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第64話 アナトリーン・ディ・ハミルトン ~王妃Side~


 私の名はアナトリーン・ディ・ハミルトン。


 ハミルトン王国の国王、アレクシオス・ディ・ハミルトンの正妃である。



 私の母国ドルレアン国は、ハミルトン王国から海を隔てた隣国にあり、私は側妃の娘で末娘だった。末娘だからとても甘やかされて……なんて事はなく、兄弟からは蔑まれ、国王は末の娘など平民と同じ、いや平民以下のような扱いだった。


 ドルレアン国の王族は欲深く好戦的で、常に戦を仕掛けては国力を消費していた。



 いつかきっとこの国は、王族たち自らの手で滅ぼされる事になるだろう…………だからこそ私は、この国を出たかった。


 王族として生まれたからには政治に利用されるだろうという事は分かっていたので、出来る限りこの国の貴族ではなく、他国との取引で嫁ぐ事になるのを狙っていたのだ。




 そしてその時はやってきた。



 ハミルトン王国との同盟の証として、国王に嫁ぐ事になったのだ。



 それも側妃ではなく正妃として。



 このチャンスを逃すものかと、私はすぐにこの話に乗る事を決意する。


 父上としても平民以下のような末娘が隣国との同盟として役に立ち、しかも正妃になるのだ……断る手はない。




 すぐにこの話はとんとん拍子に進んでいく。



 というのも国王自らこの結婚を望んだ、と父上から聞かされていたのだ。


 物好きな人間がいるものだな――――美人というほどの見てくれでもないのに。


 私は会った事もない男性が自分を妃にと望んでいる事について不思議に思いつつも、誰かから必要とされる事がほんの少し私の自尊心をくすぐり、満更でもない気持ちだった。



 実際嫁いでみると、国王アレクシオスはとても美しく清廉な男性だった。


 それはもう世間知らずの小娘がのぼせ上がるには十分なほどに――――


 この男性が自分を正妃にと望んでくれたというのは、自分が思っていたよりもずっと深く私の心を満たした。



 同時にそれ故に闇もまた深くなっていく。



 ある日、私は通りすがりで侍女が話している事が聞こえてしまう。



 「陛下もお可哀想ですわ……あんなに仲の良いお方がおられたのにあのような下品な国の王女と結婚だなんて……」


 「本当に。あのお方と陛下はお似合いでしたわよね……今はもうクラレンス公爵と婚約されてしまいましたけど。幼馴染でしたのに……まさか自暴自棄になってしまわれたのかしら」



 ………………そうか、何かおかしいと思ってはいたが、良い仲の女性がいたのか。


 私は父上にいいように丸め込まれたという事か。



 自分を望んでいると思わせておけば、尻尾を振って嫁ぐと……実際その通りになったのだから、ぐうの音も出ないな。



 あんなに清廉で清らかに見えた国王アレクシオスも国の事になると冷静に判断し、望んでもいない女と自ら結ばれようとするのか。



 「……ふ……ふふ…………はははっ……あっはははは……!」



 一番愚かだったのは私自身だったわけだ。



 そちらがそうなら、私とて利用させてもらおうではないか…………そうだ、そうしよう。



 …………私の考えとは裏腹に一筋の涙が流れる。



 泣いてなんになる。



 私はこれからこの国の王妃になるのだ、国王に次ぐ権力の持ち主。


 私が世継ぎを生み、国母になればさらに発言力は増すだろう。



 私を蔑み、利用してきたヤツらがひれ伏す時がくる。



 その為にこの男、アレクシオスにだって抱かれようではないか――――



 ~・~・~・~




 「おぎゃあっおぎゃあ……!」


 「王妃殿下、元気な男の御子にございます!」


 「「おめでとうございます!」」



 世継ぎを生み、皆が口々に祝いの言葉を言う…………これで私は未来の国王の母になった。



 無事に生む事が出来た事と、世継ぎの母になれた安堵感でホッと胸をなでおろす――――


 赤子は髪色や目の色までアレクシオスにそっくりだった。



 どこからどう見てもあの男の子供だと分かる。


 しかし、自分の子供というのは可愛いものだな……我が子を抱きながら、私にも少なからず母性というものが芽生え、未来の国王となるこの子を自分の手で育てたいという願望が出てくる。


