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第8話 もしも

 寮の入口まで戻った雨宮は、そこでハッとする。


(今度こそ、ちゃんとホイターとして振舞わなきゃ……)


 今朝は記憶がなかなか戻らずに、ホイターとしての振る舞いが出来なかった。今回は間違えずにホイターとして振る舞う必要がある。

 雨宮はホイターの記憶を探る。今回は徐々に記憶が蘇ってきた。

 記憶の中のホイターは、挨拶もロクにしないような人間であった。いつもブツブツと何かを考えており、その結果他人との交流もほとんどない状態だ。


「……クソ野郎じゃん」


 記憶を読んだ雨宮は、思わず言葉を漏らしていた。そしてそれを見られていたようで、数人の学者がホイターのことを怪訝そうな顔で見る。雨宮は少し恥ずかしくなり、顔を見られないようにそそくさと寮へと入った。

 部屋に戻ってきて、机の上にバッグを放り投げる。そしてそのままベッドへと倒れ込んだ。


「実力不足を感じるなぁ……」


 雨宮は壁にあった本棚を見る。そこには多種多様な学問の本が収納されていた。一目見ただけでも、数学、物理学、天文学、哲学の本がある。


「これらを読めば、少しは能力の補完にでもなるかな……」


 そんなことを考えていると、腹の虫が鳴る。そういえば空腹だったのを思い出した。


「とりあえず飯だな」


 そういって部屋を出て、寮の食堂に向かう。その間も雨宮は、今の自分に何が出来るのかを考え込んでいた。

 ぼんやりと思考を張り巡らせながら、パンとスープ、干し肉を貰い、適当な席で食事を始める雨宮。

 その様子は、ほかの学者から見れば、いつも通りのホイターの姿に見えるだろう。今朝の言動は、おそらく考えがすっきりしたか、それとも逆に考えが詰まってしまった時の珍しいものであると解釈されたようだ。

 食事を終え、雨宮は自分の部屋に戻る。そして本棚にあった本を、一つ手に取って内容を読む。


「……なんか、読んだことあるような気がする。けど内容は覚えていない……」


 せっかく歴史上の偉人の一人である数学者に転生したものの、記憶やら経験がタダで使えるとは限らないようだ。これは転生した直後から感じていたことである。


「とりあえず、これらを読むしかないのか……」


 そういって椅子に座ろうと部屋を横切る。その時、ある考えが脳裏をよぎった。


「別に俺が全部発見しなくてもいいってことだよな……?」


 今の雨宮には、ホイターが発見した十大発見の再現を強制する人間はいない。いるとすれば、あの世と思われる場所で邂逅した老人くらいだろう。

 しかし懸念点は、後の時代の学者たちに、「ホイターの頭脳があれば人類の学問はもっと発展していた」などと後ろ指をさされる可能性があるくらいで、今この瞬間は特に何かしら刑罰を受けたり罰金を払うようなことはない。


「だったら、別に十大発見なんかしないで、何かしらの功績だけでのんびり生きて行ければ問題ないや」


 そういって雨宮は持っていた本を本棚に戻し、そのままベッドに横になった。一日の疲れがたまっていたのか、数秒後には寝息を立てて眠りこけてしまう。

 すると、目の前がまばゆく輝く。雨宮が目を開けてみると、そこはあの世と思われる真っ白な空間だった。


「あれ? またここ?」

『そうだ』


 雨宮の視界の上から、見たことのある老人がスーッと降りてきた。


『君は先ほど、十大発見がなくても問題ないと考えただろう?』

「いやまぁ考えましたけども……」

『それによって人類史がどうなってもいいのか?』

「それなんですけど、10個発見できれば元の時代に帰してもらえるって、正直無理ゲー過ぎません? それなら普通にこのままホイターの人生終わらせたほうが早いんですけど」

『フム。そういう意見を出してくるか。百聞は一見に如かず。ならば君が何もしなかった世界を見せてやろう』


 すると老人は手を振り上げる。手からまばゆい光があふれ出し、周りを光で包み込んでいく。


「うっ……!」


 雨宮が光から目を背けると、何かが聞こえてくる。

 目覚まし時計の音だ。雨宮が目を覚ますと、そこは見慣れた天井であった。

 目覚まし時計を止め、日時を確認する。新世界暦152年5月25日だ。


「……スマホは?」


 そういって枕元に置いてあるはずのスマホを探す。しかし全く見当たらない。仕方なくテレビを見ようと思ったが、これまたテレビも存在しない。


「あれ? なんで……?」


 雨宮は不審に思い、窓の外を見る。するとそこには、戦前の木造建築のような前時代的な建物ばかりが並んでいた。明らかに現代の風景ではない。


「なんだこれ……?」


 雨宮は大学の授業などお構いなしに、アパートを飛び出す。

 そのまま街中を走るが、どこもかしこも見たことあるようでないような不思議な建物であった。

 そして重要なことに気が付く。電信柱が存在しないのだ。この地域では、いまだ電信柱の地中化は進んでおらず、絡まった糸のように電線があるはず。しかしそれが一切見当たらないのだ。


「なんだこれ……? なんなんだこれ……!」


 雨宮は走り続け、駅前までやってきた。しかし駅舎は鉄筋コンクリートではなく、これまた木造の小さな建物だった。

 駅の入口では新聞を販売している男性がおり、今朝の新聞を解説している。


「本日の毎朝新聞瓦版、一面は数学の関数が国際条約によって制定されたことだよぉ! 旧暦17世紀にフライミニッツという数学者が考案したちょっと古い考えだが、現在はその有用性と汎用性に優れていることが分かっている! それを国際的な数学学会が採用したってぇわけだ! これが導入されれば、今よりもっと良い生活ができるらしいぜ! 電池生活ともおさらば! これからは電気の時代さぁ!」


 これを聞いた雨宮は膝から崩れ落ちる。


「こんな……、こんな技術が廃れた世界を生きるのか……?」


 絶望している雨宮の元に、老人が降臨する。


『そうだ。今見ている景色こそ、君が十大発見をしなかった未来の姿だ。こんな世界を生きたいと思うかね?』

「そういえば、家の中に水道の蛇口も、風呂トイレもなかった……」

『その通り。この未来では電気に関する発見が遅れ、かの有名な発明王すらも発電に関係する発明にたどり着くことはできなかった。それがこの結果だ』


 まざまざと残酷な現実を見せつけられた雨宮。そこに老人が投げかける。


『どうする? このまま十大発見をせずにのんびりと生きるか? それとも十大発見を再現して人類史を守るか?』


 その問いかけに雨宮は答える。


「分かった。俺が、十大発見を再現する」


 ようやく腹をくくり、雨宮は立ち上がった。


『では、再び過去に戻そう。君の発見を楽しみにしている……』


 雨宮の意識は遠のき、視界は真っ暗になった。

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