フェオドラードから聖女の話を聞いた時、召喚を阻止出来ないか考えていた事もあったが、実際に召喚する術を研究しているところを見ると、私1人でどうにか出来る問題ではなかった。
教会自体の力もすでに強大で、私が聖女召喚の研究をしているなど大臣たちに言ったところで、信じる者などいないだろう。
頭がおかしくなった王妃が、狂言を言っているとしか思われないだろうな。
アレクシオスに相談する事も考えたが、きっと結果は同じだ。
私の味方などこの国にはいない……この国どころか母国ですらも。
そこまで考えて、この事について口外する選択を捨て、阻止する事は断念した。
もしかしたらフェオドラードもそれを見抜いていたからこそ私に研究を見せたのかもしれないな。
それよりも教会に聖女を渡し、王族を排除されるわけにはいかないと考え、もし召喚されたらその聖女をヴィルヘルムと婚約させようと密かに考えるようになっていた。
しかし、クラレンス公爵が邪魔をする。
あの女が生んだ娘とヴィルヘルムを婚約させてしまったのだ。
どこまでも邪魔な一家だ。
この娘がいる限り、私の計画は思うように進まないだろう。
ヴィルヘルムの相手が思うようにいかなかった場合の保険ではないが、もう一人世継ぎが欲しいと私は考えたのだった。
そうして生まれてきたのが、第2王子のフェリクスだ。
フェリクスはヴィルヘルムとは真逆で、見た目も私にそっくりだった。
そして大きく違ったのが、第2王子だからなのか自分の手で育てられたという事だ。
私は、私の腕の中で微笑むフェリクスが可愛くて愛おしくてたまらなかった……見た目もそっくりな事もあり、自分の分身のように感じ、フェリクスの憂いを全て取り払ってやりたいとすら思うようになっていく。
自分の中にこのような愛情があったというのが、私自身でも驚きだった。
「フェリクス、私と庭で遊ぼう」
ヴィルヘルムはよくフェリクスの元に通い、思った以上にフェリクスを可愛がっている……二人の見た目が私とアレクシオスにそっくりなので、兄弟が仲良さそうにしている姿を見ると、気恥ずかしいような居心地が悪い気持ちになるので、あまり私は歓迎出来なかった。
私とアレクシオスもこのように仲良くなれる未来があれば、また色々と違っていたのかもしれないと考えるが、アレクシオスの心には最初から違う女性がいたのだから、もしもの事などあり得ないと雑念を振り払う。
しかし、フェリクスはヴィルヘルムをたいそう慕っていたので、フェリクスから兄を奪ってしまうのは私の本意ではない。
フェリクスが何にも縛られず、自由に生きられる世界を維持していかなければ……やはり聖女の件は見過ごせないな。
ヴィルヘルムには何としても聖女と婚約してもらわなくては。
そうは言っても私には味方と言える人間はほとんどないので、伯爵令嬢のブランカを唆し、周りの令嬢を味方につけ、オリビアを徐々に孤立させていく作戦に持っていった。
やがて噂はヴィルヘルムにも浸透し、ますますオリビアは孤立していく。
私とのお茶会ですぐに体調を崩すような軟弱者に王太子妃が務まるわけがない。
しかし、なぜかある時を境にヴィルヘルムはオリビアを追いかけるようになる……なぜだ?
あれほど嫌悪していたにも関わらず、領地まで追いかけて、二人で教会の人身売買まで暴いたというのだ。
私には出来なかった事を次々と解決していく2人を見ると、聖女が入り込む隙がなくなっていくようで、私の中に大きな焦りが生まれてくる。
ヴィルヘルム……どこまでもお前は私を地獄に落とそうとしていく。
もはや関係が修復不可能なところまできてしまったのだな。
それと共に、私から完全に独り立ちしていこうとする息子の姿を見守るべきなのか……
そんな事を鬱々と考えながら、王宮内を歩いていた時の事――――
陛下の執務室から珍しく声を荒げているクラレンス公爵の声が聞こえてきたので、私は物音を立てず、そっと扉に耳を欹てる。
「…………ようやくオリビアから検出された毒の成分が分かったのに……まさかこのような危険なものが出回っているとは!」
「うむ…………この植物は我が国では生育出来ぬ。これは他国から…………いや、簡単には…………」
扉の中の声なので、よく聞き取れぬな。しかしオリビアから検出された毒?どういう事だ……?
