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Third action: “I got You”(2)

 午前十時の少し前、訪れたティータイムには櫻子と顔見知り程度の学友たち、一学年から三学年までの九人の女子生徒が集まった。だが、その中に「伊崎鈴音いざきすずね」の姿はない。十人目の招待客はいつ姿を現すのだろうか。

 予定時刻である十時の十分ほど前から集まってきてお茶会の準備を手伝ってくれていた少女たちとは異なり、彼女は時間ピッタリに姿を現し、下級生である一学年の生徒から櫻子さくらこたち三学年の機嫌を伺うような視線が向けられる。

 櫻子は静かに「おかけになって」と全員に促し、ニコリと完璧でたおやかな笑みを浮かべた。



「みなさま、本日はお集まりいただきありがとうございます。わたしの贔屓ひいきにしているパティスリーと茶屋から取り寄せたスイーツとお茶をご用意いたしましたわ。お口に合えば幸いでございます」

「すごく豪華ですわね……さすが花菱はなびし先輩です」

「ありがとう。今日はささやかながら学年という枠組みを超えた交流会という目的がありますので、お茶をしながらみなさまのお話を聞かせていただきたいのですわ」



 明らかに面倒くさそうな表情でティーカップに手を伸ばし、口をつけた鈴音は嫌そうに顔をゆがめ、シュガーとミルクを無言で足した。

 このような場では上級生、特に主催がティーカップに手を伸ばす、あるいは声かけをするまで手をつけないというルールが存在する。

 だが、鈴音は自身の行為がマナー違反であるとはまったく知らないのだろう。

 それくらいは想定の範囲内だ、と櫻子はただ嫋やかに微笑んでいる。



「どうぞみなさまおあがりになって」



 主催である櫻子から声をかけられ、九人の招待客は初めてティーカップに手を伸ばす。

 そこで鈴音は自分がマナー違反を犯したと気づき、鬱陶うっとうしそうに顔を歪めた。イライラとした様子を隠すこともなく、いまにも舌打ちをせんばかりの表情で苦々しく口を開く。



「交流会なんて何の意味があるんですか? 公式なものならともかく、非公式で人数も少ないただのお茶会ですよね。知らないひとばっかりだし、あたしが呼ばれた意味もわかりません」



 鈴音の言葉にその場の空気は凍てつく。

 だが、櫻子はそっと微笑み、何をおっしゃいますか、とティーカップに口をつけた。



「上級生の振る舞いを見て身の振り方を覚えるのもまた必要なことですわ。顔見知り以外の人間との交流も。いざ公式的な行事にお呼ばれされたり、参加するとなった際に基礎教養が身についていなければ恥をかくだけのことです。それとも、鈴音さんは練習もせずに完璧な所作を身につけられるのですか? たったいまをしたばかりですのに」



 鈴音は櫻子をキッと睨みつけ、唇を震わせた。

 櫻子は鈴音が[転生者]であることを知っている。そして、このような上流階級に属していなかった「一般人」であろうことも言葉遣いなどから察している。

 だからこそこの場に呼び、彼女の本質を分析しようと考えたのだ。


 早々にマナー違反を犯したことを指摘されたことに対し、鈴音はイライラとした様子を見せ始めた。その様子一つすら櫻子の観察対象であるとも知らずに。

 鈴音はひどくいらついた様子でカツカツと指先をテーブルに叩きつける。


 爪の音がわずらわしい。



「……公式行事以外に意味がないとは言いませんけど、櫻子さまはあたしのこと嫌いでしょ? なのにあたしをわざわざ呼びつけて、あたしと交流のないひとばっかり招待して、嫌がらせ?」

「先ほど申し上げました通り、本日は『交流会』でございます。わたしにとっても新鮮な集まりなのですよ。いつものメンバーではないからこそ『交流』という言葉が使えるのではなくて?」

「自分も知らないひとばかりだからオアイコってこと? だから嫌いなの、あんたもこういう場所も。上っ面ばかり綺麗で腹のうちに黒いものを抱えてるあんたみたいな性悪女は嫌い。完璧主義? ちがうね、あんたのそれはただの自己満足で、傲慢ごうまんおごりだよ」



 ピリリとした空気に包まれた茶会の席でも、櫻子は決して笑みを絶やさない。

 ふとSystemから報告が入る。



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*Harmonizerへ報告。

*全世界のデータベースと照合した結果、同一の名称と魂を持つ人物が特定できました。


 ──随分とお早いことで。どなたでしたの?


