「千雪、ごめんってば! ほんとに昨日はわざとじゃないの!」星野澪が甘えるような声で懇願する。「だってさ、すごい大学生に出会っちゃってさ、ついホテルに連れ込んじゃったんだよね。それで……」
「それで男に夢中になって、私のことなんてすっかり忘れたってわけね。」水原千雪は眉をひそめつつも、呆れたように言った。
星野澪は色っぽく微笑み、ネイルの輝く指先で唇をとんとんと叩いた。「さすが千雪、よく分かってる~」と、いかにも妖艶な仕草を見せる。女の私ですらドキドキするほどだ。
「しょうがないじゃん、だってあの子、体つきもスタミナも最高だったし、あんな体験……千雪には分からないでしょ。」
千雪は心の中で、分かるわけないでしょ、とツッコミながらも、昨夜の森川航との出来事を思い出して腰に鈍い痛みを覚えていた。
「もう……」千雪は澪の額を軽くつつき、「昨日はあなたのせいで大変だったんだから。」
その話題になると、澪の表情が一変した。「ひどすぎるよ! 山本浩なんて奴、あんたに手を出そうとするなんて、何様のつもりなの!?」前は千雪の前だと借りてきた猫みたいだったくせに、今じゃ調子に乗ってる。
「因果応報よ、あんな奴は当然の末路だわ。」澪は鼻で笑う。
「どういうこと?」千雪が問い返す。
「山本浩、両足ともう一本やられて、神奈川から追い出されたんだって。誰にやられたのかは知らないけど。」
「知らないの?」千雪が意外そうに見返す。
澪は首を振る。「昨日、電話であんたが山本浩に薬盛られたって聞いて、私、ぶち切れたんだよ! すぐにでもあいつの足をへし折ってやろうかと思ったけど、誰かが私より早かったみたい。」
千雪は眉をひそめ、不審な偶然に考え込む。
「誰がやったか、分かる?」
「さあね。普段から悪事ばっかりしてるから、天罰でも下ったんじゃない?」
「水原家の令嬢である私に手を出すなんて、後ろ盾があるからよ。」
「どういうこと?」澪は真剣な表情になる。
「さっきも言ったけど、私は水原家の令嬢。山本浩がこんなことするなんて、本人だけの判断じゃ無理よ。誰かが私が家の中で力を失ってるって伝えて、後押ししたんでしょ。」
「誰だと思うの?」澪が追及する。
千雪はコーヒーを一口飲み、澪に目線だけで答えを促す。
「千雪の父親?」
「私が問題を起こすと、水原家の評判が傷つく。藤原慶太は自分の体面を何より大事にしてるから、違うわ。」千雪はきっぱり否定した。
「じゃあ……藤原美穂!?」
千雪は意味深に口元を吊り上げ、何も言わずに肯定した。
「最低!」澪は机を叩いて憤った。「家に住みついて、父親も男も奪って、今度はこんな卑劣な手まで……許せない! 今すぐあいつをぶっ飛ばしてやる!」
千雪は澪を制し、静かに笑う。「まあ、焦らないで。向こうから勝手に罠に落ちてくれるわ。」
・・・
翌日、千雪が桜庭グループのデザイン部に入ると、同僚たちが田中明遠監督の新作映画の話で盛り上がっていた。
田中明遠? それ、澪がこれから撮影に入る映画じゃない? 千雪は眉を寄せて考える。
田中明遠は日本映画界の巨匠で、唯一アカデミー賞の最優秀監督賞を獲得した伝説の人物。彼の映画はどれも大ヒットし、スター俳優や女優を次々と生み出してきた。
澪も彼に見出されて国際的な女優となり、二人が組んだ映画は興行収入が合計1000億円を超えている。そして今回が3度目のタッグ。新作『傾国の紅』は撮影前から話題沸騰、澪が神奈川に来たのもこの映画のためだった。
「澪って最高すぎ! 美人でカッコよくて、私の女神!」
「しかも今回の『傾国の紅』の衣装デザイナー、まだ決まってないんだって。神奈川で探してるとか!」
「嘘でしょ!? 澪の影響力って芸能界でも別格だよ。前売り券だけで100億突破って……衣装デザイン任されたら、絶対出世コースだよ!」
「澪の専属スタイリストになれたら、一気に有名デザイナーの仲間入りだよね!」
「うちの会社も応募してるって聞いたけど、藤原ディレクターが担当してるみたい……」
千雪は首を傾げる。衣装デザイナーは澪からずっと頼まれて、自分がやることになっていたはず。なのに、まだ募集してるなんて……?
・・・
社長室では、藤原慶太が野心を隠しきれずにいた。
「美穂、『傾国の紅』の衣装デザイナーを神奈川で探してるって知ってるだろ?」と興奮気味に言う。
「さっき聞いたところよ。」美穂がうなずく。
「澪はトップ女優で、しかも東京の星野家のお嬢様だ。必ずこのチャンスをものにしろ!」
「彼女とつながれば、東京のビジネス界にも進出できる。これは本当に千載一遇の好機だ!」
森川家の御曹司とは縁が遠いが、目の前の澪は手が届く最高の踏み台。慶太はそう確信していた。
美穂は自信満々に答える。「もう澪のアシスタントと連絡は取ってあるわ。澪本人に会わせてくれるって。ただ……手数料が五百万円必要だって。」
「五百万円!?」慶太は目をむく。「アシスタントのくせに、よくそんなこと言えるな!」
もちろん、澪の専属デザイナーになれれば五百万円以上の価値はあるが、もしダメだったら……と考えると躊躇う。
父親の迷いを察し、美穂は畳み掛ける。「リスクを取らずに投資なんてできないわ。お金さえ払えば、澪に推薦してくれるって。レッドカーペットの女王の専属スタイリストになれば、うちのブランドも世界に広まるわ!」
世界進出の夢に慶太は心を動かされ、ついに決断した。「よし、五百万円払おう!」
美穂は満足げに微笑む。もしこの大口契約が取れれば、会社での立場は安泰、誰も文句は言えないはず。
五百万円はその日のうちに、星野澪のアシスタント・星野小百合の指定口座に振り込まれ、美穂は自作のデザイン画も添えてアピールした。
・・・
「星野さん、入金確認できました。これが向こうから送られてきた“デザイン画”です。」星野小百合が書類を澪に渡す。
澪はソファでくつろぎながら、長い指でその図面をつまんで一瞥し、鼻で笑った。「この程度? 千雪の足元にも及ばないわね。」
星野小百合も軽蔑の目。「私が目をつぶって描いても、まだマシですよ。」
澪は不敵に微笑み、「じゃあ、三日後の発表会に招待して、契約書も用意しておいて。」
「了解です。」
・・・
この知らせが桜庭グループのデザイン部に伝わると、たちまち大騒ぎとなった。
「すごい! 藤原ディレクター、やったね!」
「神奈川じゅうのデザイン会社が狙ってたのに、うちが取れるなんて!」