しかも危険なものが出回っているというのは……この話は知らぬ存ぜぬではいかんな。
私も把握しておかねばならない話だと判断した私は、陛下の執務室とは言え、ノックもなしに入った。
――――ガチャッ――――
「大の男が二人で声を荒げ、何を話しているのかと思えば……クラレンス公爵もいたのか。そなたが声を荒げているところを初めて見たぞ」
扇で顔を隠しながら、陛下と公爵をみすえる。二人はまさか私に話を聞かれるとは思っていなかったのか、思い切り目を見開いて驚いていた。
「幽霊でも見ているかのような顔だな。陛下も……話は廊下に漏れ出ておりますぞ。それにしても先ほどの話は本当なのですか?オリビアから毒が検出されたというのは……しかもそれは我が国では出来ない物のようですね」
「そなたは………………ふむ、まぁよい。そなたにも聞きたい事がある。我々の話を聞いたならかえって好都合かもしれん」
「陛下!」
クラレンス公爵はこの話を私に聞かれたくなかったのだな、かなり動揺している。
いつものらりくらりしているこの男が、ここまで動揺するのを初めて見た。それほど重要な話らしいが…………
「よい、この話の真偽を確かめるにはどの道王妃よ、そなたに話を聞かねばならなかった。オリビア嬢がそなたのお茶会に出席すると体調を崩しがちになっていたのは知っているな?」
「?は……それは存じておりますが、それが何か?」
「何か原因があるのかと思い、公爵はオリビア嬢の血を調べたのだ。そこでとある毒が検出された」
「…………まさか、私のお茶会でその毒が盛られた、と?」
「そこまではまだ分からぬ。私が確かめてほしいのはこれだ…………この植物を知っているか?」
私は陛下から渡された一輪の花を手に持った。私の温室にはおびただしい植物が生育しているが、青い花をつけたこの植物は正直全く見た事がない。
このような美しい花を一目見れば、必ず私の温室の仲間に加えているだろう。
「これは…………何の植物です?私の温室にもない種類かと。初めて見る花です」
私の反応に公爵と陛下は顔を見合わせている。何なのだ?
「……この植物が何だと言うのです?」
「うむ。この植物は希少でな、我が国では生育出来ない。北の一年中寒い地域でしか育たぬもので、数も多くない」
「? それは残念ですね。このように美しい花なら、私の温室で育ててみたいと思うておりましたのに」
「オリビア嬢に盛られていた毒は、この植物から精製されているものだという事がやっと分かった」
私が驚き立ち尽くしていると、クラレンス公爵が詳細を話し始める。
「この植物は”デラフィネ”と言って、ごく稀に香草として流通していますが非常に高価で希少な植物なのです。そしてオリビアが摂取したのは恐らくお茶に混入されて飲まされていたのかと……お茶に入れるには乾燥させて粉末にするか、エキスを抽出するか…………どちらも作るにはとても時間がかかります。随分時間がかかりましたが、ようやく摂取した者にどういった症状が出るのかが分かったのです」
「どうなるのだ?」
「粉末状で摂取すると媚薬になり、抽出したエキスを液体に混ぜると…………量によっては劇薬になります。但しごく少量なら神経や精神に影響を与える程度で済みますが、量を間違えると発作を起こし、死に至らしめます」
「今のところこの植物自体は非常に手に入りにくい故に、そこまで警戒する必要はないだろうが」
陛下は手に入りにくいとは言うが………………植物……豊穣の力………………増殖………………
「…………まさか、それで聖女の力が?」
私は自分でも気付かない内に声に出していたようで、私の言葉を聞いて二人が一斉に私の方を見る。
陛下がかつてないほどの冷ややかな目をしながら私を見据えていた――――
「…………王妃殿下、聖女とは?」
「……………………………………」
クラレンス公爵が恐る恐る私に聞いてきたが、それに対して言葉が出て来ない。
なんて説明すればいいのだ?
聖ジェノヴァ教会が聖女の研究をしていて、もうすぐ召喚されるかもしれないと?
こんなバカげた話、自分の目で見た私ですら信じ難かったのに、口頭で説明したところでこの2人が信じるとは思えない。
私が考えを巡らせながら黙っていると、アレクシオスから不穏な言葉が飛び出してくる。
「…………ふむ。どうやらそなたとは、じっくり語り合わねばならないようだな、王妃よ」
その言葉で私は、人生で一番のしくじりをしてしまったのかもしれないと思った…………その日はハミルトン王国に来て、アレクシオスと一緒にいる時間が最も長い日になったのだった。