──返答を確認中……

*はい、1000余の並行世界を確認したところ、第10番・第192番・第685番に同一の名称と魂を持つ人物が存在することが発覚し、所属する世界は三つまで絞り込めました。


 ──名称および役割は?


──情報を精査中……

──情報を開示します。


──名称:日野美郷(Hino Misato)

──役割:第10番 女子高二年生(十七歳)・第192番 ゲーム制作会社エンジニア(二十歳)・第685番 美容部員(二十五歳)


──最も有力な候補:第192番 ゲーム制作会社エンジニア(二十歳)


*現時点の情報は以上です。


 ──充分よ。そこまで絞れたらわたくしの方でさらに特定を進めます。指示をお待ちになってください。


*イエス、レディ。承認されました。


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 櫻子は探りを入れようとティーカップを置き、自分の隣から順に「得意なこと」を聞き始めた。



「みなさまが普段どのようなことをされていて、どのような特技をお持ちなのか教えていただけますこと? わたしの左隣の方から聞かせていただこうかしら。ちなみに、わたしの趣味は読書、特技は精密な記憶とヴァイオリンですわ。では、椎菜しいな様から……いかがでしょうか?」

「あっ、はい、もちろんです! 私もヴァイオリンを幼少の頃から嗜んでおりまして、ピアノとヴァイオリンが得意ですわ。普段の趣味は工芸品の収集と手入れですの」

「あら、工芸品……どのようなものがお好きなの?」

「木細工を好んでおりますわ。木細工のあの細やかな職人技にすっかり心を奪われてしまいましたのよ。計算し尽くされた角度……長さ……そのすべてがうつくしいのです」

「素敵な趣味ですわね。わたしの実家でも木細工を取り扱っている子会社がありますから、よろしければ今度、新作をお見せいたします」

「まあっ、本当ですか? 花菱さまのご実家の子会社で木細工と言えば『モクらてん』ですわよね! 私、いつも新作を楽しみにしておりますの。ぜひ拝見したく存じますわ!」

「それは良縁でございますわね。ふふ、どうぞ楽しみになさって。では、次に……香澄かすみ様のお話をお伺いしても?」



 一人、また一人と時計回りに一対一の会話を続け、ついに櫻子の本命である鈴音の番が来た。鈴音は嫌そうに顔を歪めながら渋々といった風に口を開く。



「……あたしの趣味はゲーム制作、特技は……プログラミング。IT関連の知識があります」



 ビンゴですわね、と櫻子は脳内にあるSystemへ語りかける。Systemからも「第192番の世界でまちがいありませんね」と返答があった。

 ここまで情報を掴めれば充分だ。



「素敵なご趣味をお持ちですわね。ゲームはどのようなものをおつくりになられるの?」

「それ、言う必要あります?」

「鈴音さん……ここが何のための場であるか、もうお忘れになったの?」

「はあ……めんどくさ。だからこういう場所は嫌いなんだってば。そうやって根掘り葉掘り聞いてきてさ、何が楽しいの? 意味わかんない」

「あら……気分を害したのならごめんなさいね。でも……[この世界]で生きていくのなら誰しもが必ず通る道ですわ。ある程度、相手の心を掴んだり揺さぶる話術というのも必要不可欠なもの。世界に手を広げる大手商社の娘さんならこのくらいできて当然なのではなくて? それともそんなことはしなくてよろしいとご実家から言われているのかしら。それとも、機会に恵まれなかっただけですの? 随分と厳重な『箱入り』ですのね」

