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堅物公爵と偽装婚約することになりました~病弱な私を「実は規格外の魔力持ち」と勘違いしているようです~
堅物公爵と偽装婚約することになりました~病弱な私を「実は規格外の魔力持ち」と勘違いしているようです~
八月 猫
異世界恋愛ロマファン
2025年07月12日
公開日
3,292字
連載中
生まれつき病弱で、家では厄介者扱いされてきた伯爵令嬢のアリア・ラヴェンダー。 ある日、戦場で活躍するも人付き合いが苦手で「氷の公爵」と呼ばれるディートリヒ・フォン・エーレンフリート公爵から、突然の婚約の申し入れが来る。 エーレンフリートは、アリアが過去に偶然発動させた(ように見えただけの)大規模な魔法陣を見て、彼女が稀代の魔力を持つ存在だと盛大に勘違いしていたのだ。 公爵家を狙う陰謀から身を守るための偽装婚約を受け入れた主人公は、公爵の「規格外の魔力を持つ令嬢」への手厚い対応に戸惑いつつも、穏やかな日々に少しずつ心を開いていく。 一方、公爵はアリアの「病弱」という設定を守るため、必死に彼女の周りの危険を排除しようとするが、その過程で彼女の本当の優しさや、時には天然な行動に振り回され、次第に本気で惹かれていく。 ……はず。

第1章 偽りの誓いと予期せぬ日常

第1話 偽装婚約、始めました

「……それで、お受けいただけますか? アリア・ラヴェンダー嬢」


 目の前に座る公爵閣下は、一切の感情を読み取らせない漆黒の瞳で私を真っ直ぐに見つめていた。まるで深海の底を思わせるその視線に思わず背筋がぞくりと震える。彼こそが巷で「氷の公爵」と囁かれる、この国の若き英雄ディートリヒ・フォン・エーレンフリート公爵その人だ。その冷徹な眼差しは、私の儚げな美しさとは対照的だった。


 普段なら伯爵家の隅でひっそりと暮らす病弱な私ごときが、このような高位の貴族にお目にかかることなどありえない。ましてや、婚約の話など。


 私は深呼吸をして、震えそうになる声をなんとか抑え込んだ。


「……恐れながら、公爵閣下。私のような者が、なぜ、このような大役を……」


 私の問いに公爵は微動だにせず答えた。その声は氷のように冷たく、しかし確固たる響きを持っていた。


「貴女の能力が必要だからだ。先日、森で発生した魔物討伐の折、貴女が展開した広範囲の魔法陣。あれは並大抵の魔力では不可能だ」


 ……ああ、やっぱり。


 私は内心で深くため息をついた。その出来事は覚えている。あれは確か、薬草摘みに出かけた森で、不意に魔物に襲われた時だった。パニックになった私が咄嗟に地面に描いたのは、子供の頃に絵本で見たような、ごく簡単な、本当にただの落書きだったのだ。それがなぜか光って魔物を怯ませたのは、多分、純粋な、ほんのちょっとのラッキーが重なっただけ。


 でもこの堅物公爵は、それを「規格外の魔力」だと盛大に勘違いしているらしい。私の幸運値がまさかこんな形で役立つとは。


「あの……あれは、その、偶々でして……」


 公爵は私の言葉を遮るように首を軽く振った。


「謙遜は不要だ、アリア嬢。むしろその規格外の魔力を隠そうとする振る舞いこそが、貴女の清らかなさまを物語っている。我々エーレンフリート公爵家は、貴女のような稀有な才能を持つ者こそ妻として迎え入れたい」


 全く疑う様子もなく真剣な眼差しで私を見つめている。彼の瞳には私の『病弱設定』を完璧に信じ込んだ上での純粋な敬意と、少しばかりの困惑が浮かんでいた。きっと病弱で魔力がないと思われていた私が、実はとんでもない力を持っていると信じ込んでいるのだろう。


 『病弱』という建前を崩すわけにはいかない。それは、伯爵家で私に割り当てられた、数少ない平穏を保つための役割だった。そして何より、この偽装婚約には私の実家であるラヴェンダー伯爵家の経済的危機を救うという裏の目的もある。


 私は意を決し、俯きがちに答えた。


「……光栄に存じます、公爵閣下。この未熟な身ではございますが、精一杯努めさせていただきます」


「うむ。期待している」


 公爵の表情は変わらないままだったが、その声には微かに安堵の色が混じっていたように聞こえた。これで一件落着。私とディートリヒ公爵の世にも奇妙な偽装婚約が、こうして正式に決定したのだった。


 その日の夜、私は自室のベッドに潜り込み深く深くため息をついた。


「まさか、私が婚約者……しかも相手はあの氷の公爵だなんて……」


 鏡に映る自分の顔を見る。

 青白い肌、細身の体。見た目は確かに病弱な令嬢そのものだ。魔力なんて人並み以下どころか、たぶんゼロに近い。唯一規格外なのは、とんでもない幸運を自分に引き寄せる代わりに、周囲を巻き込む『絶望的なまでの不運体質』だということくらい。


 でも、公爵は私のことを『規格外の魔力を持つ隠れた才能の持ち主』だと信じ切っている。そして、その『病弱』という体質まで、私の『清廉さ』の証だと解釈しているのだから、もう笑うしかない。


「楽してひっそりと暮らしたい」。それが私の唯一の願いだった。玉の輿に乗って、誰にも干渉されずに、美味しいものを食べて、のんびり昼寝する……そんなスローライフが夢だったのに。


「これで、公爵家に行けば、もっと静かに過ごせるようになるかな……」


 私は淡い期待を抱いた。金色の長い髪をそっと指で梳く。この煩わしい伯爵家から離れられるだけでも儲けものだ。

 しかし、私の幸運値は常に斜め上をいく。きっとこの先も私の望む「スローライフ」とは程遠い日々が待っていることだろう。


 翌日から始まる公爵邸での生活に、私は小さな不安と、ほんの少しのわくわくを抱いていた。

 だって、私は『病弱』なのだから、きっと公爵もあまり無理はさせないだろう。


 そう、願っていた。





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