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第23話 新鮮さゆえに


電話の向こうで、佐藤拓真は一瞬声を詰まらせた。「…何だって? 昨夜、誰が世話をしたって?」

「玲奈ちゃんよ、他に誰がいるの?」

「彼女じゃないのか? 昨夜、俺は彼女に電話したんだぞ。」

藤原美咲の名が出た途端、高橋慎也の顔が曇った。まさか彼女に騙されるとは。甘やかしすぎたようだ。慎也は数日、彼女をほったらかしにしようと決めた。ダメなら別れよう。元々長く続けるつもりなんてなかった、ただの気まぐれだ。そんなことをする度胸があるとは、思いもよらなかった。俺の目の前でよくもそんな真似ができるものだ。


* * *


小林玲奈は荷物を手に、高橋財団の本社ビルへ急いだ。フロントで受付を済ませると、係員は彼女の名を見て微笑んだ。「小林様、こちらへどうぞ。」専用エレベーターへと案内し、カードをかざすと丁寧に告げた。「高橋様が執務室でお待ちです。エレベーターは直通です。」

「ありがとうございます。」

エレベーターが29階で止まり、ドアが開くと、鈴木悠斗が外に立っていた。

玲奈は少し意外そうに尋ねた。「下りるの?」

悠斗は首を振り、自然に彼女の持っていた袋を受け取った。玲奈はそこで初めて、彼が自分を待っていたことに気づいた。

悠斗のオフィスに来るのは初めてだった。玲奈は辺りを見渡した。「ここが、悠斗のオフィス?」

悠斗はデスクの椅子にだらりと腰かけ、うつむくように頷いた。玲奈は彼の顔色が悪く、目の下にくっきりクマが浮かんでいるのに気づいた。「昨夜、寝られなかった?」

「…ああ。」悠斗は短く応えると、目線を弁当箱に移した。「…俺への?」

玲奈は頷いた。「確か、この辺に詳しくないって言ってた誰かさんがいたよね?」そう言いながら弁当箱を開け、中身を取り出した。牛肉のしぐれ煮、豚汁、それに小さなデザートの箱が一つ。

悠斗は眉をわずかに上げた。「愛妻弁当?」

玲奈の手が一瞬止まったが、返事はせず、料理を彼の前に押しやった。「食べてみて。この店、美味しいんだよ。汁物も出汁が効いてて。」

悠斗は顔を上げて問うた。「お前、試食したのか?」

「うん、美味しいと思ったから持ってきたの。」玲奈は悠斗を見つめた。

悠斗が箸を取り、牛肉をひと切れ口に運んでゆっくり噛んだ。玲奈は向かいの席に座り、期待を込めて尋ねた。「どう?」

牛肉を飲み込み、悠斗は頷いた。「…まあまあだな。」

玲奈は口をへの字に曲げた。『まあまあ』はつまり、不満ってことだ。悠斗の舌は昔から超がつくほど選り好みが激しい。おばあちゃんの家でもそうだった。

玲奈は諦めきれず、汁物を指さした。「こっちは?」

悠斗は少し躊躇してから、椀を手に取り一口飲んだ。

「そっちは?」

悠斗は頷いた。玲奈はほっと息をついた。「じゃあ、もっと食べてよ。朝ごはん食べてないって言ってたじゃない?」悠斗の視線が弁当箱に落ち、微かに頷いた。

玲奈は立ち上がり、別の袋を渡した。「これも。」

悠斗は袋を見て問うた。「こっちは何だ?」

「マフラーよ。洗って乾かしたの。」

悠斗は箸を置いた。「…つまり、マフラーを届けるだけが目的で来たのか?」

玲奈は頷いた。

ほんの少し、寂しそうな表情が悠斗の顔をよぎった。「…置いていけ。」

玲奈が袋を置くと、「じゃあ、私は行くね。お昼、ちゃんと全部食べてね。」と言った。

「送るか?」

「いいよ、仕事してて。初日なんだから頑張ってね。」玲奈は手を振って去っていった。

玲奈の姿が消えると同時に、悠斗はすぐさまスマホを取り出し、伊藤幸太に電話をかけた。

電話がつながると、悠斗は言った。「至急、会社に来い。」

幸太は一瞬間を置いた。「鈴木様…どうなさいました? お声の調子が…」

「早く来てくれ、病院へ行く。」


* * *


玲奈がエレベーターで一階に降りると、フロント係が丁寧に言った。「小林様、ごゆっくりお帰りくださいませ。」玲奈は笑顔で応じて外へ出た。

ビルを出ると、細かい雪が舞っていた。玲奈は、今年の冬は雪が多いなと感じた。地下鉄の入り口まで歩き、ちょうど改札を通ろうとした時、携帯が鳴った。田中夢子からだ。

玲奈は電話に出た。「もしもし、夢子。」

「玲奈ちゃん、早く、早く来て…!」夢子は取り乱しており、玲奈はしばらくしてようやく事情を理解した。

どうやら二人がレストランを出た後、千葉宏紀がスクーターで夢子を乗せたらしい。ラッシュで渋滞し、夢子が「バイクに乗らなきゃよかった」と愚痴った。宏紀は何も言わなかったが、道中ずっとイライラしながら文句を言い、いわゆる「ロードレイジ」状態に。怖くなった夢子が「降ろして」と頼んでも聞かず、無理な追い越しを繰り返し、交差点で高級車に衝突してしまったという。二人とも病院送りになったのだ。

玲奈が駆けつけた病室には、足にギプスをした夢子がベッドに横たわっていた。「夢子、大丈夫?」玲奈が近づくと、

夢子は泣きながら彼女に抱きついた。「玲奈ちゃん、怖かったよ!」

「もう大丈夫、大丈夫よ。」玲奈が慰めても、夢子の涙は止まらなかった。玲奈にはわかった。夢子は小さい頃から何不自由なく育ち、こんな経験は初めてなのだ。

「泣かないで。」

夢子は鼻をすすりながら言った。「足が痛いよ…一生歩けなくなるかと思った。」

「バカ言わないで。彼氏は?」

宏紀の名を出した途端、夢子は怒り出した。「あいつ最低! 事故った後、逃げちゃったの! 別れる、絶対別れる!」

「なんで逃げたの?」

「なんでだと思う? 賠償が怖いんでしょ! ぶつかった車、数千万円するんだって!」その言葉が終わらないうちに、病室のドアが開き、佐藤警部補と田中巡査が事情聴取のために現れた。夢子は交通違反で全責任を負い、具体的な賠償額は修理会社の見積もり待ちとのこと。

玲奈は事の重大さに驚いた。「夢子、車の持ち主とは話した?」

夢子は首を振った。「気づいたらもうここにいたもの。」

「じゃあ、彼が逃げたってどうしてわかったの?」

「電話つながらないんだもん! 逃げたに決まってるじゃん! 見損なったわ!」玲奈は首を傾げた。百万円単位の賠償だとしても、夢子のようなお嬢様にとって大した額ではないはず。宏紀が逃げるなんてことがあるだろうか?

夢子の泣き腫らした目を見て、玲奈は彼女がまだあの彼氏を好きだということがわかった。彼女は探るように言った。「もしかしたら、何か誤解じゃない?」

夢子は口をとがらせた。「誤解も何もないわよ! 今、電話してみるから!」そう言うと、宏紀の番号を押し始めた。


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