玲奈は黙っていた。
車を運転していた幸太が、ちらりと彼女を見てニヤリと笑った。「玲奈、どっち行くんだ?」
玲奈は少し考えて答えた。「青松路。」
「え?あの辺めっちゃ田舎じゃん?何しに行くの?」幸太は驚いた。
玲奈は気にせず、ありのままを言った。「父が青松園にいるの。お見舞いに行く。」恵子と気まずく別れて以来、父に会う暇がなかったが、今日はちょうど空いていた。
「まさか、あの青松園ってこと?」幸太は目を丸くした。
玲奈がうなずく。
「あそこ、あんまり評判良くないらしいぜ?なんでそんなとこに…」幸太がぽつりと言うと、
悠斗が玲奈の顔を数秒見つめ、不機嫌そうに口を挟んだ。「お前、運転に集中しろよ。余計なこと言うな。」
その言葉が終わらないうちに、携帯電話が鳴った。悠斗は着信表示を一瞥し、電話に出た。
「ああ?」
「余計な心配すんなって言っただろ。」
「…運転中だ。切る。」相手が何か言ったらしく、悠斗の声は明らかにイライラしていた。
幸太がルームミラー越しに覗き込んだ。「お母さん?」
「ああ。」
「なんの用だよ?」
「…運転しろ。」
幸太は「チッ」と舌打ちした。「言わなくたって分かるぜ、また見合いの話…」
言い終わる前に、悠斗の低く冷たい声が遮った。「黙って運転しろ。お前、本当にうるせえな。」
幸太は「やっぱりな」という顔をし、ルームミラー越しに玲奈をチラ見して、わざとらしく拗ねた口調で言った。「妹よ、見たか?お兄ちゃんは悠斗のそばで、どんなひどい扱いを受けてると思ってる?口を聞くのも許されない虐待だぜ。」
玲奈の口元が微かにひきつった。彼女は横目で悠斗を一瞥し、低い声で言った。「…喋りすぎだからじゃない?」
幸太:「…」
ったく、この二人はろくなもんじゃないな。やっぱり、似た者同士だぜ。
…
十数分後、車は路地の入り口に停まった。
「玲奈、この先工事中で通れない。ちょっと歩くことになるぜ。」幸太が声をかけた。
玲奈が顔を上げると、大きな道路は赤いテープで封鎖され、案内板が細い路地を指し示していた。彼女は幸太にお礼を言った。
幸太は手を振った。「お兄ちゃんに遠慮するなよ?」
玲奈は無言で悠斗の方を向いた。「じゃあ、先に失礼します。」そう言うとドアを開けて降りた。助手席の窓まで歩み寄り、礼儀正しく言った。「お気をつけて。この辺、道が悪いですから。」
幸太は顔をほころばせた。「おっ?妹ちゃん、お兄ちゃんのこと心配してくれたのか?」
玲奈の口元がピクッと動いた。この人頭おかしい。相手にせず、彼女は療養施設の方を向いて歩き出した。
後部座席に座っていた悠斗は、静かに彼女の後ろ姿を見つめていた。幸太が下品に自慢した。「誰か聞いてくれよー!女の子に心配してもらっちゃったぜ!」
悠斗がルームミラーにちらりと不気味な目を向けると、すぐさまドアを開けて降りた。運転席の横に立ち、ドアを勢いよく開けると命令した。「降りろ。」
幸太は面食らった。「は?どうした?」
「降りろ。」悠斗の表情は明らかに不機嫌だった。
幸太は不満そうに言った。「おいおい悠斗、お前がどうしても運転しろって言うから運転してるんだぜ?今さら降りろだと?頭おかしいんじゃないのか?」
悠斗は冷笑した。「だから、今降りろって言ってるだろ。」
「でもな、こんな寒いのにタクシー呼べって?お前、良心…」
バン!とドアが閉められた。
幸太は完全に呆然とした。「なあ兄弟、何か気に入らねえことあんのかよ?」
悠斗は冷たい言葉を投げつけた。「車はお前が運転して帰れ。」
幸太:「…」悠斗って、こんなにケチだったっけ?
