「触ってみてもいい?」森川航は、少し遠慮がちな羨望を込めて尋ねた。
「気に入ったなら、つけてみたら?」水原千雪は何気なく答えた。
「こんな高そうな時計、もらえないよ……」と森川は恐縮した様子を見せた。
「もともと誰かにあげるつもりだったけど、もうやめたの。いらないなら捨てるだけ。」千雪は淡々と言う。高価だと言っても、最近節約できた生活費に比べたらこの時計なんてたいしたことはない。それに、持っていても使い道がない。
森川は口元に笑みを浮かべながらも、その瞳には一瞬冷たい光が走った。時計を手に取り、腕につけて「ありがとう千雪、すごく気に入った」と素直に礼を言った。その口調になにか違和感を覚えた千雪だったが、横目で見てもいつも通りなので、運転に集中した。
ショッピングモールに着くと、千雪はまっすぐ一階の携帯売り場へ向かった。彼に自分と同じ最上位モデルを用意したが、色だけ違う。千雪のは白、森川のは黒だった。
SIMカードを入れ替えた森川は、二台のスマホを並べて千雪の前に差し出し、無邪気な笑顔で言う。「千雪、どう?似合ってる?」
黒と白のツートンは、まるでお揃いのペアアイテムのようだ。
千雪の胸中にさらに違和感が増した。気にしすぎだろうか?この子、どこか計算高いところがあるような……。ふと壊れた旧スマホに目が行く。――わざと壊したわけじゃないよね?
「似合ってるわ。」千雪は表情を変えずに尋ねた。「で、どうしてスマホがそんなに壊れたの?」
「寝てるときにベッドから落としちゃって……」と森川は自然に答える。
大学寮のベッドがそんなに高いはずがない。千雪は壊れたスマホを手に取った。「古い方はとりあえず私が預かるね。」
「うん。」森川は穏やかに返事をし、微笑みを崩さなかった。
二人はエレベーターで三階のメンズフロアへ向かった。トイレの前で森川が立ち止まる。「千雪、ちょっとトイレ行ってくる。」
「どうぞ。」千雪が彼を見送ると、すぐに一階の携帯ショップへ戻った。「すみません、このスマホ、どうやって壊れたのか見てもらえますか?」
修理職人がじっくりと調べ、「これはかなり激しく落としたね。完全に壊れてるよ。」
「何度も落とした感じでは?」千雪はさらに問う。
「そうでもない。一箇所だけ強くぶつけた跡があって、そこからヒビが放射状に広がってる。一度だけ、しかもかなり変な角度で落としたら、こうなることもあるよ。」
やっぱり事故だったのだろうか。千雪は半信半疑のままスマホを受け取り、礼を言った。
言い訳を考えながら上に戻ると、森川はまだ出てこない。十分ほど経ってようやくトイレから現れ、顔色が少し青ざめている。「ごめん、千雪。ちょっとお腹の調子が悪くて……」
「大丈夫?」千雪は眉をひそめた。「もうすぐクライアントとの約束の時間なの。一緒にいられないかも……」
「千雪が先に仕事に行って。僕はここで待ってるよ。ちょうど生活用品も何を買うか考えたかったし。」森川は、千雪が彼にお金だけ渡して帰らせる選択肢をさりげなく封じていた。
「わかったわ。」千雪は仕方なく、「どこか座って少し休んでて、できるだけ早く戻るから。」
……
鈴木社長はすでに雅ホテルの個室で待っていた。席に着くと、スマホが鳴る――なんと伊藤振宇からだ!鈴木は驚きつつ電話に出る。「伊藤さん!ご無沙汰しております!」
「鈴木社長、お久しぶりです。」
「本当にご無沙汰してます!何かご指示でしょうか?」
「今どこに?」
「雅ホテルで、クライアントと打ち合わせ中です。」
「申し訳ないけれど、その打ち合わせを夜の七時まで引き延ばしてほしい。」
「えっ?」鈴木は面食らう。こんな初回の打ち合わせなら、普通は三十分で終わるはずだ。七時までって……。
「できますか?」伊藤の声は有無を言わせない。
「はい!承知しました!」鈴木は逆らう気など毛頭ない。
電話を切ったあとも、鈴木は訳が分からず首をひねった。その時、個室のドアが開き、眩しいほど美しい千雪が入ってきた。
簡単な挨拶を交わして着席。千雪は三十分ほどで終わると思っていたので、戻って航とランチを食べるつもりだった。だが、鈴木は神奈川の天気や業界の噂話など、話をあちこちに広げて肝心の商談には一切触れようとしない。
一時間が過ぎても、話はまったく進まない。
鈴木が時計を見て、「もう十二時ですね!千雪さん、ランチをご一緒しませんか?」と声をかける。
千雪は少し引きつった笑顔で答えた。「せっかくいらしていただいたので、私がご馳走します。」ウェイターを呼び、注文の合間に席を立ち、森川に電話をかけた。
「千雪!」電話越しに、待ちわびた喜びがあふれる声。「もう終わった?」
待たせていることに罪悪感を覚えながら、「ごめんね、もう少しかかりそう……」
「ああ……」明らかに落ち込んだ声だったが、すぐに明るく取り繕って「大丈夫、千雪は仕事を優先してね。ご飯はしっかり食べて」と気遣ってくれる。その素直さが、かえって千雪の胸を痛めた。
「あなたも先に食べてて。こっちは午後までかかるかも……」
「心配しないで。モールの最上階に図書館があるから、調べ物でもしてるよ。千雪、終わったらいつでも連絡して。」またしても、千雪に「先に帰ってて」と言わせる余地を与えなかった。
「……わかった。」千雪は電話を切り、彼に十万円を送金した。メッセージには【ちゃんとご飯食べてね】とだけ添えて。昼食にそんなにかかるはずもないが、せめてもの気持ちだった。
森川はそのお金を受け取ると、すぐに佐藤景に電話した。「昼、空いてる?ご飯でもどう?」
忙しさのあまりおにぎりで済ませようとしていた佐藤は、「……」と絶句。
森川が自分を昼食に誘うなんて、まさに珍事だ。
「空いてます!すぐ行きます!」森川の誘いなら、どんな用事も後回しだ。
佐藤は急いでレストランに着き、森川の向かいに座ると水を一気に飲んだ。「ごめん、森川君、道がすごく混んでて!」
森川は無言で新しいスマホをテーブルに置き、画面が上になるようにした。
「もう注文した?何食べたい?」佐藤がメニューを手に取る。
森川は不機嫌そうに眉をひそめ、スマホを手に取ってロックを解除し、チラリと画面を見てからまたテーブルに戻した。画面はまだ光っていた。