片田舎の小さな民家。ろうそくの灯りが、ベッドに座る二人の少女の横顔を照らしていた。
「それじゃあアンナ。キスするね」
片方は年端もいかない、あどけない顔つきの少女。桃色の長い髪を三つ編みにしており、舌足らずな声で話した。
「お願いします、ジャンヌ様」
もう片方の少女は、十代後半に見え、落ち着いた顔つきだ。青い前髪を短く切り揃えている。冷静な声は少し震えていた。
「緊張してる?」
「はい、恥ずかしながら」
アンナは表情を変えずに言った。
「わかるよ。初めてのキスは、ちょっと怖いよね」
ジャンヌは舌足らずな声で語り掛けながら、アンナの頬を触る。
「……魔女のキスをしたら、アンナは人間ではなくなるんだから」
アンナは頷く。
「はい。キスを受けることで、私は魔女となります。魔力で体が置き換わり、不死の体と永遠の命を得るのです」
「そう、正解。アンナは優秀だね。五百年間いろんな子を教えてきたけど、君が一番の弟子だよ」
ジャンヌは耳元で話す。
「ジャンヌの言うことよく聞いて、本当にいい子で。魔導書も、使い魔も、水晶も、全部すぐ覚えて、完璧だったね」
「両親と同じ病気の人を治したいですから」
一年前、アンナの両親は病にかかって死んでしまった。失意に暮れるアンナはジャンヌと出会い、魔女になれば同じ病の人でも治せると知った。アンナはジャンヌに弟子入りし、今日、ついに卒業のときが来たのだ。
「君ならできるよ。魔女になるのは素晴らしいことだ。その力で、多くの人を救うことができる。病気の人も、けがの人も、みんなみんな救えるようになるよ」
ジャンヌはアンナの両手を握り締めて言う。アンナは答えた。
「ジャンヌ様のように、多くの人を救える魔女になりたいです」
「ありがとう。そんなこと言ってくれるなんて嬉しいよ。短い間だったけど、アンナと暮らせてよかった」
アンナは目をつぶった。
「大好きだよ、アンナ」
その口に、ジャンヌは口を近づける。少女の唇と、唇が触れようとした……。
そのとき、寝室の扉が開いた。
「見つけたぞ、魔女ジャンヌ!」
ドタバタと音がして、少年が駆け込んでくる。彼はジャンヌより幼く見えるが、ローブを着て、杖を持っている。憎しみを込めた目でにらんできた。
「ジャ、ジャンヌ様」
「アンナ、ごめんね。邪魔が入ったね」
おびえる様子のアンナの頭に手をおき、ジャンヌは立ち上がる。
「すぐ終わるから、待っててね」
そして、少年の前に立った。
「魔女め……覚悟しろ!」
少年が杖をジャンヌに向けると、小さな十字架の光が現れた。それはジャンヌに向かって飛び、体に直撃した。
「……あれ? なんかした?」
しかし、ジャンヌは微笑みを浮かべたまま首を傾げている。
「そんな、効いてない!?」
慌てた少年は、何度も魔法をジャンヌに放つ。十字架の雨がジャンヌを襲う。
「ねえ、人間くん。ジャンヌとアンナが大切な儀式してたのに、邪魔するのよくないよね?」
その間を、攻撃など何も受けていないかのようにジャンヌは歩いていく。憐れむような目を、少年に向ける。
「嘘だろ、この魔法なら魔女を倒せるんじゃなかったのか!?」
「自分のしてること、悪いことだってわからないの? おばかだね。かわいそう……」
おびえる少年に、ジャンヌは手を伸ばして触れた。
ポン。という間の抜けた音とともに、少年は消えた。
その代わり、ジャンヌの手には、一枚のクッキーがあった。
「うわあー!」
クッキーが、ジャンヌの手の中でぶるぶる震えながら声を発している。少年は、ジャンヌの魔法によってお菓子に変えられてしまったのだ。
