水原千雪は、森川航から届いたマッサージの誘いに返事が来たのを見て、指先をスマートフォンの画面の上で止めた。
もしかして、彼の本当の目的ってこれ……?
「今、友だちと遊んでるんじゃないの?」と音声メッセージを送った。
その頃、桜庭の高級別荘のベッドの上でくつろいでいた森川航は、思わず息を呑む。
しまった!
最初から「真実か挑戦か」なんて理由を使うんじゃなかった——。
彼はすぐに、ほどよい誠実さを込めて返事を送る。
「遊んでるけど、千雪のほうが大事だよ。千雪が呼んでくれたら、すぐにでも行く!」
千雪は思わず笑ってしまう。今どきの若い子って、こんなにも人の気持ちをくすぐるのが上手いのか。
これなら“年下男子”を囲うのも悪くない、そう感じずにはいられなかった。
「いいわ、皆で楽しく遊んでて。」
森川航は、がっかりした様子を隠せない。できれば今夜、一緒に過ごしたかったのに。
すると、千雪からまた音声メッセージが届く。
「明日、桜庭で新しい部屋が出るって聞いたから、朝9時に見学の予約を入れたの。迎えに行こうか?」
森川航は、今自分が寝ている桜庭の最高級ベッドを見下ろしつつ思う。迎えに来られたら、色々とバレてしまう——。
「大丈夫だよ、千雪。自分でタクシーで行くから。」
「わかった、じゃあ明日ね。」
千雪はそう返事をし、ついでに森川航に交通費の名目でお金を送っておいた。
森川航は眉を上げ、さっと身支度を整えて外に出る。
ちょうど廊下で佐藤景と鉢合わせた。
「森川くん? どこ行くの?」
「学校に戻るよ。」
「え? 明日土曜で授業ないのに、なんでわざわざ?」
「寮に泊まるんだ。」森川航は簡潔に答える。水原千雪は勘が鋭いから、念のため学校から出発した方が無難だと判断したのだった。
佐藤景は彼の後ろ姿を見送りながら、頭の中は疑問でいっぱいだ。
せっかくの高級マンションを置いて、わざわざ四人部屋の寮に戻るなんて——。天才の考えることはわからない、と諦めるしかなかった。
水原千雪の自宅は桜庭から車で15分ほど。だから、かなり早くに現地へ到着した。
森川航はまだ移動中だった。
桜庭の販売オフィスに着くと、受付の女性に丁寧に止められる。
「申し訳ありませんが、ご予約はございますか?」
千雪は心の中で苦笑した。
さすが森川家の物件。自信が違う。普通なら、見込み客を大事に扱うものなのに。
「はい、昨日田中マネージャーに予約しました。」
そう言い終わると、田中マネージャーが満面の笑みで奥から現れる。
「水原さん!お越しいただきありがとうございます。昨夜ご連絡いただいて本当に良かったですよ。そうでなければ、最後の一部屋もなくなっていました!」
千雪は少し驚いた。「今回、五部屋出るんじゃなかった?そんなに早く売り切れたの?」
「ええ、今朝販売開始と同時に、四部屋は一瞬で売れてしまいまして。残るのはご予約の一部屋だけです。」
田中マネージャーは千雪を案内しながら説明した。
その時、受付からまた声が聞こえてくる。
「すみません、ご予約はございますか?」
千雪は最初気にしなかったが、ふいに聞き覚えのある声が耳に入る。
「予約はないけど、ちょっと見せてもらいたくて。部屋を買いたいんです。」
——藤原美穂?
