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第24話 帰っておいで


電話は二度鳴っただけで切れた。明らかにブロックされている。小林玲奈は口元がピクッと動いた。初めて千葉宏紀に会った時の印象は最悪だった。田中夢子の背後でこっそりとLINEを交換しようとする、見るからに浮気性な男だ。それに加えて、こんなくだらない根性の持ち主だとは思わなかった。お金を払いたくないならまだしも、入院中の彼女をいきなりブロックするなんて。

「夢子、あいつ、お前が金持ちだって知らなかったのか?」玲奈が言えるのはそれだけだった。

夢子は首をすくめた。「多分…知らなかったと思う」。付き合っていた時、彼女はわざと金持ちぶったことはない。ブランド品にこだわることもなく、好きなものは値段にかかわらず宝物のように大切にしていた。千葉宏紀の境遇が良くないこと、イケメンなだけで取り柄がないことは知っていた。でも、好きだから養うのも厭わなかった。まさか彼がそんな腰抜けで、自分が意識を失っている隙に逃げ出してブロックするなんて。年下の彼氏ってのは体力だけが取り柄で、ほんとに役立たずだ。夢子は考えるほどに腹が立ってきた。

「もう泣くなよ。次はもっと良いのがいるって、お前が言ってたじゃん?」

夢子はすすり泣いた。「でも…私、結構好きだったのに」

玲奈は夢子の額をツンツンと突いた。「いつからそんな恋愛脳になったんだよ?」そう言い終わらないうちに、病室のドアの外で怒鳴り声が聞こえてきた。

「クソッ、ついてねえ!外出た途端に事故かよ!」

「兄貴、迎えに行かなかったわけじゃねえんだぞ!迎えに行ったからこそ事故ったんだ!」

「救急車呼んだ方がオレが迎えに行くより早かったんじゃねえの!?」

「まあいい!まずはオレの車にぶつかったガキと会ってやる!新車なんだぞ!あいつを刑務所送りにできなきゃ、高橋って名乗るのやめる!」

その言葉とほぼ同時に、病室のドアが蹴破られた。玲奈が振り返ると、頭に包帯を巻き、携帯電話を手にした伊藤幸太が、数人のボディーガードを従えて立っていた。知らなければ、この威圧感にたじろいだだろう。

「おい、てめえがオレの車にぶつかった野郎か?てめえ、オレがどんな…」幸太は玲奈を見つけると、言葉を詰まらせた。「おう、玲奈?なんでこんなところに?鈴木様の病室はこの階じゃなかったはずだが」

玲奈は状況を理解した。千葉宏紀がぶつかったのは、伊藤幸太の車だった。誰にでもぶつかるところを、厄介な相手に当たってしまった。玲奈は彼の額の包帯から滲む血を見た。「大丈夫?」

幸太は首を振ったが、鈍い痛みが走り、低く呟いた。「あのガキにぶつかられて、ケガしちまった!」

夢子は玲奈の背後に隠れて、顔を見せようとしなかった。声を聞いただけで、この男は短気で手強いとわかった。夢子はもごもごと言った。「いくらでも払いますから…出ていってもらえませんか?」

幸太はその時初めて夢子の存在に気づいた。目を細めて言った。「ぶつかってきたのはガキだったはずだが、女になっちまってるぞ?」

玲奈は気まずそうに笑った。「あの男、逃げちゃったんです」

「チッ、なんて根性なしだ!」幸太が捨て台詞を吐いた。

玲奈が探るように言った。「幸太兄、あの車…大丈夫なんですか?」

幸太はその呼び方で嫌な予感がした。案の定、玲奈が続けた。「私の友達、わざとしたんじゃないんです。警察沙汰にしないでいただけませんか?」

この一声『兄』で、数百万がパーになりそうだ。幸太は笑みを浮かべて言った。「お嬢ちゃん、オレの車がどんな状態か見てみるか?」携帯を取り出し、玲奈の目の前に突きつけた。

玲奈が画面を見て、固まった。ボンネットがめくれ上がり、煙まで上がっている。かなりひどい状態だ。夢子がこっそりとのぞき込み、気後れした。「ごめんなさい、本当にわざとじゃないんです。いくらでも弁償しますから…刑務所には入れたらないんです」

幸太が夢子をじっと見つめ、なかなか好みのタイプだと感じた。口元を緩めて言った。「お前、玲奈の友達か?」

夢子がうなずいた。「親友でルームメイトです」

幸太は片眉を上げた。「じゃあ、どっちみち知り合いってことだな。話は簡単さ。ちょっと話さないか?」彼は玲奈に外に出るよう目配せした。

玲奈は幸太の考えが読めた。友達に損はさせられない。口を開く間もなく、夢子がささやいた。「玲奈、このお兄さん…すごくカッコいい。私の好み」

玲奈は「…」思った通りだ。邪魔者になるより、寮に帰ろう。

玲奈は立ち上がった。「じゃあ、二人で話してて。私は先に帰るね。明日、来ようか?」

夢子は手を振った。「いいよいいよ、あなたの用事をやってて」

玲奈はうなずいて去ろうとした。ドアのところで、幸太が彼女を呼び止めた。「おい、玲奈。鈴木様が入院してるんだぜ?見舞いに行かないのか?」

玲奈は驚いた。「入院?」

「ああ、上の階の病室だ」

「どうして?昼間会った時は元気だったのに?」

幸太は嫌そうな顔をした。「何考えてるか知らねえよ。オレの代わりに、まだ死んでないか見てきてくれ。すぐ後で行くから」

「はい」

玲奈が鈴木悠斗の病室を見つけた時、看護師が包帯交換をしていた。悠斗は目を閉じ、眠っているようだった。玲奈は小声で尋ねた。「看護師さん、彼、どうしたんですか?」

「アレルギーです」

玲奈は固まった。「アレルギー?どうして?アレルゲンは?」

看護師が答えようとしたその時、悠斗が目を開いた。「…どうして来た?」

「友達が事故で下の階に入院してて…ついでに様子を見に」玲奈が近づいた。「大丈夫?どうしてアレルギーに?」

看護師が代わりに答えた。「牛ヒレ肉と昆布はもう食べないでくださいね。今回は量が少なかったから軽く済みましたが、もっと食べると重症になります」

玲奈はそれを聞いて、胸が痛んだ。牛ヒレ肉と昆布…それは彼女が持ってきた弁当じゃないか?「ごめんなさい、私が…」

悠斗は玲奈を一瞥し、「謝るな。食べてみなきゃわかんねえからな。むしろ感謝してるよ」と言った。

玲奈は口元をピクッとさせた。この男の慰め方、本当に独特だ。「お水…飲む?注いであげる」玲奈は何か用事を作ろうとした。

「いい。座ってろ」

玲奈はうつむいて「…はい」と小さく答えた。

悠斗は彼女を見つめ、「お前のせいじゃない。余計なこと考えるな」と言った。

玲奈は首を振った。その時、携帯電話が鳴った。見知らぬ番号だ。玲奈は少し躊躇して、出た。

「もしもし」

「玲奈、俺だ。高橋慎也だ」

玲奈は携帯を持つ手が止まり、声に嫌気を含ませて言った。「何の用?」

「昨日の酔い覚ましのスープ、お前が作ったんだな?」

玲奈はそれを聞くと、反射的に悠斗を見た。悠斗は一瞬も逸らさず彼女を見つめ、その目には明らかな怒気が走っていた。電話の声を聞き取ったのだろう。


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