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浅草発、異界ゆき

 私は——どこにでもいるひと山いくらの女子高生・月嶺つきみねみらいは——今、敵地の目の前にいた。

 場所は浅草、とある商業ビルの屋上。

 右手にはかの雷門があり、建物の隙間で蠢く数多の人々は、ゴミというよりか虫みたいに見える。

 前方を流れる隅田川の先にはスカイツリー、雲を突くかのような三百メートル……えっと……三百七十……いや四十……? こほん。とにかく、世界一の威容をそびえさせていていた。


 二十一世紀、なんの変哲もない令和の日本。人々は今日も、いつも通りの日々を送っている。

 その水面下に何が蠢いているかも知らず。


 ひらり、と風に乗り、何かの紙切れが飛んできた。


「おっと」


 顔に張り付きかけたそれをキャッチして見てみると、それは尋ね人についてのチラシらしかった。

 柔和な顔立ちをした男の子の写真が、何枚も何枚も載っている。


 山寺慶純やまでらちかすみ。高校二年性。半年前、学校帰りに突如として失踪。心当たりのある方はどうかご連絡ください。


「…………」


 内心で大きく息を吐きながら、私はその紙を手放しまた風に流す。

 こんなのに構っている暇はないんだ。


 意識を集中する。

 体を覆っている【星幻アストラル】を剥がす。


 光が。

 弾けた。


 私の体の全てが、星幻——この星の外からもたらされた異界の力によって、組み換えられていく。


 視界の端、細く二つにゆわえた日本人らしい黒髪は、輝くほどに透き通った白色に。

 そこから零れた光は広がり、全身を覆い、先ほどまで着ていたはずのセーラー服を、いつの間にやら西洋風の装束へと変化させていた。

 あくまで風、だ。

 ひらひらとしたスカートやコルセットのようなお腹の装飾はなんとなくヨーロッパっぽい感じがするけれど、私はヨーロッパの服装を知ってるわけじゃないし、そもそも糸で結えられもせずふわふわ宙を舞う星のかけらのような装飾が付いているこんな服、この地球のどこにだってないだろう。完全に物理法則を無視している。


 何よりの変化は、頭の上と腰の辺り。

 どこかむずむずとくすぐったい感じがしたかと思うと——骨と肉が組み変わる、めりめり、とした感触がした。痛くはない。けど、麻酔をされて親知らずを抜かれたときみたいに、不安になる感触。

 それは一瞬のことで、すぐに変化は終わる。


「変身完了! ……なーんて」


 どちらかというと変身解除なので、この宣言は正しくない。けど、ここから戦いに向かうわけなのだから、気分くらいは上げておきたい……っていうのも、正確じゃなくて。

 なんていうか、その方が、“ぽい”って思うのだ。

 変身バンクの後は決めゼリフ、決めポーズ。なんとなく、“それっぽい”。ポーズはしてないんだけど。


 とはいっても、うだうだしている暇はない。

 私は目の前にあるはずの、しかし物理的には一切何もない空間へ、片手に込めた【星幻】を思いっきり撃ち込んだ。


 瞬間、“開く”。


「〜〜〜〜っ、」


 視界が一気に書き換えられる浮遊感にも似た次元跳躍感に、込み上げてくる吐き気をぐっと堪えた。

 次の瞬間見えたのは、なんとも仰々しい闇。

 洞窟、いや、遺跡だろうか。

 煉瓦だか茶色っぽい石だかを隙間なく組んで壁や天井や床が構成されていて、壁には点々と松明が並んでいる。とても、東京のど真ん中にあるとは思えない、怪しげで古めかしい空間。


