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第7話 獲物と飼い主

「付き合って。」

水原千雪は、実に率直に言った。


森川航は静かに目を細め、彼女を見つめる視線にほんのわずかに深みを加えたが、表面上はうまく疑問を装い、無垢で素直そうな表情を見せていた。


その眼差しに、水原千雪はなぜか後ろめたい気持ちになった。まるで本当に、何も知らない純粋なウサギを誘惑しているかのような罪悪感が胸をよぎる。


「僕を囲いたいってこと?」航が探るように尋ねた。


「そうよ。」千雪はあっさり認め、指先で彼の引き締まった胸元を軽くなぞった。「千雪は美人でお金持ちよ。私についてくれば、損はしないわ。」


損どころか、大きく得するはずだ。


航は、まだ自分から仕掛けていないのに、この小生意気な猫が自ら首輪を持って飛び込んでくるとは思いもしなかった。口元がわずかにほころびかけたが、すぐに元に戻し、「僕に何をくれるの?」と問い返した。


「好きな場所を選んでいいわ。マンション一棟。それに毎月の生活費。いくら欲しい?」千雪が提示した条件は、極めてオーソドックスだった。囲うというのは、そういうものだ。大学生の彼には車はまだ不要だろうが、不動産なら確実な資産だし、損はない。


航は眉を上げ、意味ありげに千雪を見つめる。「水原さんは太っ腹ですね。」


「あなたにはそれだけの価値があるから。」彼女は即答した。


「水原さんは僕の“サービス”にご満足のようですね。」


「まあ、そこそこね。」千雪はわざと軽く言ったが、実際は大満足だった。どうりで星野澪が若い男に夢中になるわけだ。若い体と驚くほどの体力には、病みつきになる理由がある。


言い終わるや否や、航は長い腕で彼女の細い腰を強く抱き寄せた。千雪は不意を突かれて彼の胸に倒れ込み、しなやかな腰はたくましい腕にしっかりと固定された。彼は顔を近づけ、罰するように小さな耳たぶをそっと噛み、温かな息が敏感な耳にかかると、全身にしびれるような感覚が走った。


「その答えじゃ満足していないみたいですね。」低く危うい声でささやく。「なら、これからはもっと頑張らないと。」


突然の強引さと艶めかしい雰囲気に、千雪の瞳は一瞬暗くなり、心の奥に強い反発が湧き上がった。自分が支配するのは好きだが、支配されるのは大嫌いだ。


航はその微妙な表情の変化をすぐに察し、すぐさま手を離した。そして、先ほどの強気な顔から一転、素直で従順な態度を装い、少し戸惑いながら申し訳なさそうに言う。「ごめん、千雪。ちょっと力が入りすぎたかな?」静かに座り直し、無垢な瞳で見つめてくる様子は、まるで失敗に気づかない小動物のようだ。


千雪はしばらく航を見つめた。その魅惑的な瞳は、今はまるで澄んだ湖のように清らかで、優しさと従順さがにじんでいる。さっきの強引さはどこにも見当たらない。


もしかして、気にしすぎだったのか。千雪は立ち上がり、「で、どうするの?」と問いかけた。


「マンション……」航は少し考え、千雪を見上げて控えめに言った。「桜庭の物件がいいんだけど、いい?」


千雪「……」


なんて奴だ!


まさか本当に言い出すとは!


桜庭は神奈川でも最高級の住宅地の一つで、億単位が当たり前だ。


「見る目があるわね。」千雪はからかうように眉を上げる。「桜庭は東京森川財閥の持ち物よ。」


「桜庭が森川家のものだって知ってたの?」航が追及するように聞き、目がかすかに光った。


千雪は思わずため息をついた。自分は桜庭グループの元後継者なのだ。これくらい知っていて当然だ。「森川家のものだってだけじゃなくて、その分譲地は森川家のあの謎めいた若様が自分で決めて作ったってことも知ってるわよ。」


航はわずかに息を呑み、指先が軽く震えた。「彼のこと、覚えてるの?」


「誰のこと?」


「森川家の後継者。」


千雪「……」


まるで自分がその東京の名門の若様を知っているかのような言い方だ。名前も顔も知らないのに。


「知るわけないでしょ。」千雪は苦笑いする。「あの人は東京の名門、森川家が極秘で育ててる跡取り。私は神奈川の人間だし、縁なんてないわよ。」


森川家の若様は徹底的に守られていて、千雪どころか、東京の上流階級の人間でも顔を見たことがある者はほとんどいない。名前も年齢も謎に包まれている。噂だけが先行して、実態は誰も知らない。


航の目に一瞬、落胆の色が浮かんだ。やっぱり、この薄情な小猫め。


「それにしても……」千雪は彼の整った顔立ちをじっと見つめ、薄く微笑む。「あなたも森川って名字だけど、まさか森川家の人間じゃないでしょうね?」


航が何か言いかけたその時、千雪は冗談めかして手を振った。「冗談よ。森川家は東京の本当の名家だし、こんな神奈川にわざわざ来るはずないし、生活費のためにバーでバイトするなんてありえないわ。」


さて、本題に戻ろう。


千雪の視線がもう一度航の端正な顔と、モデルのような体型を舐めるように追った。高くつくけど……それだけの価値はありそうだ。


「桜庭はワンフロアタイプしかないけど、それでいいの?」念のため確認する。実は、非売品の超高級ヴィラが一棟だけあるが、それは森川家の若様用だと聞いている。


「ワンフロアでもいいよ。」航は素直に答えた。


千雪は心の中でツッコミを入れた。そりゃいいに決まってる。桜庭のワンフロアマンションは、神奈川でも最高級のシンボルだ。


「生活費は?いくら欲しいの?」


「月に三十万で、いい?」


千雪は意外そうな表情を見せた。家は桜庭を希望したのに、生活費は三十万だけ?このギャップはなんなのだろう。もっとふっかけてくると思ったのに。星野澪に相場を聞いてみようかしら。


「いいわ。」彼女は頷き、付け加えた。「いい子にしてたら、ボーナスもあるかも。」


航は意味深な笑みを浮かべ、じっと彼女を見つめる。「じゃあ……しっかり“いい子”にならないとね。」


「それで決まり。」千雪はスマートフォンを手に取り、「連絡先を教えて。近いうちに桜庭の物件を見に行きましょう。」

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