「戻せ、戻せ」
「かわいそうな人間くん。弱くて、おばかで、儚くて……脆い体に閉じ込められて」
「戻してくれ!」
「……ジャンヌが、救ってあげるね?」
ジャンヌは、そのクッキーを、口の中に入れて、噛んだ。
ぽりぽり、ぽりぽり。
そして、飲み込む。
少年の叫び声はなくなった。
「はいっ。『救済』完了」
少年の魂はジャンヌの体内に取り込まれた。彼はこれからジャンヌの中で、意識だけの存在となって生きるのだ。ジャンヌが生きる限り、永遠に。
部屋はまた静かになった。ジャンヌはベッドにぽつんと座っているアンナを振り返り、舌足らずな声で言う。
「ごめんね、アンナ。待たせちゃって。続きをやろうか」
「はい……大丈夫です」
アンナはその様子を、何事もなかったかのように見ていた。驚くでも、恐れるでもなく、うつろな目で見つめていただけだった。
ジャンヌは、先ほどと同じようにアンナの横に座る。そして、髪をそっと撫でる。
「アンナなら、立派な魔女になれる。おばかでかわいそうな人間くんを、いっぱい、いっぱい、救ってあげようね?」
「はい、ジャンヌ様」
そして、口を再び近づける。
しかし、二人の唇が触れ合う直前だった。
「え?」
ぐさりと、杖の先がジャンヌのお腹に刺さっていた。魔力でできた体からは血は出てこないが、ジャンヌの目からは光が失われた。
杖を持っているのは、他ならぬアンナだった。
「アンナ……?」
アンナは、ジャンヌを厳しい表情でにらみ、冷たい口調で告げる。
「救済の魔女ジャンヌ。五百年前にルーアン地方に出現し、救済と称し人間を菓子にして魂を取り込んできました。その人数は推定十万人以上」
「……な、なにをしているの?」
「魔女狩りとして、刑を執行します」
アンナは、懐から細いロープを取り出して、投げつけた。それはジャンヌに巻き付き、四方八方に伸びて壁に刺さる。
時を同じくして天井から爆音がし、屋根が吹き飛ぶ。
アンナがロープを引っ張ると、ジャンヌは夜空の下、吊るし上げられた。周囲から、魔法の光で照らされる。
「いたぞ、魔女ジャンヌだ!」
「捕らえられたようだな。行くぞ!」
家の周りは、百人近くのローブを着た者たちによって取り囲まれていた。事前に潜伏し、アンナの合図を待っていたのだ。彼らは杖先を一斉にジャンヌに向けると、十字架を出し、放ち始める。
「うわあ!」
たくさんの魔法を受け、ジャンヌは悲鳴を上げる。攻撃は続いた。
口から何かを吐き出した。クッキーだ。それは少年の姿になり、落ちてきた。アンナが抱き止める。
「大丈夫ですか」
少年はガタガタ震えながら頷いた。
「怖い思いをさせてすみません。あの状況ではどうしても、一回食べさせる必要がありました」
「あ、ありがとう……」
「二度と、魔女に手出ししてはいけませんよ」
下ろされた少年はへたりこんで、立つこともできない。姿を変えられてすぐだったから人間に戻ることができたが、魔女狩り部隊の到着が遅れたらそのまま死んでしまっていただろう。
「魔女と戦うのは、私たちの仕事です」
「アンナ!」
ジャンヌの悲鳴が降ってくる。百人の魔導士から集中砲火にあっている。
「アンナ、アンナ、なんで裏切ったの! 信じてたのに!」
「私は最初から魔女狩りのスパイだったというだけです」
アンナはにべもなく言い放った。
魔女狩りの一員であるアンナは一年前、家族を失った村人を装い、ジャンヌに拾われた。それ以来、弟子のふりをして、修行してきたのだ。
スパイとしてジャンヌをあざむき、情報を魔女狩り部隊に提供しながら。
