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第2話 昨日風呂入ったか

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(ここ、何なん?)


   どう見ても、校舎の作りが先ほどまで自分がいた学校と同じである。窓や廊下、教室の感覚に覚えがありすぎる。再び正面が行き止まりになる手前で、小さく開いたドアが見えた。ドアノブがついているため、教室ではなく、もっと狭い部屋だ。


 走り疲れたな。少し隠れて体を休めようと、無意識にそのドアを開けた。中に入って、背中でドアを閉める。ズルズルと下半身を床につけて座ったところで、あることに気がついた。


「えっ?」


 そこに居たのは人だ。カッターシャツやブレザーのボタンが全てはずれ、腰を曲げてスラックスに手をかけ、脱ぎかけを止めていた。わずかに下げられたスラックスのせいで、パンツがチラッと見えている。明らかに着替えの最中である。しかも、男子生徒だ。


「――きみは」

「ニオウゾ」


 目が合った男子生徒の低い言葉を遮るように、人が発したと思えない言葉が被せられた。近い。ハッと振り返ると、ドアについたすりガラスに、ベッタリと何かが張り付いている。赤い大きな目と手。


「ココダ。見ィ、ツ、ケ、タ」


 すりガラス越しで、私の姿は大蛇に見えていないと思うのだが、確信を持った楽しそうな声がした。怖がらせようとしているのか、指先がうねうねと動き、ドアがカリカリ音を立てる。


(怖すぎぃ!)


 心臓が口から出るどころの驚きではない。某引っ張りハンティングゲームのように、体の中で心臓が飛び跳ねている。喋れたんかいと、ツッコミを入れる余裕など消し飛んだ。


「ぎゃあぁ――っ!!!」


 ドアノブが回り、ゆっくりとドアが開く。まだ床に尻と手をついたまま、可愛くない悲鳴をあげて後ずさった。そして、この部屋には一人だけでは無かったことを思い出す。


(あっ、そうだ。さっきの人を巻き込んでしま……)


「どえぇえええ――!?」


   彼は着崩した服のまま、右の拳を軽く握って左肩のあたりにあげ、鬼のような形相でこちらに飛びかかってきていた。そちらにも目ん玉をひん剥いて驚き、反射的に頭を庇って縮こまった。


   両側から狙われてるとなると、逃げ場がない。その上、可愛くない悲鳴を再び上げてしまった。


(もう色んな意味でしまえとる!)


   床に横向きに倒れ、片目をうっすらと開けて窺い見た時、彼の姿が横切ったところだった。拳になっていた手は前方へ向けられ、ドアから勢いよく入り込んできた大蛇の体と接触。人差し指、中指が揃えられ、親指が九時方向に伸びている。


「狐火!!」


   ボッ……ゴォオオッ!!彼の指先に青い光が灯ったと思った瞬間、大蛇を焼き尽くすほどの青い炎が燃え移った。


「ギャアアア――!!」


   大蛇が頭を抱えて上を向き、もがき苦しむ。火は消えるどころか益々強くなっていき、やがて、尾の方から黒い煤のような塊に変わり始めた。細められた恨めしそうな赤い目が、こちらを見る。


「セッ……カク、見ツケ……」


   私に向かって伸ばされかけた手は、首から頭まで黒く焦げた瞬間に、煤の塊になってボトボトと落ちた。それまで燃えていた青い炎は、彼がすっと手を引くと同時に、今見ていた光景が嘘のように消えてしまう。


   たった今の体験を証拠づけるものは、煤の塊になった化け物と、焦げ臭い空気、部屋の焼けた跡。幸い煙は燻る程度で、そんなに上がっていない。


「えほっ、げほっ、ゴホッ!」


   口を押さえ、喉に悪そうな臭いにむせていたところ、廊下の方からバタバタと複数の足音が近づいてくるのに気づいた。


「ちょっと!なにごと!?」


   ――バン!荒っぽくドアが開き、数人が入ってきた。


「ハァッ?何ですの!この有様!」


   先頭に入ってきて、チョコレートのような茶髪をくるくると巻いた女生徒が、口を両手で覆う。ややつり目だが、横顔からでも瞳が大きく、美人だということがわかった。彼女は、床に片手をついて、上半身だけ起こした涙目の私に気がつく。


「……え?どなた?」


   女生徒は、向かいに立つ男を見る。さっきの今だ。彼は、まだ服を正していない。サァッと一瞬で表情が変わって、つり目が細められた。


「最っ低ですわ」

「何のことだ」


   涼しい顔で、彼はシャツのボタンを留め始めた。


「その風紀の乱れた格好が、全てを物語っているじゃありませんの。まったく不埒な」


   睨んでいる彼女は、制服の上着の内ポケットから扇子を取り出して広げ、口元に当てて顔を私側の方に少し逸らした。


(ふらち……)


