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第2話 観察から隣へ

 翌朝。私は寝ぼけた頭を抱えながら、村の広場にいた。


 宿舎から出てくるなり、すれ違う村人が皆、こう言ってくるのだ。


「おはようございます、奥さま!」


「おめでとうございます! ほんと、光すごかったですね~!」


「いやぁ、祝福の儀なんて何年ぶりかなあ。長老まで泣いてたもんねぇ」


 違う。そうじゃない。何かがおかしい。


 これはただの文化調査のはずだった。私は観察者で、当事者になるつもりなんて──


「……おかしいのは、あんたの思い込みだよ」


 ぼそりと耳元で声がした。振り返ると、昨日も見かけた老婆が立っていた。


「アレは、神様が二人を祝福したって証拠だよ。あんなに強い光が出るのは、本物の契りの時だけさ」


「でも私、文化を記録するつもりで……その、正式な同意とか、婚姻届とか、ないですよね?(たぶん)」


「何言ってんだい。ここじゃ神の印が出たら、それで十分なんだよ。形式より、神の加護が大事なの」


 老婆はにっこりと笑ったが、その目は妙に澄んでいた。まるで「あなた、わかってないねぇ」と言われているようで。


(え、これ、本当に……マジで、結婚してるやつ?)


 私は頭を抱え、うめいた。


「だれか、私の立場に文化的誤解があるって気づいてぇ……!」





「サキ、こちらです」


 そう声をかけてきたのは、例の夫──じゃなかった、アトルだ。


「村の掟で、新しく夫婦になった者は、共に“村の仕事”を経験する決まりです」


「へ、へぇ……そりゃあ、素晴らしい文化ですねぇ」


 顔が引きつるのを必死に誤魔化しながら返すと、アトルは当然のように隣を歩き出す。


「今日は畑の手伝いです。といっても、水を撒くだけですので、心配なく」


「なるほど……共同労働。つまり生活共同体としての婚姻の意味づけですね。はいはい、記録記録……」


 私が自分のノートを開いて書き留めていると、周囲の村人がちらちらと私たちを見ていた。


 中にはくすっと笑っている者もいる。え、なに? 何か変なことしてる? 服、裏返しとか?


「奥さん、旦那様にお弁当持たせた?」


「んっ、べっ……べんとっ!?」


 思わずノートを取り落としそうになる。


「新婚さんは、みんな作るのよ。あたしのときも、夫に焼き芋をこっそり入れて怒られたっけ」


「あのっ、私そういうの、ちょっと! 異文化なのでまだ把握が──!」


「いやあ、初々しいなあ」


「アトル様も、ちょっと赤くなってるぞ?」


「ち、違う。焼けただけだ」


 わー! 待って! ツッコミどころ多すぎて処理しきれない!




(──これ、普通の異世界文化恋愛ものって、こういうのが日常になるの?)


(ていうか、私、本気で“結婚してる”前提で動かされてない?)




 ──でも。


 アトルの横顔を見ると、彼がただ真面目に、誠実に文化を守っているのがわかる。


 彼にとっては、これが「正しい結婚の形」なのだ。何の嘘もなく、ただ当たり前のこととして受け入れている。


 そのことだけは、なんだか……少しだけ、胸にひっかかった。





 畑は、村の東端に広がっていた。


 乾いた赤土の上に、緑の苗が規則正しく並んでいる。すでに多くの村人が作業していたが、私とアトルは二人で一角を任された。


「この木の根元にある水瓶から、交互に水を汲んで、苗の根本に注いでいきます」


「了解。畑灌漑儀式……じゃない、作業ですね!」


 私はバケツを手に取り、重さにふらつきながら歩き出す。


「うわっ……結構重っ……!」


「サキ、大丈夫ですか?」


「だい、じょ、ぶ! 日常生活だもんねこれ! うちのフィールドワークは体力勝負だし!」


 見栄を張ってみたが、足元がよろけ、危うく苗を踏みかけた。


 その瞬間、アトルの手が、私の腕をしっかりと支えた。


「……っ!」


「無理はするな。お前は来たばかりだ」


「いや、だけど……」


「我の妻に、怪我をさせたくない。それだけだ」


 さらっと、当然のように言うものだから困る。


 “妻”って、やっぱりその前提で動くのね!? 私が何を言っても、もうその認識なのね!?


