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第10話

汐音は、自分の悲鳴が御堂に届いたかどうか、分からなかった。


他人に頼るのは危険だと悟り、隙を見てエレベーターの操作盤に体当たりし、全ての階のボタンを押した。


丸刈りの男は叩きのめそうとしたが、彼女が龍神組の若頭に顔を見せるため傷をつけられないと気づくと、罵声を吐いて手を引っ込めた。


エレベーターは階々で停止し、ドアが開くたび汐音は必死に飛び出そうとしたが、その度に男たちに引き戻された。


絶望的なことに、誰一人エレベーターを待っている人影すらなかった!



恐怖が汐音の心臓を締め上げた。


相手が人違いなのか、それとも女性を狙った組織なのか判断できず、鼓動が肋骨を叩くように激しく鳴った。


19階で「チーン」と音がし、ドアが開いた。


そこに立っていたのは——御堂だった!


「御堂!」思わず声が漏れた。


御堂の目は氷のように冷たい。


「私の妻をどこに連れて行くつもりだ?」


「お前は誰だ? 俺たちの邪魔をする気か?」

丸刈りは御堂の紳士然とした風貌を見て、嘲るように言った。



「邪魔する気はない」御堂はシャツの袖口のボタンを外しながら、薄く笑った。「ただ、僕の可愛い妻のメイクを台無しにした代償は払ってもらわないと」


「ふざけんなよ! 余計なお世話の代償を教えてやる。行け!」丸刈りが哄笑した。



その声より早く、御堂の拳が丸刈りの顔面に突き、鼻血が噴き出した。


手下二人がエレベーターから飛び出す!


御堂は片手で一人の襟首を掴み、もう一方の拳を相手の顔に叩き込んだ。


腕の筋肉が締まり、青筋が浮かぶ。


高級スーツに包まれた野性が剥き出しになり、凶暴性が露わになった。


もう一人が背後から襲いかかるが、御堂の蹴りが腹部を捉え、金属製のゴミ箱を倒しながら転がった。


不利な状況と見るや、丸刈りは焦って仲間を呼んだ。


すぐに部屋から五、六人の男が飛び出し、乱闘となった。


御堂は劣勢ではなかった。


ビジネスの場で障害を一掃する時と同じ、容赦ない拳の切れ味。


汐音は以前その姿を見たことがあったが、今なお戦慄を覚えた。


しかし、多勢に無勢。


誰かの拳が御堂の背中を捉えた!


「御堂!」


汐音が叫ぶ。


「馬鹿か、お前。スマホで通報する頭も回らなかったのか? 未亡人になりたくてたまらないのか?」

御堂はよろめき、苦悶の声を漏らすと、口元を歪めて言った。


「振袖姿でスマホなんて持ってるわけないでしょう!」汐音は怒りで声を震わせた。


御堂は襲いかかる男を蹴り飛ばすと、自分のスマホを彼女に投げた。


「警察を呼ぼう」


汐音は慌てて受け取り、即座にダイヤルした。


「もしもし! 110番ですか? 通報します! 私の旦那様が…複数の男に襲われています!」



**三十分後、交番にて**


「誤解です、全て誤解でして…」


「刑事さん、本当に人違いで。この女性を別人と勘違いしまして…」


丸刈りはへつらうように笑った。


警察の到着が早く、手下共々逮捕された。


誘拐、監禁、傷害——暴力団関与の嫌疑は、数年分の刑務所生活を意味した。


「お前は耳が聞こえないのか? 何度『知らない』って言われてる! 監視カメラにもはっきり映ってるぞ!」刑事が叱責した。


「ああ、本当に悪かったなあ! 約束しておいてドタキャンしたと思い込んでたんです! まさか東京の御堂様の奥様だなんて…」丸刈りは腿を叩いた。

御堂夫妻のいる隅へ向き直り、さらに媚びた笑みを浮かべた。

「御堂様、私の親分も昔東京で顔が利いて、御堂宗一郎会長ともご縁が。どうか東京でご接待させてくださいませんか? この件、お流しに…」


半月足らずで二度目の交番。


だが今回は被害者だ。


御堂は鉄製の椅子にだらりと腰かけ、スーツジャケットとネクタイは傍らに放り出され、シャツのボタンは二つ外れていた。


「ガイド代など必要か?」むき出しの不穏な気配を漂わせて、言った。


「では…御堂様のご希望は?」丸刈りが唾を飲み込んだ。


「誰が彼女の膝を蹴った?」御堂は一言だけ訊いた。


汐音は思わず御堂を見た。


警察が鎮圧した直後、司は真っ先に汐音のもとへ来て「どこをやられた?」と訊ねたのだ。


反射的に首を振ったが、御堂は全身を一瞥するや、振袖の裾にある靴跡を見つけていた。


「は、はい、私がやったのです」丸刈りが言葉を詰まらせた。


御堂はタバコに火をつけ、煙をくゆらせた。刑事がまだいるのも構わず、言い放った。


「自分の足を一本折れ。それなら見逃してやる」と。


「御堂様、そこまですることないでしょう? 奥様に怪我はなかったじゃないですか?」丸刈りの表情がこわばった。


「怪我していたら、片足では済まなかった」御堂は嘲笑った。「俺のは純粋な人間だ。妻に手を出すなら、足一本だけでいい」


それは脅しではない。


本気だった。


丸刈りの顔色がさらに青ざめたが、心の中では「割に合う取引か」を真剣に考えていた。


親分に迷惑がかかれば、足を折られるどころではない。


「ここは何の場所だと思ってる! 何を言うか!」刑事が怒鳴った。


「刑事さん、御堂様は冗談を! 本当に長い付き合いの仲なんです! 私と御堂様で話をつけますから、示談にできればご迷惑をかけずに済むこともできるし?」


丸刈りは慌てて立ち上がった。


さすが社会の裏を渡り歩く者、警察への対応も慣れたものだ。


何より御堂の手口も苛烈で、手下数人は救急搬送されている。


こじれれば双方に不利益だった。


刑事は御堂の方を見た。


否定する素振りがないのを確認し、部屋を出た。


丸刈りはタバコを取り出し御堂に差し出そうとした所へ、


「足は結構。代わりに、ドタキャンした女の子には手を出さないこと」と汐音が口を開いた。


「はいはい! 先祖に誓って誰にもてを出しません!」丸刈りは一瞬驚いたが、すぐに保証した。


「それでいいわ」汐音が立ち上がった。

御堂が顔を上げた。


「それで済むのか?」


明らかに不満げな口調だ。


「私たちは伊藤の結婚式に来ているの。祝うべき日に迷惑はかけられないわ」


それに、汐音と御堂が訴えなくとも、丸刈りらの暴行罪は刑事が処罰するので。


足を折れば一時の満足は得られても、ドタキャンした女性が報復対象になる。


汐音は常に他人が見落とす点を気にかける。


生まれつきの「白衣の天使」の性分なのかもしれない。


御堂はしばらく汐音を見つめ、やおら立ち上がった。


「殴られたのは俺じゃない。お前がいいと言うならそれでいい」


汐音に賛成しつつも、その口調には常に「好きにしろ、どうでもいい」という冷たさを滲ませるのだった。


伊藤家は事態を把握し、後処理のため信頼できる者を派遣していた。


残りの手続きはその者に任せた。


交番を出ると、汐音は突然御堂の背中に手を伸ばした。


御堂が「フゴッ」と息を呑み、彼女の手首を掴んだ。


「何を触る?」


見下ろすように問い返す。


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