   ようやく、頭が状況整理できるくらいに落ち着いてきた。ボタンを留めている彼の薄い腹がチラリと見え、カァッと顔が熱を持ったため、両手で覆い、今更ながら女子っぽい悲鳴を上げてしまった。


「きゃあっ!」


   そういえば、着替えをしていたであろうところに、自分から飛び込んだんだったと思い出す。穴があったら入りたい。いや、無くても掘って隠れたい。


   でも、なぜ不埒だと言われなければならないのかと考えた。新たに人が入ってきた時、服を脱ぎかけていた彼と、涙目だった私の二人がいた。つまり第三者からは、この部屋で男女があらぬことをしていたように見えたわけだ。その上、私が泣いていたとなれば、彼が強引に迫ったと思われて、非難の目が向くのも当然である。


「ち、違……」


   否定をするために声を発し、視線が私に集まる。けれど、どう説明をするべきか。彼の潔白を証明するためには、私が変なものに追いかけられて逃げ込んだことを説明せねばならない。


    あの怪物を退治してくれた(?)ということは、彼にも恐らくあの姿が見えていたのだと推測できる。ただ私や彼と違って、あのような怪異を見ない人の方が、普通は圧倒的に多い。


   そういう普通の人にとって、怪異のことを話されたところで、「苦し紛れの虚言」、「妄想癖」、「精神を病んでいる」などと思われ、ドン引きされるのが関の山である。これは経験上だ。私も怪異が見えるゆえの行動が他者に理解されず、痛い経験を幾度もしてきた。


   咄嗟に口を挟んだものの、上手い説明が思いつかずに口をまごつかせる。すると、短い溜息とともに、ネクタイをシャツの襟に通して結びながら、彼が言葉を返した。


「とんだ邪推だな。ラン、きみの目は節穴のようだ」

「何ですって!?」

「まあまあ、姉上どうどう」


   この空気にのんびりとした声が割って入った。つり目の美女生徒の向こうに、男子生徒が立っていたのは分かっていたが、静観をやめてやっと喋った。ポンと隣のランと呼ばれた彼女の二の腕に手を添え、その背中側を通ってこちらに来る。


「まずは、レディをフォローしましょう。お嬢さん、お手をどうぞ」

「どうも……」


   自然な仕草で目の前に差し出された手に、私も右手を添える。彼はくいっと少し力を入れて、立たせてくれた。その際にも、もう片方の手を後ろにそっと回して、背中を支えてくれた。その流れの自然なことと言ったら。


   手から顔を上げ、助けあげてくれた人の顔を見て驚いた。ミルクティ色の髪は、サラッとしていてサイドが少し長め。でも、不快感を与えないような襟足位の長さ。目の形は不思議だ。上の線はつり目のようだが、下の目じりは垂れている。そのせいか、締まりの無い印象もきつい印象も、どちらも全くない顔だ。薄い唇は、緩やかに弧を描いている。


(あぁ。この人絶対女子からモテるわ……)


「大丈夫ですか?」

「はい……」


 柔和な雰囲気や声に飲まれ、自然と肩の力を抜いて返事をしてしまっていた。このやり取りだけで、多数の女子生徒を敵に回したような気分になるのは、きっと錯覚ではないだろう。


 優しい彼から少し離れ、スカートの裾を少しだけ払う。そして、最初に出会った男子生徒もネクタイの歪みや襟を整えて、服を正し終わったようだ。そして体の向きをみんなへ向かい合う形にし、放った第一声。


「きみ」

「……?」


 私は、人差し指を自分に向けた。


「昨日風呂に入ったか?におうと言われていたようだが」


(……えっ?)


 一瞬の沈黙が部屋を包む。私もいきなりのことに、思考が停止する。におう?思い返してみれば、大蛇に侵入される前、「ニオウゾ」と言われた気もする。つまり、クサイと言いたいのか?


(はぁあああああああっ!?何っていう失礼な!!しかも他の人のおる前で、なんてこと聞くとよ、このノンデリ男!)


「昨日の夜ちゃんと入ったし!って言うか、毎日入っとるし!!」

「ふむ」


 顔を真っ赤にして怒る私と正反対に、このノンデリ野郎は小さく返事を返しただけ。


(本っ当に腹立たしいやっちゃな。呪詛マシマシで、口から呪呪呪って文字と一緒に、煙吐きかけちゃりたい!)


「そんなことよりどうするんですか、この有様。ここを荒らさないで欲しいです。と、莉久りくが言ってます」


   棒読みに近い女子の声。ここに駆けつけた面々の中に最初から居たのだろうが、気がつかなかった。廊下側に居たのかもしれない。ランが一歩前へ進み、そして男女が入ってきた。どちらも薄紫の髪に、瞳は暗めの濃いピンクだ。


   女子生徒より頭三分の一程高い男子生徒は、私とほぼ背丈が同じのような気がした。今の言葉から、男子生徒が莉久と言うのだろう。


   莉久の下ろされている腕に、女子生徒がしっかり腕を絡めて密着しており、やや内股気味に立っている。


(このベッタリ具合、恋人なんやろか?)


