朝からネットはずっと騒がしかった。
今日、日本が沈むとか、大災害が起きるとか、南海トラフがついに来るとか、オカルト系の話題がトレンドを埋め尽くしていた。
最初はただのノイズだと思っていた。
いつもの終末ネタ。誰かが適当な日付を並べて、はい的中~ってやつ。
「みんなで一斉に死ねるなら、まだマシかもね。一人だけ生き残るとか、もう詰みでしょ」
そんな気だるい愚痴をこぼしながら、私は天文館のアーケードを歩いていた。画材を買いに来た帰り道。
蒸し暑いアスファルトの匂いと、吹き抜けるクーラーの風の温度差。
何もかもが“いつも通り”の午後に思えた、ほんの数分前までは。
スマホが震える。
通知が怒涛の勢いで鳴りはじめた。
画面を見ると、都市伝説系YouTuberたちがこぞって「緊急で動画を回しています」と言って最新投稿を上げていた。サムネはどれも刺激的で、フォントは大きくて赤い。
「緊急で動画回してますって言えば、すぐ再生数伸びると思うなよ~。どいつもこいつも。……と、言いつつ、まぁ、見るんだけどねぇ」
私は鞄からイヤホンを取り出し、近くのベンチに腰を下ろした。
そして、何気なく再生した動画の中で、目にした。
国会議事堂と財務省庁が、“ダンジョン”と化しているという、信じられない映像。
ニュース映像をそのまま転載した動画だった。
そこには“肉眼では見えないが、カメラ越しには表示される”という謎のテロップが浮かんでいた。
「ダンジョン:難易度SSS級 未踏破」
「……嘘でしょ?」
唖然としながらも、体は勝手に動く。
サブのスマホを取り出し、元・青い鳥SNSと掲示板を開く。
#東京ダンジョン
#現代ダンジョン
#未踏破SSS級
#国会消失
#映像しか証拠がない建物
恐ろしい勢いでタイムラインが更新されていく。
もう誰にも止められない。
下手なテレビの特番より、YouTuberの現地レポや視聴者の投稿のほうが速くて、詳細で、現実味があった。
情報統制なんて、どこにも存在していなかった。
みんなが知っていた。
これは──本当に、始まっている。
あちこちの動画で、東京を中心に“ダンジョンの領域”が拡大しているという情報が出始めていた。
「次は新宿だ」「いや、霞ヶ関全域が呑まれる」「東京の地図が変わってる」
誰かが言うたびに、別の誰かが動画と証拠画像を投下する。
今や、誰でも発信者であり、観測者だった。
「なによこれ……嘘でしょ……」
思わず、引きつった笑いが漏れる。
これまで散々空想の中で描いてきたような展開。
だけど、自分が現実の中でその“傍観者”をやってるっていうのが、最高に奇妙だった。
と、そんな中──とあるスレッドの書き込みが目に飛び込んできた。
「救世主キターこれ!」
サムネにはぼんやりした人影が、画面越しに手をかざしていた。
書き込みを要約すると、こんな話だった。
「ダンジョンの正体は“人の負の想念”が具現化した異空間」
「救世主は、自称“土地神”と名乗る存在に選ばれた」
「土地神は液晶越しでしか認識できない」
「神は、能力を授け、“この世の異物”を祓えと命じてくる」
「その者は、神託を受け、ダンジョンを踏破した。少なくとも一度は」
「うわ、とうとう“選ばれし者”が出ちゃった系?」
眉をひそめながらも、心のどこかで高鳴るものがあった。
誰かが選ばれてる。
現実に“ファンタジーの主人公”をやってる奴が、もうどこかにいる。
それは、私が空想の中で何十回もシミュレーションしてきた“誰かになる夢”だった。
そんなことを考えていた、その時だった。
──ズンッ。
腹の奥、臍の裏を突き上げるような、重たい衝撃。
「っ、……地震!?」
反射的にベンチの背もたれを掴み、足を踏ん張る。
建物の揺れは感じないけど、地面が脈打つように動いた。
数秒の揺れ。すぐに収まった。けれど──
イヤホンから、奇妙な声が聞こえてきた。
「今、そなたの耳に直接、語りかけておる」
鼓膜に響くのではなく、頭の中に直接流れ込むような、優しく、それでいて威厳を帯びた声だった。
「……え? え? そ、そりゃそうでしょうね!? イヤホンで聞いてるんだから!」
私が突っ込んでしまったのは、別に悪くないと思う。
ほぼ脊髄反射のようにでてきた言葉。
非現実すぎて、笑うしかなかった。
その直後、スマホの画面に映った街角のライブ映像の中──
鹿児島市庁舎の屋根の上に、黒い霧が立ち上るのが見えた。
今度は、“自分の街”だった。
そして、私はまだ気づいていなかった。
この日から、私の人生そのものが“別のレイヤー”へと移行することを。