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第34話

汐音が蓮を「兄ちゃん」と呼ぶのは、かつて彼が法律上の兄だったからだ。


汐音が五歳になったばかりの頃。


千島の母が突如、稀な神経変性疾患を発症した。


国内外の専門医も手を焼き、病状は悪化の一途を辿る。


医学が無力と悟った父は、京都の名高い占い師を妻と共に訪ねた。


師は二人の命格を推し量り、「商売で知らぬ間に殺生を重ね、福徳を損ねた故の災い。特異な命格を持つ童男を屋敷に迎えねば、禍を転じられぬ」と断言した。


千島の親族に該当者はいない。


やむなく養子を探すことにし、児童養護施設で特異な命格を持つ蓮を見つけ、養子とした。


占いの効果は定かでないが、蓮が千島家にいる間も母の病状は安定せず、薬は欠かせなかった。


八年後。


汐音十三歳、蓮十八歳の時。


警察に連れられた中年男性が現れ、蓮が行方知れずだった実子だと名乗り出た。


DNA検査で確認後、千島夫妻は蓮の選択を尊重した。


彼は実父のもとへ戻る道を選び、千島家との養子縁組を解消した。


その後、千島家が火事に遭った際、高杉蓮は汐音を連れ出そうとしたが、彼女は御堂家に残ると言って譲らず、二人は別れた。


十年の時は瞬く間に過ぎ去った。


「父が亡くなった」

楓町の木漏れ日の中、高杉蓮の声は低く響く。


「一族の狸どもとやり合うのに忙しくて、お前に構えなかった。帰国したら、もう嫁いでいて…兄の不覚だった」汐音は首を振った。


「事情があるんだろうなとは思ってた」


「兄ちゃんは窮地でも必ず切り抜ける運の強さがある。無事に戻ってきてよかった」


「御堂家は…お前を大切にしているか?」高杉蓮は深い眼差しで汐音を見つめた。


「涼子様は母の親友で、実の息子よりずっと可愛がってくれる」汐音はバニララテをかき混ぜながら、視線を逸らした。


雪丸が突然「ワンワン」と吠え、汐音は流れで腰をかがめて頭を撫でた。


「司は? 彼と結婚して幸せなのか?」高杉景南は詰め寄る。

「ええ」


「だったら、あの時バーで泣いていたのはなぜだ?」蓮は眉をひそめた。「もう限界だろう。離婚しろ。兄ちゃんには今、十分な金がある。一生面倒見てやる」


「十分って、いくら?」汐音は思わず笑った。

「奴が承諾しなければ、10億円を叩きつけてやる」高杉蓮は挑むように眉を上げた。「小さい頃、そういう展開が一番好きだっただろう?」


「それなら我慢するわ。10億あれば一生ラブラブ夫婦の芝居が打てるもの」


高杉蓮の目が鋭く光り、さっと立ち上がった。


「兄ちゃん!」汐音は慌てて蓮の手首を掴む。


「奴は会社か? それとも家にいる?」


「大したことじゃないの…花を買い忘れたから、私が拗ねてただけ」


「携帯を貸せ」高杉蓮はしばし黙り、手を差し出した。


番号を登録し、汐音のLINEも追加した。


「今は三菱UFJ銀行アジア太平洋地域総裁に務めている。東京本社に常駐だ。何かあったら、いつでもご連絡ください。軽井沢の別荘(13棟)のパスコードはあなたの誕生日に設定している。2階左奥の広いお部屋は、いつでもあなたのために空けている。」


汐音の目頭が熱くなった。


汐音が得られる温もりは少なすぎたから、一つ一つがかけがえのないものに思えた。


「兄ちゃんが銀行家だったなんて」汐音は目を細めて笑った。

鎌倉の別邸に戻ると、やはり司は帰っていない。


汐音は当然のように思った。


明里の誕生日だ。


あの親子に付き合うのは当然だと。


翌日の夕方、田中夫人が何度も門を気にする。


「ご主人様は今日戻るとおっしゃっていましたが…」


汐音は雪丸の毛を梳かしながら言った。


「田中夫人、これから草むれに連れて行かないでください。虫に刺されちゃって」


「ああ…奥様、ご主人様に夕食のご用意をお伺いいただけますか?」


汐音は渋々電話をかけた。


「寂しかったのか?」司の声には含みがあった。


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