聖獣猫シルヴァに助けられてから十日が経った。
僕は一日の大半をシルヴァに抱きついて眠っている。
シルヴァは暖かくてもふもふで、抱きついていると安心するのだ。
そして、起きたらシルヴァの乳を飲んだり、弟犬と遊んで過ごしている。
弟犬とはシルヴァが育てている子犬だ。
一緒にシルヴァのお乳を飲んでいるし、僕より小さいので弟なのだ。
「……わう(おなかへった)」
「自己申告する赤子は、手がかからなくてよいな」
そういうと、シルヴァは乳を飲みやすいように体勢を変えてくれる。
「……ちゅうちゅう(ありがと)」
シルヴァのお乳はとてもおいしい。
横目で弟犬を見ると、よく眠っていた。
「人の子が、聖獣の言葉をあっさり話せるようになるとはな」
「ちゅうちゅう(のえる、ちゃんと話せてる?)」
「うむ。話せているぞ。見事なものだ」
「ちゅぅ(やはり……のえるは天才だったか)」
「聖獣の言葉は、音では鳴く魔力の動きで意味を伝えるとはいえ……」
だから、発する音は、ニャーでもワンでも何でもいいらしい。
舌足らずの八か月の僕には都合が良い。
ちなみに、今のシルヴァは魔法を使って、人の言葉を音として発して話してくれている。
「そもそも、ノエルぐらいの月齢の人族は言葉を理解しないのではないか?」
「ちゅうちゅう(やはり、そこは天才だからね?)」
僕の天才という言葉をシルヴァはスルーした。
「……やはり転生のせいやもしれぬな」
恩人、いや恩猫であるシルヴァには僕の事情はわかる限り全部話してある。
隠す必要があるとは思わなかったからだ。
どうやら、僕は最初から聖獣の言葉を話せたらしい。
僕が「ノエルはうまくない!」と威嚇したときに、シルヴァはそのことに気づいたらしい。
「ちゅう(転生チートか?)」
「また、わけのわからぬことを」
あきれたようにそういうと、シルヴァはふぅっと息を吐いた。
「今は舌が発達しておらぬゆえ、仕方ないが……なるべく人の言葉を話せるよう努力するがよい」
僕が人の言葉を話せるようになるために、シルヴァは敢えて人の言葉を話してくれているのだ。
「ちゅうちゅう(わかった! ありがと!)」
僕がお腹いっぱいになった頃、
「きゅうきゅう」
隣で寝ていた小さい犬が目を覚ました。
お乳を飲みたがっているので、お乳を飲みやすい位置に弟犬をずらしてやる。
「ちゅうちゅう」
弟犬は元気にシルヴァのお乳を飲む。
「わふ~(はよ、おおきくなれ)」
僕は弟犬を撫でてやった。
弟犬もすくすく育って、無事目も開き、乳歯も生え始めた。
弟犬は、僕が母様が恋しくて泣いていると、いつもペロペロ顔を舐めてくれる。
僕が壊れた首飾りを握りしめて、母様のことを思い出して泣いているときなど特にそうだ。
だから、弟犬がさみしくて泣いているときは、僕がぎゅっと抱きしめている。
すると、いつもシルヴァが僕たち兄弟を覆うように体で包んでくれるのだ。
お乳を飲み終わると、弟犬がじゃれついてきた。
「きゃうきゃう」
「にゃああ~(あにの力を見せてやる!)」
「きゃう~」
「がうがう!(あにに歯をたてるな!)」
生えたての乳歯でかみつこうとするので、仰向けにひっくり返してやった。
僕はまだ八か月だが、弟犬より体が大きいぶん力が強いのだ。
「がうがうがう!(ほれほれほれ!)」
弟犬の柔らかいぽっこりお腹を優しくなでなでしまくる。
兄として、弟に負けるわけにはいかないのである。
「きゃふきゃふきゃふ」
弟犬は嬉しそうに尻尾を元気に振っている。
この十日間で、シルヴァからもいろいろ教えてもらった。
ここは腐界の中の、死の山という場所らしい。
人も動物も近寄らない場所だという。
その瘴気は弱い人や弱い動物が吸い込めば、体に不調を来たすとのことだ。
腐界には、弱い動物たちがほとんどいないかわりにに魔物が住んでいる。
魔物は、瘴気から生まれたり、動物が瘴気に飲まれて変化したりしたものらしい。
瘴気自体は邪神によって作られたものだ。
その瘴気を拡散するのが魔物らしい。