またしても、こんなところで出くわすなんて。
千雪が振り返ると、藤原美穂が高島健一の腕にしっかりと絡みついて立っていた。
「申し訳ありませんが、本日の部屋はすべて完売となっております。来月また新しい部屋が出ますので、ご検討ください。」
美穂は驚き、納得がいかない様子で千雪を指さす。
「全部売り切れ?じゃあ、あの人はなんで中に入れるの?」
「水原様はご予約のお客様です。」
美穂は悔しそうに唇を噛み、健一の方を見る。だが、彼の視線は千雪に釘付けになっていた。
美穂の胸に不安が広がり、涙声で訴える。
「健一、お部屋がもうないなんて……。どうしても自分の家が欲しいのに……。」
健一はようやく視線を戻し、美穂を連れて千雪の方へ向かう。不満げな口調で声をかける。
「千雪、どうしてここにいるんだ?」
千雪は内心で呆れる。
「決まってるでしょ、部屋を買いに来たのよ。他に何しに来るっていうの?」
健一は眉をひそめる。
この棘のある態度が本当に苦手だ。自分の思い通りにならない千雪が、どうしても気に入らない。
「どうして、そんなことをするんだ?」
「そんなことって?」
「美穂が桜庭の部屋を欲しがってるのを知ってて、わざと邪魔しに来たんだろう?千雪、どうして美穂をそこまで敵視するんだ?」
「私が? 本気で言ってるの?」
「そうだよ。千雪はもう部屋を持ってるはずだろ?今日ここに現れたのは、藤原社長が美穂に部屋をプレゼントしようとしてるのを知って、わざと邪魔しに来たんじゃないのか?」
千雪の目が鋭く光る。
「藤原慶太があなたに部屋をくれるって?」
彼女は美穂を見つめ、冷ややかに言い放つ。
——なるほど。
水原家のお金を使って愛人とその娘を養うだけでなく、今度は高級マンションまで贈ろうってわけね。
まったく、呆れるわ。
美穂は得意げな表情を隠し切れず、わざとらしく可愛く言う。
「お父様が、《傾国の紅》のプロジェクトをまとめたご褒美にって、この部屋を用意してくれたの。」
千雪は冷笑する。
「そう。じゃあ、契約書にサインして鍵をもらってから、また話しましょう。」
「千雪!もうやめて!」
健一は語気を強め、命令口調になる。
「この部屋は美穂に譲って、おとなしく帰ってくれ。半年後には、僕が君を迎えに行く。」
——はぁ?
千雪は思わず大きくため息をついた。
「健一、脳外科で診てもらった方がいいんじゃない?若いうちからこんなに頭がおかしいなんて、かわいそう。」
「な……」
「なによ?私って、もともとこういう性格なの。もし言葉が刺さって痛かったら、ごめんなさい——」
彼女はわざとゆっくり言う。
「わざとだから。そのまま受け止めて。」
健一は顔を真っ赤にして怒りを抑えきれない。
「つまり、君は美穂と最後まで争うつもりなんだな?」
「争う?」
千雪はあきれたように笑い、「この部屋は私の“かわいい子”が欲しいって言ったのよ。だから私が買うの。当然でしょ?彼が機嫌を損ねたら、また夜中に大変なことになるんだから。年下男子は体力がありすぎて、私の腰が持たないのよ。」
突然の爆弾発言に、健一も美穂も目を丸くする。
しばし沈黙の後、美穂の心に喜びがあふれる。
千雪のそばに新しい男がいるなら、もう健一は自分のものだ!と。
一方、健一の顔はますます険しくなる。
「“かわいい子”って……誰だ?」
「新しい彼氏よ。」千雪はきっぱりと言った。
「千雪、そんなことで僕を怒らせないでくれ!」
健一は全く信じていない。千雪が自分以外の誰かを愛するはずがない、きっと意地を張っているだけだと思い込んでいる。
「あなたを怒らせてる暇なんてないの。」千雪は冷ややかに彼を見下ろし、
「ウチの“彼”はまだ二十歳で、身長188、腹筋はバキバキ、体力もあって、私を大事にしてくれるの。あなたみたいな年上で、体力もない、男尊女卑で髪も傷んでる人と、なんで昔は必死だったんだろう——」
「年上がいいの?体力のなさがいいの?それとも、その変なプライドと枝毛がお気に入りだったのかしら?」