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第13話 追い出し

吉田麻衣の足元でガラスのコップが粉々に砕け、破片が四方に飛び散った。彼女は思わず悲鳴を上げて後ずさり、手にしていたジュースのグラスも取り落としてしまう。甘ったるい果汁が床に広がった。


「九条さん!私はただ親切でジュースをお持ちしただけなのに、こんな仕打ちはひどすぎませんか!」吉田麻衣は唇を震わせ、いかにもかわいそうな表情を作ってみせ、無理やり涙をこぼす。その潤んだ瞳で部屋の中の男性を見つめ、少しでも同情を引こうとした。


「出て行け。」


書斎の空気は一気に冷え込み、まるで氷のようだった。


九条直樹はデスクの後ろに座り、彼女に一瞥すら与えない。こんな見え透いた芝居にはもう慣れっこだった。幼い頃から、何人もの女性たちが彼の元に近づいてきたが、そんなことはただただうんざりさせるだけだ。


「九条さん、私のことが嫌いでも、こんなひどいことしなくてもいいでしょう?この数日間、私は真面目に働いてきました。もしお嫌いなら、私、辞めますから!」吉田麻衣は必死にしおらしい態度を取るが、内心は焦りを感じていた。


こんなに冷たくされたのは初めてだった。普通なら、もう少しは取り入る隙があるはず。だが、金持ち特有の傲慢さには慣れている。やり方を変えれば、いつかは落とせる……。


「どうしたの?」


九条莉子が物音を聞きつけて出てきた。床に散らばるガラス片を見て、驚いた様子で書斎の方を見やる。


さっきまでイヤホンをつけて絵を描いていたのだが、ガラスが割れる音で慌てて出てきたのだ。そこには涙にくれる吉田麻衣の姿があった。


「莉子さん!私にもわからないんです。九条さんが帰宅したので、ちょうどジュースを絞ったから差し入れに行っただけなのに……いきなりコップを投げつけられて!私がとっさに避けなかったら……」


吉田麻衣は涙をぬぐいながら、怯えた様子で九条莉子の後ろに隠れる。


「直樹は……多分、機嫌が悪かっただけよ。気にしないで。あなたを責めているわけじゃないから。」莉子は彼女の露出の多い服装に一瞬目をやり、すぐに視線をそらす。無意識に直樹を庇うような口ぶりだった。


書斎の中を見ると、直樹の目は冷たく、刺すような鋭さがあった。


「莉子さん、私こんな屈辱は初めてです!この件、ちゃんと説明していただけますよね?」吉田麻衣は毅然とした口調で言い、わざと体のラインを強調するように立ち振る舞う。彼女は直樹の反応をうかがっていた。いつもなら、ここで相手が慰めに入るものだ。弱みを見せれば、うまくいくはず……。


莉子は少し頭を抱える。「そうね、あなたももう一週間働いてくれたし、一ヶ月分のお給料をお支払いします。あのテーブルの上の贈り物も、全部あなたに差し上げるわ。今日で終わりにしましょう。」


この数日で、家に他人の女性がいることが直樹にとってどれだけストレスかは、莉子にも感じ取れていた。吉田麻衣が来るたび、直樹は早々に家を出ていった。しかし、表向きは特に問題なく働いていたため、十分な補償をするのが筋だと思った。


吉田麻衣は意外そうな顔をした。まさか莉子がここまで大盤振る舞いで切り捨てるとは思わなかった。直樹に未練はあるが……ひと月分の給料と高級な贈り物、もらわない手はない!


「ありがとうございます、莉子さん!やっぱり莉子さんは話の分かる方ですね!」吉田麻衣はすぐに涙を引っ込め、満面の笑みを浮かべた。男よりも現実的な報酬の方がずっと魅力的だった。


どれを持ち帰ろうかと考えていたそのとき、直樹が近づいてきた。


彼の底知れぬ黒い瞳に見つめられ、吉田麻衣は思わず身震いした。冷たく、どこか危険な空気をまとっていて、自然と後退したくなる。


だが、その目が莉子に向けられたとき、ほんの少しだけ柔らかさが戻った。


「補償なんて必要ない。」直樹の声は低く響いた。


莉子は少し戸惑いながらも、彼の視線が再び吉田麻衣に戻るのを見た。


「吉田麻衣、だったな。」直樹の声は淡々としているが、一言一言が氷のように冷たい。「中学卒業で、学歴を偽造している。偽の学生証で家庭教師や家事代行の仕事を受けてきた。前の家では、家の主人を誘惑しようとして現場を押さえられている。その前は、雇い主の物を盗もうとして解雇された。他にも言おうか?」


彼の視線は冷ややかで、まるで汚れたゴミでも見るかのようだった。美しい顔立ちが、このときばかりは悪魔のように見えた。


「九条さん、そんなデタラメ言わないでください!ちょっとしたミスがあったからって、そんなひどい嘘で莉子さんの前で私を貶めるなんて……」吉田麻衣は必死に否定したが、唇は青ざめ、視線は泳いでいた。


まさか、こんな秘密がばれるはずない。高いお金をかけて作った偽造書類だったのに……。


莉子はもう騙されなかった。吉田麻衣の反応ですべてがわかった。最近の彼女の服装の変化も、今思えば不自然だった。


これまで深く考えていなかったが、直樹に指摘されてようやく腑に落ちた。


「もう帰って。」莉子は眉間を押さえ、疲れた様子で言った。最近忙しくて、細かいところまで気が回らなかった自分を反省した。


吉田麻衣は幸いにも実害はなかったので、これ以上追い詰めるつもりはなかった。


「今週分のお給料はちゃんとお支払いします。明日からは来なくていいです。家事代行会社にも私から連絡します。」莉子は少し間を置いて、きっぱりとした口調で続けた。「今日のことは、水に流します。」


普段は穏やかな莉子だが、このときははっきりとした威厳があった。


吉田麻衣は悔しそうに足を踏み鳴らし、直樹を睨みつけると、バッグを掴んで足早に出ていった。


誘惑に失敗し、逆にすべてを暴かれた!仕事もなくなったが……絶対にこのままでは終わらせない!


あの男への征服欲が、ますます強くなった。


吉田麻衣はふと、以前階段のところで撮った写真を思い出し、口元に冷たい笑みを浮かべた。


「この数日、家にいなかったのは……最初から彼女の狙いに気づいてたから?」


莉子は書斎のドアにもたれ、直樹を見つめながら、少しばつが悪そうに鼻をこすった。


彼女が中を覗くと、直樹は明らかに自分のものではない小物――ヘアゴムや安っぽい口紅など――をゴミ箱に捨てていた。


数日前、同じようなものをゴミ箱で見かけたが、何も気に留めなかった。今になって、吉田麻衣がこっそり直樹の部屋に置いていったのだと気づいた。


「大丈夫だ。次は気をつければいい。」彼の表情にはまだ冷たさが残っていたが、莉子に対しては柔らかい口調だった。


「もし適任が見つからなければ、僕が手配する。」


直樹はそう言って、莉子をじっと見つめた。

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