邪神の領域、つまり瘴気に汚染された場所である腐界を広げることが魔物の使命とのことだ。
そして、魔物を討伐し腐界の拡大を防いでいるのがシルヴァたち聖獣なのだ。
『我がノエルを人里まで送ってやることができればよいのだが……』
「わふわふ~(しかたないよ。ありがとね)」
シルヴァがここにいることで、周囲の魔物の発生を抑えているのだという。
シルヴァが抑えていても、毎日のように魔物がわいてくるほどだ。
もしシルヴァが離れれば、数時間で大量の魔物が発生し、腐界が拡大する恐れがある。
「わふ~(そなたも大変だな?)」
「きゃう?」
弟犬は楽しそうに尻尾を振りながら、僕の顔をペロペロ舐める。
僕が保護された数日前にも魔物が大量に発生し、激しい戦いが起こったのだという。
そして、弟犬の両親と兄弟、シルヴァの子供達が亡くなってしまったのだ。
「わうわふ(いつか、ノエルも弟とシルヴァと一緒にたたかわなければな?)」
「ノエルはそのようなこと考えなくてよい……だが、この子は……」
「わう?(聖獣だから?)」
「そうだ」
シルヴァは僕にいつか人里に戻るべきだという。
もちろん、僕も母様や父様、それに兄様にも会いたい。
だが、シルヴァや弟を手伝いたいという思いもある。
「わふ~(そなたは強くならないとな?)」
「きゃふきゃふ」
僕がはしゃいでいる弟犬を撫でているとシルヴァが言う。
「狩りに行ってくるゆえ、この子を頼む」
「がう!(弟のことはのえるにまかせろ!)」
シルヴァは日に一度は巣穴を出て狩りをする。
魔物を退治するついでに、食料を確保するためだ。
ヘドロまみれでとても食べられなさそうな魔物だが、倒すとヘドロが消えるらしい。
そしてヘドロが消えた魔物はとても美味しく、栄養価も高い。
ヘドロのせいか、寄生虫も細菌もないため、生でも食べられるらしい。
ちなみに、僕と弟犬はシルヴァのお乳を飲んでいるので魔物の肉は食べたことがない。
そもそも、赤子の僕が腐界の中で生きていられるのは、シルヴァの乳を飲んでいるかららしい。
聖獣の乳には、飲んだ赤子に瘴気耐性をつける力があるのだという。
「わふ~?(シルヴァが戻ってくるまで、しずかにしないとな?)」
シルヴァがいない間に、音を立てて魔物を呼び寄せたら困る。
「きゃう?」
だが、弟犬はよくわかっていなさそうだ。
嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振りながら、じゃれついてくる。
「わう~(しかたないなー)」
「きゃふきゃふ」
弟犬とゴロゴロ転がって遊ぶ。
シルヴァがいないときに静かにしていると、不安で、さみしくて、泣いてしまいそうになる。
母様が恋しくて、父様と兄様にも会いたい。
そんな気持ちを誤魔化すように、弟犬と遊ぶのだ。
母様に会えないだけの僕でこれほどさみしくて悲しいのだ。
両親と兄弟を亡くした弟犬は、もっとさみしくて悲しいに違いない。
だから、僕は泣かないようにする。
「がう~?(そなたはアラスカンマラミュートに似てるな?)」
「きゃうきゃう?」
アラスカンマラミュートというのは、前世か何かの知識にあった犬種だ。
寒いところに住む大きな犬で、ハスキー犬に似ているが、より大きくてずんぐりしている。
弟犬はころころしていてとてもかわいらしい。
じゃれつく弟犬と遊びながら、シルヴァを待っていたら、突然背筋がぞくりとした。
「む!」
慌てて巣穴の入り口を見ると、ヘドロの塊のような魔物がいた。
大きさは中型犬程度だが、すごい悪臭を放ちながら、ゆっくりと巣穴の中へと入ってくる。
「ぎゃうぎゃうぎゃうぎゃう!」
弟犬は尻尾を股の間に挟みながら精一杯吠えかける。
だが、魔物は全くひるまない。
「GURROOOO」
魔物が一声低い声で吠えると、
「きゃん!」
それだけで弟犬の戦意は喪失しプルプルと震え始めた。
弟犬は親兄弟を魔物に殺されてしまったのだ。怯えるのは仕方がない。
弟を守るのは兄の務めだ。
