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第9話 論文

 雨宮が目を覚ますと、そこはホイターの部屋であった。どうやらそのまま寝てしまったようで、いつの間にか朝になっていた。


「さて、やるか……」


 夢のようなよく分からない世界で、老人と再度約束をした。ホイターの十大発見を再現するという約束を。

 それを遂行するためには、とにかく知識が必要だ。そこで雨宮は、ホイターの部屋にあった数学の書籍を読むことにした。


「まずは、これから読むか」


 そういって本を冒頭から読み始める。

 本に書かれていた内容だが、特段難しいことは書かれていなかった。現在まで使用されている数学での表記方法、計算の仕方、古代ヨーロッペにて発展した数学より引き継がれている不変の公理━━いわゆるユークリッド原論━━などが記述されていた。

 これらから察するに、数学学会全体のレベルとしては高校数学辺りといったところか。


「ギリギリ……なんとかなるか……?」


 今の雨宮の知識なら本当にギリギリなんとかなりそうなレベルだ。それを検証するために、雨宮はホイターの残した研究内容をもう一度査読してみる。

 昨日初めて読んだときよりかはちゃんと理解できた。しかし使われている数学が古い表記であるため、理解するのに少々手間取ったが。


「確かホイターの十大発見の中に、微積分の整備に関するものがあった気がする……。未来で習った記法をそのまま流用すれば、これは簡単に解決しそうだな」


 雨宮はそのまま魔法陣に関する研究の査読を進める。その内容は、まだ魔法陣が発展途上であることを示すものだった。

 先ほどの数学の発展の具合を高校生程度とするならば、こちらはまだ小学生レベルである。つまり義務教育の範疇でしか発展していないのだ。

 それもそのはず、魔法陣を含めた魔法・魔術というものは、旧暦18世紀までは個人の才能によるものと理解されていたからだ。ただし、教育によって魔術の能力は向上することも知られていたのだが、当時の魔術教育はもっぱら貴族や富豪のみに行われていたことであり、一般市民には行われていなかった。平民が魔術を習い出したのは、世界大戦が終わった新世界暦50年くらいからのことである。


「魔法の概念もまだ新しいということは、初等もしくは中等教育で学習する内容を抽象化すれば、これも簡単に解決するってことか?」


 そのように考えてみると、いくらかの希望は残っているようだ。


「とりあえず、まずは魔法陣の実験を行う必要があるな……」


 後世の歴史書では、レオニダス・ホイターは実験を行って理論を構築する、いわゆる帰納主義に近い数学者であったとされている。

 さて、実験をするにしても、以前にも似たような実験を行っている可能性がある。そのため、まず行うべきは過去の論文を読み漁ることだった。

 雨宮はホイターの身分を使用して、カラーニン科学学院にある書庫へと入る。

 ここにはカラーニン科学学院で発表された論文の原本と、世界中にある様々な論文の複製と目録が存在する。論文の原本と複製は薄い冊子のようになっており、それらがズラッと並んでいる。目録は複製できなかった論文が世界のどこにあるかを書き記しており、学者なら司書に申請すれば学院経由で論文を取り寄せることができるのだ。当然1年近く待つことも多々あるが。


(しかし、俺がホイターとしてここに入るのは少し抵抗感があるな……。俺は雨宮根治という意識を持っているが、それは中身の話であり、外見と顔と記憶と所有物はホイターである。中身が入れ替わっていても、それは果たしてホイターと言えるのか……。こういう哲学問題、すでにありそうだなぁ)


 そんなことを考えながら、雨宮は魔法陣に関する論文が収納されている棚にやってくる。そして冊子の表紙に書かれている論文の題名を確認しながら、関連する論文を探す。

 そして複数の論文を借りることが出来た。「魔法陣で使用できる文字の区分について」、「円と多角形の組み合わせによる魔法陣の属性変化について」、「魔法陣に使用される円の個数の統計と推移」。おそらくこの辺を読んでいれば、論文の引用として使用できるだろう。


「本当はこれの10倍くらいの論文を読み込んだほうがいいんだろうけど……。ぶっちゃけできる気がしない……」


 ブツブツとそんなことを呟きながら、雨宮は書庫を後にした。

 ヌルベーイ研究室ではなく寮の部屋に戻ると、そのまま机に論文を広げて内容を読み始める。まずは「魔法陣で使用できる文字の区分について」だ。主題から読む。


『魔法陣は古今東西、様々な場所で利用されてきた。当然ながら、言語が全く異なる場所でも使用されている。今回、母語が及ぼす魔法陣への影響と、未知の言語で構成された魔法陣の性能を比較する』


「へぇ、なかなか面白そうじゃん」


 もし雨宮根治のまま未来で生きていれば、こういう論文を読むことになるのだろう、という実感と楽しみが沸き上がってくる。


「それが実現できるかは、ちゃんと十大発見を再現できたらの話か……」


 雨宮は一つ溜息を吐いて、論文を読み進めるのだった。

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