ノエル誘拐事件から半年後。
エルファレス辺境伯家の離れを改築して作った魔導具研究室。
そこにノエルの母カトリーヌはこもり続けていた。
「…………血縁による魔力回路の類似性に基づいて波長を探すのだから……効果範囲が……」
カトリーヌはぼそぼそ呟きながら、魔導具の開発に集中していた。
そのとき扉がノックされる。だが、カトリーヌは気づかなかった。
返事がないことには慣れた様子で、ノエルの父フィリップが中に入ってくる。
「カトリーヌ。おはよう。とはいっても、もうお昼だけどね」
フィリップは悲しげにカトリーヌを見つめる。
カトリーヌはこの半年、ろくに寝ていないのだ。
目は血走り、目の下には濃い隈ができていた。
きめ細やかだった肌は荒れ、吹き出物ができ、美しかった赤い髪はぼそぼそだ。
風呂にも数か月入っていないので、部屋のなかには嫌な臭いが漂っている。
「おはよう。フィリップ。目の下に隈が出来ているわ。ちゃんと眠れている?」
だというのに、カトリーヌはフィリップの心配をする。
「ああ、充分眠れているよ。カトリーヌこそ、少しは休まないとだめだよ」
そう言うフィリップだが、本当は眠れていない。
ノエル誘拐後、隣国は辺境伯家の領地に侵攻を開始した。
それをノエルの祖父である辺境伯と協力して撃破し続けている。
しかもその合間に、フィリップはノエルの情報を探り続けていたのだ。
「……フィリップ、あと少しだと思うの。もう少しでノエルを探し出せる魔導具が完成するの」
あと少し。カトリーヌがそう言い続けて三か月になる。
カトリーヌは天才と称えられる魔導具師だ。
そのカトリーヌであっても、いなくなった者を見つけ出す魔導具を開発することは難しかった。
もちろん、フィリップもカトリーヌもノエルの生存が絶望的なことはわかっている。
だが、それでも、愛する我が子の死を受け入れることができなかった。
「どこで行き詰まっているんだい?」
フィリップは剣士であり、魔導具に関しては素人だ。相談には乗ってやれない。
だが、話すことで頭が整理されることもあるだろうと優しく問いかける。
「ほら、魔力回路って血縁があると、波形が似てくるでしょう?」
「そうだね」
カトリーヌは対象と類似性を持つ魔力回路を見つけ出す魔導具を開発しようとしていた。
「でも、その見つけ出す効果の及ぶ範囲が狭すぎて、とても実用には使えないのよ」
「うん」
「あと少しなの。もう少しで完成するはずなの」
広大な腐界の中で赤子を探すのは、砂漠に落ちた針を探すようなもの。
たとえ死の山付近だとわかっていたとしても、死の山も広いのだ。
居場所を特定する魔導具がなければ、ノエルを見つけることは不可能だ。
「急がないといけないのはわかる。だが適度に休息した方が効率があがるんじゃないかい?」
「……そうかしら?」
「そうだよ。だから少しだけ眠るといい」
「でも」
フィリップは寝かしつけようとしたが、カトリーヌは寝ようとしなかった。
「母上!」
そこにノエルの兄フランツが入ってくる。
「フランツ。おはよう」
「おはようではありません!」
近づいてきたフランツを、カトリーヌは優しく抱きしめた。
「ごめんなさいね。かまってあげられなくて……でも母は……」
「わかっております。ノエルの行方を僕も調べているのですが……」
フィリップが調べてもわからないことを、子供であるフランツが調べてわかるはずもない。
「フランツ。もう少しなのよ。もう少し。」
「でも、母上が倒れられたら、魔導具は完成しません」
「そうね、だから母は倒れないわ」
「いえ、このままだと倒れます。だから寝てください」
真剣な表情でフランツは言う。
「でも……」
「でもではありません! 母上が病気になられたら、ノエルが悲しみます。もちろん僕も」
「そうだよ。もちろん私も悲しむ。どうか寝てくれ」
フランツとフィリップに説得され、やっとカトリーヌは眠りについた。
フランツとフィリップはカトリーヌが眠ったのを確認して、研究室を出る。
「父上。大賢者様宛てにお手紙を書きました」
「大賢者様に?」
フィリップは驚愕した。
大賢者とは、史上最高と称えられている
およそ千年前、建国王の友人として、建国を助けたことでも知られている。
公的な称号は、大賢者の他に、王の師、王の友人、王の顧問官、選帝大公、魔導元帥。
他にも、半神、聖者にして聖女、神の愛し子にして神の使徒とすら言われている。
だが、どれもこれも伝承や儀式、信仰の中でのお話。実在を信じている者はほとんどいない。
王家が自分の王権の正当性を主張するための舞台装置であると言われている。
一部の魔導師は大賢者の弟子の弟子の弟子といった系譜にあることを誇っている。
だが、それも単なる権威付けだと思われていた。
辺境伯の嫡子たるフィリップも、大賢者には会ったことがないほどだ。
だが、ノエルの祖父である辺境伯フレデリックは一度会ったことがあるらしい。
だから、実在の人物ではあるのだろう。
「……どのような手紙を出したのだ?」
「母上がノエルを見つけるための魔導具開発に行き詰まっているから助けてほしいと」
「……そうか」
返事など来るはずが無い。
どんな大貴族だろうと王族だろうと、大賢者が相手にすることはないのだ。
「それで、昨日、大賢者様からお返事が来たのですが」
「え?」
更にフィリップは驚愕した。
大賢者が動くのは国が滅びかねないほどの事件が起きたときだけだ。
貴族の子息が行方不明になった程度では動かない。
そう辺境伯フレデリックは言っていた。
「だ、大賢者様はなんと?」
「近々向かうと」
「……な、なんと」
フィリップは大賢者がいつ訪れてもいいように、準備を始めた。
その十時間後。
カトリーヌが目を覚ますと、暗い研究室の中に見知らぬ人がいた。
小さなろうそく程度のまぶしさの魔法の暗い光だけが室内を照らしている。
「ふむ? 起きたか?」
その人物は平然と、カトリーヌを見る。
見知らぬ人物が、室内にいたのだ。普通であれば叫び声をあげるところである。
「あ、あなたは?」
だが、カトリーヌはただ尋ねていた。
その者のあまりにも落ち着いた様子と、逆らいがたい雰囲気に飲まれたのだ。
二十歳前後のエルフに見える。長身で長い黒髪を持ち、美女にも美男子にも見えた。
「うむ。我は魔導具に詳しい魔導師である。人は我を大賢者と呼んでおるがの」
何でも無いことのように言うと、カトリーヌが開発中の魔導具を手に取る。
「そなたの息子に頼まれた。魔導具開発を手伝ってやろう」
「な、なんと……どうして?」
「不服か?」
「い、いえ! ただ、どうして大賢者様が……」
おとぎ話の中の人物だ。
フランツが頼んだ程度で手伝ってもらえるわけがない。
「そなたの魔導具の才は気になっていた。それに……」
「それに……?」
「気まぐれだ」
そういうと開発中の魔導具を一瞬で分解し、作り直す。
「うむ。この発想はなかった。斬新だな。来て良かった。課題はどこにあると考える?」
「あ、はい! 効果範囲が――」
カトリーヌにとって、大賢者がどうしてここにいるのかなどはもはやどうでもよかった。
ノエルを見つけ出す魔導具が開発が進みそうなこと。
それだけが大事だったのだ。
カトリーヌと大賢者は、その日から協力して魔導具開発に邁進したのだった。