僕は魔物と弟犬の間に入って、立ち上がる。
まだ八か月なので一歩しか歩けないが、頑張れば立つことはできるのだ。
「ふしゃあああ! (でていけ!)」
転ばないように頑張って、仁王立ちになると精一杯威嚇する。
「GURYAAAAAA!」
魔物はそんな僕に向かって吠えてくる。本当に怖い。
泣きそうになるが、ぜったい泣かない。
「ふしゃあああああ! (こっちくんな!)」
「GUYAAAAA!」
一声鳴くと同時に、魔物が何かを飛ばしながら突っ込んできた。
「ひぅ!」
咄嗟に僕は自分の身をかばうように、手のひらを魔物に向けた。
「GYAUN!」
「む?」
なぜか魔物がひっくり返っている。
よくわからないが、今がチャンスだ。
「ふしゃああああ! (ゆるさんぞ!)」
全身で魔物の上に倒れ込む。
「がうがうがうがう! (こいつめこいつめ!)」
そして、全身で押さえ込んで握りこぶしでバシバシ叩く。
ものすごく臭いし、ヘドロまみれになるが気にしてはいられない。
「GUAAAA!」
魔物がまるでにたりと笑うように、口を開いて表情をゆがめた。
喉の奥から生臭い息が漂ってくる。
「ふしゃああ! (させない!)」
精一杯、威嚇しながら思いっきり叩くが、魔物には全く効いていないようだ。
だが、今諦めたら、僕も弟犬もやられてしまう。
魔物が、鋭い爪を見せびらかすようにして、ゆっくりと前足を伸ばしてくる。
じっくりと楽しみながら、僕を斬り裂こうとしているかのようだ。
その爪が僕に届きそうになったとき、
「にゃあああ! (下郎が! ゆるさぬ!)」
シルヴァが駆けつけてくれた。
シルヴァは一瞬で魔法を使い魔物を仕留めてくれる。
「ノエル、大丈夫か?」
「……わ、わふ(だ、大丈夫)」
「怪我は……無いようだな。肝が冷えたぞ。無理をするな」
そういって、シルヴァは僕に頬ずりする。
「へへへ」
「きゅーんきゅんきゅん」
弟犬が駆け寄ってきて、僕の顔をベロベロ舐める。
「わふ?(けがはない?)」
「ないようだな。そなたも無事で良かった」
そういいながら、シルヴァは弟犬を優しく舐めた。
それから、シルヴァは魔法で僕についた汚れを綺麗にしてくれた。
シルヴァの魔法のおかげで、僕も弟犬も常に綺麗なのだ。
「わう(ありがと)」
「すまぬな。小さい魔物を見逃しておった」
どうやら、とても弱い魔物だったので逆に見つけるのが難しかったらしい。
「ノエル。改めて礼を言う。よくぞこやつを守ってくれた」
「がう~?(兄だからな?)」
「くーん」
弟犬は怯えて戦えなかったことが恥ずかしいらしい。
申し訳なさそうにしている。
「そなたは赤子なのだから恥に思うことはない」
シルヴァは弟犬のことを優しく舐める。
「がう?(そうだぞ? のえるに任せるといい)」
僕も弟犬を撫でまくった。
そうしていると、シルヴァは僕の頭の上に肉球を優しく置いた。
僕には毛皮がなく、シルヴァの舌はザラザラなので、シルヴァは僕をあまり舐めないのだ。
「……ところでノエル。そなた魔法を使ったな?」
「む?」
「我のものでも魔物のものでもない攻撃魔法の気配を感じたのだ」
「むむう? (魔法なんてつかったことないけどな?)」
「なにがあったのだ? 詳しく聞かせよ」
「わふ~(えっと……)」
弟犬を撫でながら、詳しく起こったことを丁寧に説明した。
「どうやら、ノエルは無意識で魔法を使ったようだな」
「がう?(そんなことある?)」
「そもそも、こうして話していること自体、魔法ではあるゆえな?」
魔獣の言葉は音ではなく魔力の動きで意味を伝える。
つまり魔力消費は極めて微量ではあるが、発話自体が魔法の一種と言うことらしい。
「わふわふ~(やはり……のえるは魔法の天才だったか)」
シルヴァは少し首をかしげて考えた。
「魔法を教えた方がよいやもしれぬ。無意識に魔法を使えば暴走の危険もあるゆえ」
「がうがう!(魔法! やった! 教えて教えて!)」
「きゃうきゃう」
どうやら、弟犬も魔法を練習したいと言っているようだった。