(違和感はいくらでもございますわ。ただ愛らしいというだけでなく、彼女にはあってはならない能力が備わっているようにおもえます。それが「異常」の根源?)
誰もが難解だと避ける本のページを
トントン、トントン、トン。
まるで
「あら、
「……まあ、明奈様ではございませんか。先日のお茶会では大変失礼いたしました」
「そんな、滅相もございません。マナーのなっていない令嬢を招待したのは主催である私の責任ですわ。また来週、いつものみなさまで集まれたらとおもうのですがいかがでしょう?」
「まあ、ぜひ参加させていただきますわ。先日のお詫びに、よろしければみなさまへお菓子を用意させていただけませんこと? わたしが
櫻子の言葉に、明奈はパアッと表情を明るくしてわずかに身を乗り出した。
「まあ! もしかして『
「ええ。ご迷惑でなければわたしから提供させていただきたいですわ」
「もちろん歓迎いたしますわ。ですが、そこまでお気になさらなくてよろしいのですよ。あれは私も大変不愉快でございました。あのあと、すぐに解散いたしましたのよ。とてもおいしくお茶を飲める気分ではございませんでしたから。双子の兄まで
「双子のお兄さまといえば、
「もちろん、最上級のものをご用意いたしますわ。あっ、読書をお邪魔してしまいましたわね、失礼いたしました」
「お気になさらず、それよりもお声がけいただけて嬉しい限りですわ。こちらには何かお探しにいらしたの?」
「ええ、魔法学の授業でレポートが出されましたでしょう? その参考資料を探しにまいりましたの」
「そう。それならGの四〇番台にある書籍がお勧めですわ。わかりやすく要点がまとまっているものから、詳細に書き記されたものまで揃っている棚ですから」
「ご助言感謝いたします。よくご存じですわね」
「一応図書委員ですので。一通り見て回ったものは覚えておりますわ」
「相変わらずすばらしい記憶力ですわね、尊敬いたしますわ。私も櫻子様を見習わなければ」
「明奈様はすでにすばらしい実力をお持ちですわ、自信をお持ちになってくださいまし」
「ふふ、恐縮です。さて、それでは私は本を探してまいりますわね。またお会いしましょう」
「ええ、また。お話しできて光栄ですわ」
櫻子はまた読書に戻るふりをして思考を回す。
(わたくしにはまだ情報が足りない……
櫻子はパタンと本を閉じ、ふう、と息を吐き出した。
どうにも上手くいかない。
伊崎鈴音の周囲の人間を取り込めば何か情報を得られるとおもっていたのに、それはまったくの見当ちがいであったようにおもわされる。
書棚から持ち出した本の山を細腕に抱え、元の書棚へ戻そうと振り返った。
その瞬間、ドン、と誰かとぶつかり、櫻子は想定外の状況に眉をひくりと動かした。
「原作」にこのようなシナリオ描写は存在しない。やはり規定外の行動をしているのはどう考えても「彼女」しか考えられず。
「失礼いたしました、大丈夫ですか?」
「あっ……は、い……」
手を差し伸べた相手は、やはり伊崎鈴音だった。
そして彼女は櫻子の手を取らず、ふいと顔を背けた。まるで、櫻子の差し伸べた手など不要であると侮辱するように。あるいは、手を取らぬことで何かを待つように。
だが、櫻子はその程度のことでは動じない。どうでもいいことだからだ。
「……お怪我はございませんか?」
「えっと……はい……」
いつまでも立ち上がろうとしない彼女に、これ以上は時間の無駄かと判断し、櫻子はぶつかった拍子に落とした本を拾い集め始めた。
──その時だった。
「おい、何をしている」
「何とは? わたしはただ本を拾っているだけですけれど」
「ではなぜ鈴音が
「また、とは何です? 振り返りざまにぶつかっただけですわ。むしろわたしが本を持っているのを見てぶつかってきたようにすらおもえますけれど。それに、手を差し伸べても手を取らずに座り込んだままでいるのは彼女の方でございます。なぜ蹲っているのかは彼女に聞けばよろしいのでは? では失礼、わたしも暇ではございませんので」
「おい、待て!」
「そ、宗一郎さまっ、いいんです……大丈夫ですから……少しぶつかってしまっただけで……あたしがちゃんと前を見てなくて……」
「鈴音……立てるか? もしかして怪我をしたんじゃないか?」
「少し……足首を
「おい、櫻子」
拾い集め終わったばかりの本をバサバサと叩き落とされ、それでも櫻子は
すると、グッと手首を掴まれて立たされ、バチン、と頬を叩かれた。
「……はあ。理由は先ほど申し上げましたわよね」
呆れて物も言えないと言わんばかりに櫻子は溜息をこぼす。
「お前が怪我をさせたのだ、お前もおなじ痛みを味わえ!」
「二度もおなじことを言わせないでくださる? わたしが本を持って立ち上がった、その背後にいたのは彼女ですわ。振り返ることくらいわかっていたでしょう。ですのに、なぜわたしがぶたれなければならないのです? くだらないですわね」
無感情な青い瞳には、
宗一郎は気味が悪そうにもう一度櫻子の頬を叩いて、鈴音を抱き上げ図書室を出ていった。
ふと見えた鈴音の表情は、どこか楽しそうで、嬉しそうで、
(……なるほど、そういう手を使うのですね。だから花菱櫻子が『悪役』にされた、と。話は理解できました。ですが……二度も叩くのはやりすぎですわね、宗一郎様)
あなたのご実家など、すぐに取り潰せますのに。