「……いま、あたしのことを馬鹿にした?」

「いいえ、あわれみました。外の世界を知る機会もなかっただなんてお可哀想だと。なかかわず大海たいかいらず……広い世界を知る機会がなければ、礼節を学ぶこともできないでしょうね」



 鈴音──否、美郷はついにガタンと立ち上がり、わなわなと唇を震わせながら「気持ち悪い」と言い捨てて茶会の会場であるガーデンテラスから出ていった。

 櫻子はあとを追うことなど一切せずに「続けましょう」と嫋やかな笑みを浮かべた。



「鈴音さんは元より[この世界]に対して馴染みが浅いようですし、仕方ありませんわ」

「ですが、さすがに無礼が過ぎるのでは……?」

「無教養だという噂は本当でしたのね。無知は罪ですことよ」

「まあ、みなさま、そうおっしゃらずに。彼女もいずれ[この世界]の厳しさを知ることになります。その時になって初めて自らをかえりみることだってあるでしょう。いまはこのような交流会の重要性が理解できずとも、あの時きちんと参加していればよかったと後悔する日もあるかもしれませんわ。まだ二学年ですもの、三学年になってから責務を果たせるようになるかもしれません。まだまだわからないことなのですよ。さ、お茶会を続けましょう」



 櫻子のやわらかく丁寧な言葉に、その場にいた九人の招待客は静まり返り、そののち、そうですわね、と櫻子の言葉へ同意した。

 もはやここに「伊崎鈴音」の居場所は存在しない。

 「伊崎鈴音」という存在はこの場から排斥はいせきされた。少なくとも、この九人の中に彼女の肩を持つ者はいないだろう。……そのために、彼女と縁のない人間を集めたのだから。

 交流会など建前だ。

 少しずつ「伊崎鈴音」の居場所を奪い、少しずつ「花菱櫻子」の力を取り戻し、少しずつ鼠を袋小路に追い詰めていく。その取っかかりがこの「交流会」だったという、ただそれだけのこと。


 この場で持ちこたえるだけの精神力があればもう少し様子見をする予定だったが、これほどあからさまに態度に出してしまうのであれば話は変わってくる。

 迅速に「伊崎鈴音」の居場所を一つずつ潰す。

 それが最優先事項だ。



「みなさまのお話をお聞きできて光栄でしたわ。わたしが知らないだけで、世界は本当に広いものですわね。こんな身近にわたしの経験したことのないことをすでに経験されている方がこんなにいらっしゃるだなんて。まだまだ知見を広げていかなければなりませんわ」

「何を仰いますか、櫻子さま。私たちこそ櫻子さまを見習うべきですわ。常に嫋やかで、穏やかなあなたさまがどれほど女子生徒のあこがれであることか! 当然、私もその一人ですわ」

「まあ、ありがとうございます。わたしもまだまだ精進しなければならない若者でございますから、そのように言っていただけると自信がつきますわ。さて……そろそろいいお時間ですわね。今日の交流会はここまでといたしましょう。お菓子が少し余ってしまいましたわね。よろしければお包みいたしますので、みなさまお持ちになって」



 余らせて持ち帰らせることを予見して多めに用意していた菓子は丁寧に九人分包んでそれぞれに手渡した。そこに「伊崎鈴音」の分は存在しない。用意していた包装紙も九人分。つまるところ、初めから「伊崎鈴音は途中退席する」と想定していたということだ。櫻子の丁寧な口調の煽りに耐えられないと、そう想定していた。