「すまない」


   ノンデリ男が、前髪をかきあげるように手を当てた。今まで嫌味しか聞かなかったせいか、謝れるとかいと心の中でツッコミを入れた。


   衝撃の姿(着替え中)やら、ノンデリ発言に腹を立てていたせいでよく見てなかったが、灰色の髪と切れ長の目についた漆黒の瞳。薄い唇。


(性格に合わない顔の良さやん……。余計ムカつくんやけど)


「思った以上に火力を出して、焼きすぎてしまった」


(いや、そんな焼肉の肉を焦がしたみたいに軽く言うんかい)


「たかぴが制御誤るなんてことあるんだ。とりあえず、起きてしまったことはしょうがないからさ、ひとまず、この真っ黒になった残骸を片付けよう」


   モテ男の発言で私は驚いた。残骸って……。


「え?まさか、コレ見えとるとですか?」


   ボロボロの炭になった大蛇に右の人差し指を向けて、思わず聞いてしまった。


「見えてるかってどういうことですの?」


   怪訝な顔をして、ランが聞き返してきた。


「ですから、さっきからこの惨状の話をしてるんじゃありませんの」

「もしかして、こういう体験初めてだったりする?」


   モテ男が優しくゆっくり聞いてきたが、ランは即否定した。


「『こちら側』にいるなら、そんなわけがありませんわ。貴女、いったい何を言ってますの?どちら様?」

「彼女は、入学式にうたた寝していた不届き者だ」

「また……っ」


   ランの質問に答えたのは、ノンデリ男。やはりあの入学式の進行中に、こちらの様子に気づいて睨みをきかせていたのは、この男だったに違いない。こめかみがピクピクして言い返そうとしたが、彼の続けた言葉に驚かされて、先が続かなかった。


「動物の霊に影響を受けてな」


   そこまで状況把握されてたなんて、思わなかったからだ。一体、ここに集まる面々は何者なのだろう。目を丸くする私を見て、モテ男がやれやれと言うように眉をハの字に下げた。


「ひーくん?そういう言い方は、紹介にも姉上に対しての回答にもなってないよ。ごめんね、自分たちだけで話を進めてしまって。蚊帳の外になっちゃったね。紹介するよ」


   両手を合わせて謝られてしまった。謝る人物が違う気もするのだが。


「こちらは霊術れいじゅつ科二年で、生徒会長の神楽宮かぐらのみや 高久たかひさ


   最初に紹介されたのがノンデリ男。なるほど納得。名前が高久だから「たかぴ」や「ひーくん」と言われていたわけだ。学科がよく聞き取れなかった。受験前に把握していた科以外にも、あったのかもしれない。


   その後、チョコレート色の巻き髪の女生徒に、揃えられた指先が向く。


「そして、こちらが霊部れいぶ科二年。生徒会副会長で、僕の姉上でもある天翔てんしょう 美蘭メイラン。あとはみんな一年生」


(美蘭だから愛称がランか)


   モテ男は歩いて、ベッタリくっついている莉久たち二人の後ろに立ち、二人の肩にそれぞれ手を置く。


「仲良しこよしの双子ちゃん。お兄ちゃんが生徒会会計の香炉こうろ 莉久りく。妹ちゃんが書記の莉桜りお。二人とも霊部科」


(恋人じゃなくて双子やったとか……。言われてみれば髪と目の色同じやし、そりゃ血縁よね)


   双子は揃って、少しだけ会釈程度に頭を下げた。こちらを見た表情は二人揃って眠いのか、覇気がなさそうである。


   そこまで紹介し、モテ男は双子の肩から手を離して人差し指と中指をくっつけて立て、目元に持って行ってウィンクした。


「そして僕が参謀科のモテすぎて罪な美男子、天翔てんしょう 美神メイシェン


(これはツッコんだほうがいいとかいな)


   モテるのは予測していたが、美男子も含めて自分で言ってしまうとは。こちらの迷いをよそに、美神は続けた。


「ここでの役割は」

「犬よ、犬」

「いや、姉上さすがにそれは……」


   美蘭先輩が、今まで口元に当てていた扇子をパチッと畳み、弟の口の前へ持って行った。


「貴方の周りの女子が縺れてすぐトラブルになるから、ここに置いてるだけ。鎖で繋がれた犬と変わらないどころか、犬の方がまだお利口さんです」

「雑用ってことで」


(……ってことでって、今作ったんかい)


   さすがに犬は役割では無いし、嫌だったのだろう。美神はサクッと雑用と言い放った。色々ツッコミしたいところもあるが、それより疑問がいくつかある。


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