高橋慎也と藤原美咲の恋愛が学内に広まった。ダンス科の新星と高橋家の後継者という組み合わせは注目を集め、ブランドバッグや多額の送金、常に側に侍らせていることなど、慎也の惜しみないアプローチが話題となった。玲奈を嘲笑うような噂話も、羨望の声の中に散見された。
小林玲奈はそうした雑音を意に介さず、東京都の求人情報に集中していた。そんな時、母から電話がかかってきた。
「あんた、慎也君とどうなってるの?」電話の向こうの声は鋭かった。「高橋財団との協力関係に問題は起こせないのよ!」
玲奈は一瞬目を閉じた。「彼には新しい人ができたの。私たちは終わったのよ。」
「今までだって何度かあったじゃない!また取り戻しなさい!」
「今回は本当に終わりよ。」
「役立たず!男ひとり掴んでおくこともできなくて!土下座してでも頼み込んで——」
「私、東京に行く準備をしてるの。」玲奈は遮った。
「夢でも見てなさい!逃げられると思うな!それはあんたがお父さんに借りがあるからよ!」
プツン、と通話が切れた。玲奈は携帯を置いた。母が何を言いたいのかはわかっていた——父を植物状態にさせてしまったあの時から、彼女はこの家族に一生借りがあるのだと。
「あんた、慎也君とケンカした?」ベッドの向かいでアイラインを引いていた田中夢子が尋ねた。
「別れたの。」
「今回は何日続くの?」夢子はバッグを手に靴を履き替えながら言った。「面接があるから、後でね。」
土曜日、母から電話があり、高橋家の酒会への出席を命じられた。最後通告だ——慎也に復縁を懇願させるためのものだった。
高橋邸の宴会場で、玲奈は意外にも藤原美咲の姿を目にした。今回は本気らしい、実家にまで連れてくるとは。玲奈が高橋夫妻に挨拶をして帰ろうとした瞬間、慎也が美咲の腕を掴んで彼女の前に立ち塞がった。
「神戸から出て行くんじゃなかったのか?また俺の家に来て何の用だ?」
美咲は親しげに玲奈の腕にすり寄った。「玲奈さん、私と慎也が一緒でも気にしないですよね?」
玲奈は慎也を見た。「おめでとう。」
慎也の顔色が一気に曇った。「こいつに気にする資格があるか?見てるだけで胸が悪くなる!」そう言うと、美咲を引っ張って立ち去ろうとした。
「私、玲奈さんと少しお話ししたいの。」美咲が優しく言った。
慎也が遠ざかるのを待ち、美咲は手首のダイヤモンドブレスレットを見せびらかした。「慎也がオーダーしたの。聞いたわよ、彼、玲奈さんについて三年も何もくれなかったんだって?」玲奈は黙っていた。確かにそれは事実だった。
「見ての通り、彼が愛しているのは私なの。」美咲が近づき、声を潜めてささやいた。「ちょっと手伝ってくれない?後で私をプールに突き落としてよ、彼は私が泳げないって知ってるから…」
言葉が終わらないうちに、玲奈は足を上げて美咲をプールに蹴り落とした。
ドボン!
美咲が水中でもがき助けを求める。玲奈はプールサイドに立ったまま言った。「あんたに濡れ衣を着せられるより、自分でやっておくわ。」
人々が集まってきた。慎也がプールに飛び込み美咲を引き上げ、スーツで彼女を包みながら玲奈に怒鳴った。「玲奈!こいつは泳げないんだぞ!」
「彼女が自分でそう頼んだのよ。」玲奈の口調は平静だった。「あんたと私を完全に切りたいって。」
美咲は慎也の腕の中で震えていた。「そんなこと…してない…」
「謝れ!」慎也の目は氷のように冷たかった。
美咲は取り繕って止めようとしたが、慎也の怒りはますます増した。「彼女に謝れ!さもないと、許さないぞ!」
「彼女が私に押すように言ったの。」玲奈は彼の目をまっすぐ見据えた。「どうして私が謝らなきゃいけないの?」
「聞こえないのか、この野郎!?」慎也が怒鳴った。
その時、人垣の向こうからからかうような男の声が響いた。
「よう、吊し上げ大会か?」
玲奈の息が止まった。
あの声は——。
彼女はぎくしゃくとして振り向いた。男が逆光の中から歩いてくる。賓客たちの囁きが一気に炸裂した。
「鈴木家の九男様が帰国された…?」
「財団を継ぐって聞いたよ…」
光と影が彼の輪郭をぼかしている。玲奈の瞳が、見開かれた。