 私の母は私を生み、ほとんど乳母に任せて私と関わろうともしなかったが、この国では私は正妃だ……私の希望が通るだろう。


 そう思っていた。



 しかし現実はそうはならず、私の元から子は連れて行かれてしまう。



 乳母に可愛がってもらっている姿、乳母の乳を飲む姿、滅多に会わない私には全然懐く気配がない姿、全てが鬱陶しい。


 しかも見た目があの陛下にそっくり……我が子は目に入れても痛くないと言うが、目に入るのも嫌悪するようになっていく。



 我が腕に抱いた時、あれほどに愛おしいという気持ちが湧いていたのに。


 私の心とは裏腹に、ヴィルヘルムは成長するにしたがってどんどんアレクシオスに似ていった。



 それが更に私の癪に障るようになる。


 幼馴染の女性を想っているアレクシオス……そしてその男にそっくりなヤツの子供まで私以外に懐く。



 そんな私のイライラが伝わるのか、ヴィルヘルムは私に嫌われていると感じているようだった。



 そして王太子ともなると命を狙われる事も多々あり、どうやら私に命をも狙われていると考えているようだ。


 大方暗殺者が命惜しさに私の名前でも出したのだろう。



 私は心の中で心配しつつも今更母親面してももう遅いという気持ちもあり、あえて否定はしなかった。


 どうせ今までも私が動かなくても周りの人間がヴィルヘルムを守り、育ててきたのだから……そうは思うものの心の渇きはなくならない。



 自分自身が何かに飢えているのは分かってはいたものの、どうすれば満たされるのかも分からず、神になど祈ったところで心が満たされるとは思えなかったが、いつしか私はこの国の中枢にあるジェノヴァ教会に頻繁に通うようになって行った。



 この教会の内装はとても素晴らしく美しくて、まるで別世界にいるような、そこにいるだけで自分の気持ちが洗われていく気がする。


 誰かと言葉を交わすのも鬱陶しかったので、夜が明けきらない早朝に侍女を一人だけ連れて、よく通った。



 その事についてアレクシオスに何か言われた事もあるが、私の心を満たせぬ人間に言われる筋合いはない。



 私は構わず通い、祈りを捧げる。



 この時、この瞬間だけは心が整う気がするから。



 そしてそこで聖ジェノヴァ教会最高権力者である大司教に出会うのだった。




 「おや……今日もいらしていたのですね。いつも早朝の大聖堂に御一人で、静かに佇んでいる姿を遠くから拝見しておりました」



 「覗き見とは趣味が悪いな。そなたは……」


 「申し遅れました、私の名はフェオドラード。この聖ジェノヴァ教会の大司教にございます、以後お見知りおきを……王妃殿下」



 天から舞い降りてきたかのような美しい男で、床に着きそうな長い髪をたるませながら後ろで束ね、まつ毛まで透き通って見えるほど神々しい男。



 正直大司教ともなれば、もう少し年を取っているのかと思っていたのだが……しかし年齢を聞くと私よりも1回りも年上と聞いて驚く。


 私の事はすでに知っていたというわけだな。



 大司教という教会では最高権力者でありながら意外と話しやすく、フェオドラードと話すのは嫌いではなかった。


 こうやって話しやすい雰囲気を作り、人々の心の闇を解いていくのだろう。



 だが私には分かっていた、優しそうに見える人間ほど狡猾だったりする事を……この国に来て、好きでもない女と平気で結婚したアレクシオスを見て、身を以って分かったのだから。


 私の予想通りに、教会ではきな臭い事が行われていた事がすぐに耳に入ってくる。



 人身売買や献金の横領、信者を抱え込み、この国の一大勢力になろうとしている事もすぐに分かる。



 そして何より、聖女を召喚する事に力を注いでいた。



 私は意図的に大司教と懇意になり、召喚する為の研究を見せてもらった事もある。


 聖女は国に豊かさをもたらす豊穣の女神……その聖女を教会が召喚し、聖女を操り、国にとって代わろうという魂胆だ。



 こんな事をまことしやかに進めていたとは、驚くべき集団だった。



 「まさか教会でこのような事が進められていたとは流石に想像も出来なかった。素晴らしいではないか、大司教。でもそうなったら王家の者は皆排除されてしまうのだろう?」


 「ふふっ、あなた様は別格です。もし今の王族たちが排除された暁には、私と共にこの国を治めていただけますか?」



 私の手の甲に口づけながら、大司教にこのような口説き文句とも思える言葉を言われたが……散々多方面から裏切られてきた私の心には全く響いて来ない。


 むしろこの男も平気で私を裏切るだろう。



 このまま排除されてしまうなら、何の為に母国を捨て、他国に嫁いだのか意味が分からんな……。



 フェオドラード…………胸に野心など抱かずに教会の為に尽くす人間であれば、良き友になれていただろうに。




 だが、この男の思惑に乗ったフリを続けるのも面白そうだ。


 私を利用してきた者達のようにお前も私を利用しようと言うのなら、こちらも利用させてもらおうではないか。



 「…………それは、とても魅力的だな。お前となら大いに楽しめそうだ」





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