のように言う。
美穂は甘く微笑んだ。「健一、本当に優しいね。」
彼女が恥じらいながら寄り添うと、健一は思わずキスをした。
「おや、あれは高島健一じゃないか?昨日水原家のお嬢さんを振ったばかりなのに、今日はもう新しい女を連れて堂々としてるのか?」休憩スペースで景が眉を上げる。
隣で冷たい空気を感じて振り向くと、航が氷のような眼差しでじっと見つめていた。「どうした、航?」
スマートフォンにメッセージが届き、景はハッとする。「健一が限定マセラティを受け取りに来たらしい。たぶん新しい彼女にあげるんだろうな。千雪が知ったら、どれだけ嫌な気持ちになるか……」
航の目が一瞬、暗くなった。
景はため息をつく。「千雪は本当に可哀想だよ。啓宏がいなくなってから、すっかり不遇のお姫様だ……」
「彼女がやすやすと人に利用されるとでも?」航は草むらに目を向ける。「彼女は啓宏が自ら育て上げた後継者だよ。」
景は首をかしげる。「でも、桜庭グループはあのダメ親父のものだろ?」
航がじっと草むらを見ているのに気付いて、景は尋ねた。「何を見てるんだ?」
「猫だ。」
「猫?」景も見てみると、確かに汚れた野良猫がいた。「俺の友達がサバンナキャット飼ってるけど、欲しい?」
「いらない。」航の目に一瞬影が差す。「俺は、野生味があって噛みつくような小さな野良猫が好きなんだ。」
「……」
「あの野良猫?捕まえてこようか?」
「ダメだ。」航の声は低い。「傷ついた小さな野良猫は、近づけば近づくほど警戒する。」
「裏切られたことのある野良猫を家に迎えたいなら、強引に行くんじゃなくて、じっと待つしかない……」指で机をトントンと叩く。「優秀なハンターは、時に獲物の顔をして現れるものさ。」
景は首をひねる。猫一匹捕まえるのに、こんな駆け引きが必要なのか?
「じゃあ、いつまで待つんだ?」
「彼女が自分から近づいてくるまで。」
「もし逃げたら?」
「逃げられないよ。」航はお菓子をつまんで草むらに投げた。
野良猫は驚いて身を引いたが、しばらくして勢いよく飛び出し、お菓子をくわえて逃げていく。
航の口元がわずかにほころぶ。「ほら、餌を投げれば、ちゃんと食いついてくるさ。」
景:「……」袋に入れて連れてきた方が早いだろ!
景は立ち上がる。「じゃあ、健一に車を渡してくる。」
航の目が鋭くなる。「お前が手に入る世界最高級の限定車——全部押さえろ。」