口には出さず、無機質な瞳のまま櫻子は本を拾い始めた。
そっと伸びてきた手が最後の一冊を櫻子の手に乗せ、ひょいと積み上がった本を奪い去った。一体何か、とおもえば、そこに立っていたのは宗一郎の弟である
「本は片づけておきます。櫻子さんはすぐに頬を冷やしに行ってください。赤く腫れています。申し訳ありません、
「……京一郎様に非はございませんでしょう? なぜ謝るのかしら。謝罪は本人からのものでなければ意味がございませんのよ。寮の医務室へ行って氷でもあてておきますわ」
「……っ……では、こちらを手伝わせてください。女性が持つには重いでしょうし、この書籍は高いところにあるものも多いようですから」
「あなたのメリットが理解できませんが、ありがたくお手をお借りいたしますわ」
櫻子は京一郎の手を借りて本を書棚に戻し終え、礼を言ってから図書室をあとにして女子寮へ向かった。もうこれ以上長居する意味はない。
(……伊崎鈴音は笑っていた。あれはいわゆる『嘲笑』というものですわね。わたしが彼女に何かしたとおもわせるためだけに、あんな演技を? 何のために? 宗一郎様の御心はすでに伊崎鈴音の中にある。これ以上わたしを刺激すれば、最悪家が潰れますのに。そもそも、鈴村宗一郎が
なぜこのような無駄なことをするのだろう。何の意味があるのだろう。
櫻子の言葉の通り、花菱櫻子と鈴村宗一郎の婚約は「鈴村家の
つまり、花菱家は「選ぶ側」であり、鈴村家は「
だというのに、宗一郎はそのことすら忘れ、自ら婚約破棄を言いつけて鈴村の顔に泥を塗るだけでは飽き足らず、自らよりも立場の高い「花菱財閥の後継者」へ手を上げている。
櫻子にはわからない。その思考が理解できない。
櫻子の両親が聞けば大笑いすることだろう。
それを笑うことすら、櫻子には理解ができない。何が面白いのか。
櫻子にとって重要なのは、この世界に存在する「異常」を排除すること。
伊崎鈴音──彼女自身が「異常」そのものである。そうでなければ自らの意思で櫻子を貶めようとするとはおもえないし、すでに引く手数多である中で宗一郎を狙って櫻子と引き離そうとしている理由もわからない。彼女はすでに「必要な人間」を手の内に入れ始めているのに、わざわざ「花菱櫻子」を刺激し続けるのはどのような理由があるのだろう。
櫻子には、どうしても理解できなかった。
本当に「伊崎鈴音」という少女が「異常」そのものにちがいないのであれば、櫻子は容赦なく徹底的に彼女をこの世界から排除する。
──それが、櫻子の役割だから。
「はあ、さすがに痛いですわね。そろそろお父様へ婚約破棄の件をお伝えすべき時期かしら。異常を特定できた時点でわたしはそれを排除するために動けばいいだけですし、これまでよりもゆとりを持てるようになりますわ」
櫻子は部屋の中に備えつけられているデスクでサラサラと手紙を書き、ふっと吐息で転移の魔法をかけて実家へ届ける。確実に父へ届くように、父の執務室に座標を合わせて。
常人ではできないことも、櫻子は簡単に──あっさりと成し遂げてしまう。
それがどれほどの異常か、櫻子自身は気づいていない。
手紙を送ってほんのわずかでバサバサと翼を羽ばたかせる音を響かせる鳥の精霊の姿に気づいて、櫻子は部屋の中に入れてやった。すると、その鳥はヒトの言葉を話し始めた。
『手紙の内容は本当か、櫻子』
それは櫻子の父の声だった。どこか笑いをこらえるような、それでいて怒りをいだいているような。何を
「何か問題でも?」
『いいや、むしろ好都合だ。ちょうど
「あら、それはよかったですわね。反対する理由も持ち合わせておりませんし、こだわりもございませんのでどうぞご自由に」
『……もう少し欲目を出してもよいのだぞ?』
「結構です。それより、わたしは学園のことで忙しいので、婚約のお話はお父様にお任せいたします」
『何かトラブルでも起きているのか?』
「……さすが、勘は鋭いですわね。ええ、まあ……少々厄介な
『ふむ……お前一人で、ということは相手は取るに足らない存在ということか。わかった。何かあればすぐに連絡しなさい』
「ありがたい限りでございますわ、お父様」
櫻子は通信を終え、ぼふ、とベッドに横たわった。
(……礼儀も作法も、言葉遣いの一つすらもまともに扱えないこどもに手を焼かされるのは
その夜、眠る櫻子の視界には赤い警告が映し出されていた。
エラーコード000──「異常」な存在だけが使える超越権限。
この世界を「ゲーム」だと知る存在だけが正しく利用できるものであり、なおかつおなじ「異常」に対してのみ作動するシステム。これで「彼女」が「異常」な存在であることは証明された。
ここまで過ごしてきて「伊崎鈴音」以外に不審な動きをする者はいなかったのだから。
わざわざ自ら「私は異端者です」と宣言したも同然。
そうなれば、ここからが櫻子の本領発揮の場。これ以上「伊崎鈴音」に好き勝手はさせない。
あちらがまいた種なのだから、芽が出たところで驚きはしないだろう?
それでは、始めようではないか。
世界を敵に回すとどうなるのか──その戦いを。
櫻子の海のようなうつくしい青だった瞳は血のような赤が明滅し、顔には薄ら寒い笑みが浮かべられている。
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