彼は気まずそうに笑いながら言った。「おいおい鈴木様、そんなに怒んなってよ。お前の車だろ?」
悠斗は無視し、手を振ると療養施設の方へ歩き出した。
…
玲奈が車を降りると、地図アプリで療養施設の場所を確認した。歩きながら、背後に誰かに見られているような気がした。ここは都心の貧民街の片隅で、周りは古びた民家ばかりだ。思わず足を速めると、追跡している気配もスピードを上げた。
彼女は立ち止まり、振り返った。車にいるはずの男が道路脇に立ち、わざとらしくうつむいてスマホを見ていた。
玲奈は悠斗が何を考えているのか分からず、少し逆立った。「…私を尾行してるの?」
悠斗は顔を上げ、二、三歩近づくと、気だるげに言った。「いや、別に。」
玲奈は信じなかった。「じゃあ、ここで何してるの?」
悠斗はさして気にも留めていない様子で答えた。「帰国したばかりでな。ちょっと散歩がてら。」
玲奈は低く「…ふうん」と言うと、「どうぞごゆっくり。」そう言って相手にせず、療養施設の正門へ向かって歩き出した。
二歩も歩かないうちに、悠斗がまたついてきた。玲奈は足を止め、イライラしたように顔を上げて悠斗を見た。「…いったい、何がしたいのよ?」
悠斗の視線が彼女の顔に注がれた。長いまつげの上に、一枚の小さな雪の結晶が乗り、寒さでまだ溶けずにいた。彼は手を伸ばし、人差し指でそっとそれを払った。「…雪が、まつ毛に落ちてた。」
玲奈は言葉に詰まった。雪はますます激しくなり、みぞれも混じり、彼女の髪はすぐに薄く濡れ、小さな顔は寒さで真っ赤になっていた。
「…お父さんに会いに行くんじゃなかったのか?早く行けよ。」悠斗が口を開いた。
玲奈は視線をそらし、振り返って中へと歩いた。悠斗は二歩ほど後ろを、彼女に続いた。
療養棟に着くと、玲奈が振り返って言った。「…私と一緒に父に会いに来るつもり?」
悠斗はそんなにストレートに聞かれるとは思っておらず、一瞬たじろいだ。確かに、まだ親に会う準備はできていなかった。手ぶらで、挨拶品すら持っていない。これで大丈夫なのか?ふと思い付き、口をついて出たのは、「…今、親に会うのは早すぎないか?」
玲奈は一瞬呆気に取られ、思わず吹き出した。彼女は顔を上げて悠斗を見つめながら言った。「…じゃあ、なぜ私についてくるの?」
悠斗は一瞬の迷いもなく答えた。「知り合いが暴走して事故ったんだ。半身不随になって、見舞いに来てる。」
玲奈の口元がひきつった。「…その知り合いが、この療養施設に?」彼女は信じなかった。ここは神戸で最も辺鄙で設備の悪い療養施設だ。悠斗の知り合いは、金持ちか権力者ばかりのはず。そんな人間がここにいるわけがない。
悠斗は彼女の疑念を察し、付け加えた。「…あいつ、破産したんだ。ここにいてもおかしくないだろ。」
玲奈は彼の話に首尾一貫性がないことに気づいたが、突っ込まずにうなずいた。「…そう。じゃあ、お知り合いをどうぞ。」そして付け加えた。「…どちらのお部屋か、ご存じですよね?」
悠斗は応えた。「ああ、知らねえわけないだろ。」そう言うと、玲奈とは反対方向へ歩き出した。
玲奈は彼の後ろ姿を見つめながら、疑問が湧いた。…もしかして、本当に知り合いがここにいるのか?