 ──でも、その言葉の奥にある真剣さだけは、なぜか嘘に聞こえなかった。





 作業は、だんだん慣れてきた。


 アトルは最初こそ黙っていたが、水の量や苗の扱い方など、丁寧に説明してくれた。


「この野菜は“メェル”と呼ばれていて、汁にして食べると風邪に効くと言われている」


「へえ、じゃあ薬草的な扱い?」


「……薬草、とは?」


「えっと、つまり、体の調子を整える植物の総称で──」


「なるほど。お前の知識は、我らの言葉と少しずつ違うのだな」


 静かにそう言われて、はっとした。


 そうだ。これは、私にとっては「異文化」だけれど、彼らにとっては「日常」なのだ。


 私の常識が通じないのは当然。むしろ、それを記録しに来たはずだった。


 なのに──私、最初から“理解したつもり”になってたのかもしれない。


「アトルって、昔から族長だったの?」


「いや。先代が亡くなってすぐ、神託によって選ばれた。十六の時だった」


「十六……! それはまた、若いリーダーだね」


「皆が支えてくれている。だが、期待に応えられているかは、分からない」


 ぽつりと漏れたその声に、彼の素顔が見えた気がした。


「今も、少し怖い。だが……隣にお前がいるなら、大丈夫だと思える」


「えっ」


 思わず、目が合った。


 あの落ち着いた瞳が、真っ直ぐに私を見ていた。


 思わずバケツを落としかけたのは、言うまでもない。


 ──この人、真面目すぎる。


 でも、嘘をついてないのが分かってしまうから、こっちの心がズルズル引っ張られる。


 文化調査って、こんなに感情を揺さぶられるものでしたっけ……?





 日が落ちたころ、私は寝所に戻った。


 簡素な木の壁、干し草を敷いた床、そして――隣には当然のように、もうひとつの寝具がある。


 アトルは、まだ村の会議に呼ばれているらしく戻っていなかった。


 そのことに、なぜかほっとしたのが、少しだけ悔しかった。


(私は調査員。文化を観察し、記録する立場。……なのに)


 私は荷袋から、大事なノートを取り出す。


 転移してすぐに手にした、布張りの調査ノート。そこには、ハナアカ村の文化に関する情報がびっしりと書き込まれていた。



【祝福の儀について】

・果実を半分に割り、互いに与え合う儀式

・神の加護を得る象徴

・“再現”という言葉から、模倣・演出的な意味合いか

→祭事的性格が強く、形式的イベントと考えられる?



 そこまで読んで、私は思わず顔をしかめた。


(違う。全然違う……)


 “模倣”なんて、とんでもない誤解だ。


 村人たちの目は本気だった。アトルの所作にも、迷いはなかった。


 あれは彼らにとって、伝統であり、誓いであり、信仰そのものだった。


 “再現”という言葉を、私は勝手に都合のいいように解釈しただけだった。


「私……ただ、文化を都合よく切り取ってたんだ」


 理解したふりをして、記録という名の枠に押し込めて。


 それは“学者”としては、最もやってはいけない態度だった。


 ふと、昼間のアトルの言葉を思い出す。


『我の妻に、怪我をさせたくない。それだけだ』


『お前が隣にいるなら、大丈夫だと思える』


 ──真っ直ぐすぎて、まぶしい人だ。


 私がぐるぐると難しい言葉で考えている間、彼は最初から自分の文化も感情も、まっすぐ差し出してくれていた。


(私の方こそ、ちゃんとこの文化と向き合えてなかった)


(もう一度、やり直さないと……今度は、“当事者”として)


 私はノートの端に、ペンでこう書き足した。



【訂正】

→この儀式は「模倣」ではない。

→参加者は演者ではなく、誓約者。

→文化とは、外側から眺めるものではなく、ともに過ごしてこそ理解が始まる。



「……よし」


 ページを閉じると、不思議と胸がすっきりしていた。


 それはきっと、“研究者”としてより、“一人の人間”として、大事なことを思い出せたからだろう。

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