「魔女の魔力がなくなるのは、キスをするときだけ。そこに魔封じの杖を刺した上で、総攻撃を仕掛ける。そのために、あなたに信頼され、卒業するまで修行を続ける必要があったのです」
「一年間、一緒に過ごしたのに! 大好きだったのに! キスしたかったのに!」
泣きながらわめくジャンヌを、魔女狩りの魔法が撃ち続ける。そこに、アンナは言い放つ。
「私は、あなたとはキスしたくありませんでした」
「なん、で……」
アンナは怯える少年を見たあと、自分の口に手を当てた。
「クッキーのかけら、口についていましたから」
「そんな」
ジャンヌは、涙を目に浮かべていた。
「……おばかさん、ですね」
「うわあー!」
そのまま、集中攻撃されるジャンヌの悲鳴を背に歩き去る。
アンナは改めて思った。
無限の魔力と寿命を持つ魔女は、人間とはけしてわかりあえない。ジャンヌだって、人間の魂を自分の体に取り入れることが救済だと言った。何かの例えや皮肉ではない。本気でそう思い、善意でやっていることなのだ。
魔女は、危険な存在だ。絶対に倒さなければならない。
アンナは紙を取りだした。そこには、黒髪のウェーブを持った美女の似顔絵が描かれている。
次に狙うターゲット……ヘクセンラント公国に残った、最後の魔女だ。
「始祖の魔女アリスか。魔女をだますお仕事はよほど楽しいようだな、汚いスパイめ」
声がした。二十代後半くらいのいかにも貴族然とした金髪の美青年。魔女狩りの長、ヨハンだ。
「……ヨハン様、約束は忘れてはいませんね?」
「もちろんだ。誇り高き貴族の血に誓う。全ての魔女を倒したら、貴様も妹も解放してやる」
ヨハンはわざとらしく両手を広げて不敵に笑った。
「ただ、もし失敗したら、二人とも命はないぞ」
「わかっています」
アンナはそれ以上相手にせず、その場を去った。
頭の中に、ジャンヌの泣き顔と悲鳴が染み付いていた。今までだましてきた魔女たちのうめきも合わせて、頭の中でいつまでも響いていた。
ジャンヌが、『悪い魔女』でよかった。
そうでなければ、頭に響く声に耐えられないからだ。
アリスも邪悪な魔女であってほしいと、手配書の優しい笑顔を見ながら祈った。
魔法暦千年。ヘクセンラント公国で千年前から続いた魔女狩りと魔女との戦いは、最終局面を迎えていた。
古来より人間は魔法を使い、生活を支え、戦いに役立てていた。魔法に秀でたものは魔導士と呼ばれ、国を支えていた。
しかし千年前、公国の西のキルケニー地方に、魔法を究め、人を超える者が現れた。
それが、始祖の魔女アリスだ。
史実では、アリスは千年前に魔法を究め、『扉を開いた』と言われている。彼女は無限の魔力を得、魔力で体を置き換えた。傷つくことのない肉体と尽きることのない寿命を得た。人間ではない、別の生物になったのだ。
アリスを皮切りに、魔法の扉を開く者が多く生まれた。彼女らは魔女と呼ばれた。世界を揺るがすほどの強い魔力を持つが、みな魔法の研究に没頭している。政治や経済といった表舞台に現れることも、徒党を組んで国の支配に乗り出すこともなかった。
しかし、魔法の研究に取り組むあまり、陰で人間をとらえて魔法の実験台にしたり、魔力を奪い取ったりと、人間に害を及ぼした。
そのため、魔女を倒すための魔女狩りが、ヘクセンラント公国に生まれた。優秀な魔導士によって構成されたその部隊は、社外の裏側で暗躍する魔女を狩る。その戦いは長く続いた。
しかし、千年続いた戦いの末、ついに魔女は残り一人……始祖の魔女アリスのみとなったのだ。