その日から雨宮は、ホイター定数の定義を1カイロとする提案書を作成することとなった。提出先はカラーニン科学学院とブリニッシュ王立科学協会である。とりあえずこの二つの学院の学会に提出し、承認なり認可されればホイター定数が認められたことになる。
しかし問題は、「なぜホイター定数を設定するに至ったか」という理由である。
「ホイター定数の設定に至った経緯……。なんかいい感じの理由付けが出来ればなぁ……」
しかし、今は一人で考えねばならないだろう。それには理由があった。
『ホイター君。記憶が混濁している中申し訳ないんだけど、僕はこれから別件で物理学棟に1週間ほど入りびたる必要が出てきたんだ。だけど君にはホイター君の記憶がある。それを頼りに、なんとか学会提出用のレポート作成してね』
ヌルベーイにはこのように言われ。
『ごめんねホイター。私も数学の分学会から説明するように招集がかかってるの。私のほうも数日くらい部屋を空けることになるけど、……頑張ってね』
そのように言われてしまい、現在はヌルベーイ研究室に一人でいる。
「俺は置いてけぼりかよぉ……」
事実そのようになっている。
「しゃーなしかぁ……」
雨宮は仕方なく思考をブン回してみる。
まずホイター定数を制定すれば、魔法陣の熱量を定量的に測ることが出来る。定量的に測れれば、これ以降に登場する魔法陣の性能を決定することが出来るようになる。事前に魔法陣を設計し、その出力が決められるようになれば、国際的な基準が作成されるかもしれない。
そして同時に、あの老人から貰った知識がポップアップする。
『ホイターの出力方程式、ホイターの和公式、円陣倍数定理』
それらがホイターの脳裏で線として繋がった。
「アーハン、理解した。つまり、今後登場する魔法陣に関する定理を定める時に必要になるということか」
そういって研究ノートにメモとして書き込む。
「とはいえ、どうすれば説得するに至るのか……」
少し考えた雨宮は、一つの考えが浮かんだ。いや、浮かんでしまったというべきか。
「まさか、これ全部同時に処理しろってこと……?」
筋書きはこうだ。まず魔法陣の研究をしていたところ、和公式と円陣倍数定理に繋がる発見をした。しかしこれらをまとめるには、出力方程式としてある程度計算する必要がある。さらに計算するためには、一定の量をこちらで定める必要がある。
すると、ホイター定数を先に決定し、出力方程式を求めた上で、和公式と円陣倍数定理を発見するという道が拓けるわけだ。
「いやどんだけ逆算するんだよ!」
雨宮は思わず天を仰いだ。
「いや、ホイター自身がそれだけいろんな研究に手を出していたと考えるべきか……」
とにかく、この考えを元に実験を進めなければならない。今はとにかく手を動かす時だ。
まずは昨日までの研究内容を再確認する。もし先ほどの考えが合っていれば、ホイターは魔法陣に関する研究を行っているはずであり、それに関係する研究資料が残っている可能性があるのだ。
持ってきたバッグの中を確認すると、そこにはちゃんと魔法陣に関係する計算やら設計をしているメモが入っていた。
雨宮はそのメモを読む。内容はどうにか理解出来る。
どうやら、効率的な魔法陣の研究を行っていたようだ。
「この内容、俺が引き継げるのか……?」
そんな不安が頭をよぎる。しかし、今の雨宮━━いや、ホイターは自分自身である。これをやり遂げなければ、人類史は書き変わってしまうのだ。それだけは絶対に避けなければならない。
「大丈夫……。こういう時のコツは、大学入学直後に入ったサークルで先輩が話してた……」
雨宮は思い出す。
『卒研とは言わず、研究全般っていうのは、先行研究の論文やら雑誌掲載の研究を読み込むことから始まる。先行研究の内容から、今自分がしなければならないことを読み取ることが出来て、それの実験をしたり論文にまとめることが出来れば、それはもう立派な研究者だ』
大学4年生のサークルの先輩。同じ学部学科出身であったため、いろんなアドバイスを貰おうと考えていた。
しかしそれも、今はほど遠い世界になってしまった。
「今の俺がすべきことは……。ホイターの研究を読み込むこと……!」
雨宮はホイターの研究の全貌を掴むため、研究ノートを読み始めた。
そして数時間後。西の空が赤くなり始めていた。
「……さっぱり分からん!」
資料の紙が机の上で散乱しているが、そんなのはお構いなしで雨宮は資料を放り投げる。
使われている数学は、見たことのない数学体系をしていた。おそらく、数学が発展途上にあるため、雨宮がいた未来では使われなくなった表記方法があるようだ。
「うーん。これだと、先に未来で使われている数学体系を整備するのが先かなぁ……」
そんな考えに、雨宮は頭を振る。
「駄目だ、俺が数学体系の全てを整備するなんて出来っこない」
そういって窓の外を見る。
「もう夕方か……。そろそろ寮に戻るか……」
バラバラに散った研究資料を拾い集め、バッグに詰める。そして研究室の戸締りをしっかりして、ホイターは寮へと戻るのだった。