 その想定通りに彼女は途中で退席し、まず一つ目の居場所を失った。

 彼女が少しだけ耐えれば──あるいは、世界へ馴染むことを考えていれば。

 一学年、二学年、三学年、それぞれに三名ずつ選出し、招待した。いずれも中立の立場で、鈴音の味方でも敵でもなかった人物。

 鈴音──美郷が上手く立ち回れたのなら、きっと味方にできたであろう人物たち。

 だが、彼女は自らの感情を優先して「下手な立ち回り」をしてしまった。

 この場で交流した女子生徒からの支持は得られなくなった。「上級生であり、多くの生徒のあこがれである花菱櫻子が主催する交流会を身勝手な理由で退席した」から。


 櫻子は決して無作為に美郷を傷つけたいわけではない。


 ただ、排除しなければならない存在であるから、孤立させる必要があるというだけ。

 それに、表面上は櫻子が嫌がらせをしているように見えるが、美郷自身にも問題があるのだ。

 たとえば、上流階級に馴染む努力をしていなければ、一般人が馴染めるはずもない。ヒロインだからという理由だけで生きていけるほど世界は甘くない。それはどこの世界であってもおなじことだ。ゲームならゲームとして楽しめるが、ここは現実でもある。ヒロインという特権を持っていようとも、その世界に馴染む努力をすること、基礎教養を身につけることは必要不可欠。


 その努力をおこたったのは美郷自身であり、どこか甘えた思考のまま「自分は悪くない」と逃げ続けてきた。

 今回の敗因はきっと、そこにある。


 転生した、ヒロインになった、それで終わり。


 それでは仮に「櫻子が排除しなくても問題ない存在」だったとしても世界からは自然と淘汰とうたされていくものだ。

 櫻子は学ぶ機会と排斥される可能性を与えただけ。

 本質と正体を暴く目的はもちろんあったが、それだけでなく、ただ純粋に「この世界に来た以上は上っ面だけでも上手く生きてほしい」というおもいもあったから。

 それが、櫻子にできる最大限のやさしさであり、限界なのだ。


 第192番の世界に生きる「日野美郷」という女性、それが本来の姿。決して[永遠の花園]における「伊崎鈴音」にはなり得ない。


 傷つけることも、殺めることも、消滅させることも絶対にしない。

 本来あるべき場所へ「戻す」──それこそが[Harmonizer]の使命だ。



(わたくしは……秩序をまもる存在。均衡を保つ存在。ゆえに、イレギュラーな異物は排除しなければならない。あなたがもう少し努力を惜しまず、もう少し上手く立ち回れる女性だったならば、わたくしの計画もより繁雑はんざつになっていたことでしょう。ですが、あなたはその努力を怠ってしまったのですわ、美郷さん……)



 あるべき場所へ戻れば、美郷の中から[この世界]で生きた記憶はすべて削除される。傷ついた記憶も、悔しいおもいも、報われない気持ちも、間近で愛した「推し」からの愛情も、すべて。


 だからこそ櫻子は早急に、迅速に美郷を元の世界へ戻さなくてはならない。これ以上美郷が傷つかないようにするために。それが、それこそが、彼女が成さねばならないことだから。

 どれほどに「人間」を理解しようとしても、彼女は「共感」まではできない。近しい感情のようなプログラムに沿って反応することはできても、本質的な「共感」や「共鳴」は生まれない。どう足掻いたとしても、AI Systemが人間になることはできないし、なりたいわけでもない。

 櫻子もまた「花菱櫻子」という姿を借りた[世界の調和者]に過ぎない。所詮は機械のような存在であって、人間とは理解さえも困難な対象であって、プログラムされた『感情』以外を生じさせることはできない。



(……わたくしは、わたくしのためにも、美郷さんのためにも、この世界のためにも、自我を捨てなければならない。憐れむことも、哀しむことも、いとおしむことも、すべて不要なのです)



 櫻子は人気もなくなり片づいたテーブルをじっと眺めながら、そっと息を吐いた。



「……I got You……これより、次のフェーズへ移行します」


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──System Word 承認。

──Program: “Delete Anomaries” 起動


──対象人格:伊崎鈴音/日野美郷


──シナリオの整合性をチェック……

──チェック完了、異常なし


*このままフェーズを移行しますか?


 ──Yes.


*承認。これよりForth actionへ移行します。


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