遅れて鳴り響いた緊急アラートは、街中の空気を切り裂くような甲高い警告音だった。
──ピロリロリロ、ピロリロリロ。
「……え、まさか」
スマホ画面の赤枠の通知に、心臓が跳ねた。
「緊急速報:鹿児島市庁舎に異常事態。現地付近に近づかないでください」
“異常事態”。
オブラートに包みすぎて意味がぼやけてるけど、要するに──鹿児島にも“ダンジョン”が来た。
私は反射的にスマホを持ち直した。
でも、次の瞬間、別の“声”がイヤホンから割り込んできた。
「今、そなたの耳に直接話しかけておる」
それは、動画のナレーションでも、YouTuberの実況でもなかった。
内耳に響くような、でもどこか外からも聞こえるような、不思議な音質。
男でも女でもなく、でも温かくて、重みのある声。
「……そ、そりゃそうでしょうね!? イヤホンつけてるんだから!」
思わずツッコんだ私は悪くない。
反射だ、反射。変なこと言われたら反応しちゃうってば。
でも、指先が震えていた。
喉が乾いていた。
この世界が、現実とフィクションの境界線を踏み越えてきている。
そのとき、手にしていたスマホの“動画再生”を止めたのが正解だったのかもしれない。
代わりに、震える手でカメラアプリを起動する。
通常モードじゃない、なぜか自然とビデオ撮影モードに切り替えていた。
それは“現代っ子の性”とか、そういう軽い言葉では片付けられない何かが、私をそう動かしていたんだと思う。
カメラを向けた先に、最初に映ったのは“地面から浮いた足”だった。
白いニーハイソックスに、軽やかなパンプス風の靴。
装飾は控えめだけど、完璧なバランスで整えられている。
草履でもブーツでもないその足元は、現代と異界のどちらにも属さないような、不思議な浮遊感をたたえていた。
私は無言のまま、カメラを上に向けていった。
ふくらはぎ。太もも。フリルのスカート。
白を基調に、赤い縁取りが施された、巫女と西洋のドレスを掛け合わせたような衣装。
腰には和風の垂れ飾りとタッセル。胸元は黒いコルセットで上品に締められていた。
袖はふんわりと膨らんでいて、端には細かなフリルと赤の刺繍。
左手には、まるで神楽に使われそうな丸い団扇が握られている。
視線をさらに上げる。
その顔が画面に収まった瞬間、私は息を呑んだ。
──幻想。
そう呼ぶしかなかった。
目にしたのは、どこか巫女や祭司のような澄んだ気配をまとい、包容力に満ちた優しげな笑みをたたえる存在だった。
大きくて艶やかな青紫の瞳。長いまつげが影を落としながらも、目力はしっかりとあり、どこか懐かしいような……人ではないけど人に近い、そんな不思議な存在感。
髪は腰まであるウェーブ。
黄緑をベースに、水色や青、ピンクのグラデーションが流れるように混ざっていて、小さなパールや珊瑚のような飾り玉が散りばめられている。
両サイドには赤い紐リボンの髪飾りが結ばれ、肩へと垂れ下がっていた。
何も言えなかった。
この存在は“現実”じゃない。
でも、“夢”でもない。
カメラ越しに見たことで、ようやく自分の中の理解が追いついた。
「おぬしには、血が繋ぎ続けた才があるようじゃな」
その声が再び、脳に直接届く。
「そなたの祖は、かつてわらわの地を護る“忍び”であった。今、かの血脈を継ぐ者として、再び“まつろわぬもの”を祓う力を継がせよう」
私は、息を飲んだ。
「……それって、何、選ばれちゃったってこと?」
スマホの画面にはまだ、録画中のアイコンが赤く点滅している。
でも、もう私は録画なんてどうでもよくなっていた。
「さよう。まさしく選ばれたと言えるじゃろう。わらわが最初に選ぶ覚醒者はそなたである。名を告げよ。」
「野元陽葵です。」
「よき名じゃ。陽葵、そなたはわらわの愛し子となり魔窟となった場所に赴きその核を潰してまいれ。」
「……それって……鹿児島市庁舎のこと……?」
「そうじゃ。今そなたが向かうべきはそこ。
この世と異界の境を、忍びとして歩み、視よ。そして、解き放て。」
「忍び……?」
動悸が激しい。足が震えている。
でも、目だけは離せなかった。
「与える能力は血に由来するものでなくては授けることができぬ故な。そなたの能力は忍びじゃ。」
「そんなこと急に言われてもいきなりに柔軟になったり動けたりしないでしょ。私25だよ無茶じゃない?」
「それを可能にするのがわらわの役目ぞ。どれそのがちがちの頭を出すがよい。」
出してもいないのに何かが頭に触れた感触がした。それはさながら……小学生の時に担任教師によって片手で頭を鷲掴みにされぎちぎちと締め上げられた時と似ていた。
「い~ったたたたたたたた!痛い痛い!」
「ギャーギャー騒ぐ出ないわ。ほれ終わったぞ。」
最後に額をデコピンされたような衝撃に思わず体がのけぞる。
まさかこの瞬間から、私の世界は変るなんて思いもしなかった。