 当然だ。なにせ、ここは東京ではない。どころか日本でも、地球ですらない。

 どこか遠い遠い星空の彼方にある、別の世界。正確には、その模造品イミテーション


『グギガがギガギぐぐググ』

「おっと」


 掠れた呻き声が聞こえ、ふるふると首を横に振る。次元渡航酔いなんてしてる場合じゃあない。

 直角の曲がり角からぬっと姿を現したのは……骨だった。人間の。


「ひぇっグロっ」


 それも理科室の骨格標本みたいに清潔な見た目じゃない、黄ばんでいて、干からびた肉だか皮だかっぽいのも引っかかっていて、骨というか死体の成れの果てですみたいな格好だ。

 お風呂に一日入らないだけで気になってしまうたかがJKが相対するには、ちょっとばかし難易度が高い。それが動いている、どころかギギと軋む首を巡らせてこちらを見た。


『ぎガガグギがぁ!』


 その空っぽの眼窩に、はっきりと敵意が燃えたのが分かった。


「目なんてないくせに!」


 理不尽な現象に毒づきつつ、私は素早く片手を構えて【星幻】を溜める。

 ガチャガチャと近付いてくる骨は、余計な肉も服もないからなのか妙に素早い。手には錆びた肉厚な刃の曲剣を握っていて、それがぐっと上に振りかぶられた。


 対する私は、ちょっとヒラヒラの服を着ているというだけで完全に素手。刃を受け止めるように片手を走らせるけれど、このままでは手首あたりがすっぱり斬り落とされて終わるだろう。


「照らせよ【光牙コウガ】!」


 唱える。

 瞬間、巨大な鉤爪のかたちをした光の塊が、私の手先からぐいんと伸びた。それが、骨の持つ重そうな剣とまともにぶつかり合う。

 ただの光ならすり抜けるだけだ。でも、それはもちろん、ただの光ではない。


 音さえなかった。

 骨が、剣を振り抜いた体勢で硬直していた。けれど、私には傷ひとつない。

 骨の持つ剣は、持ち手から先がどろりと溶けてなくなっていたのだ。

 それだけではない。


『ギ……ィ…………?』


 剣を溶かした光の奔流は、それを持つ骨までもを一刀両断していた。

 脊椎を分かたれ、肋骨を落とし、文字通りに崩れ落ちたそれは、死体の形ですらないただの骨の山になる。

 がちゃがちゃ、とやけにコミカルな崩壊音。


「一丁上がり、っと」


 この程度、造作もない。

 なぜなら、私は【星幻少女アステュエラ】——【侵星者アグレッサ】を狩る、星宿りなのだから。


 この世界は、常に滅びの危機に晒されている。

 【侵星者】——それはいわゆるところのエイリアンというよりかは、異世界人に近い存在だ。

 星々のように無数にあるという異界の彼方、法則も常識も何もかもが現実とは違う、ロケットでもUFOでも渡れはしない暗黒の向こうから来た多種多様な彼らは、一つの共通点を持っている。


 地球人類を、心の底から憎んでいること。


 ……さて。

 異世界転生、ないし異世界転移、というものをご存知だろうか?

 なんの変哲もない現実世界の人間が、ある日突然異世界に生まれ直したり、あるいは異世界にワープしたりする。

 そこで聖剣に見初められたり、古代の機械兵器に適合したり、マヨネーズで大儲けしたり、神様直々にチカラを与えられたり。

 そういう色々な理屈で世界を救ったり救わなかったりする、アレである。


 アレらは、少なくともアレらの一部は、実在の出来事だ。

 勇者召喚術の対象になるだとか、相似次元渡航船に巻き込まれてしまうだとか、あるいはうっかり次元断層の狭間に落ちて世界録の神性を活性化させてしまうだとかして、異界に渡る人間が一定数いる。

 しかも、この世界の人間というものには、どうにも世界を救う才能に満ち溢れているらしい。

 何百何千、もしかすると何万何十万もの地球人がさまざまな異界に渡り、そこで悪を倒して人間を救っている。


 そんなの、悪サイドからしたらたまった話じゃあない。

 中には、緻密に計画を練って練って、乾坤一擲とばかりに生涯を賭けて人類を滅ぼそうとしている立派な魔王様もいるのだ。なのにいきなりルール無用で乱入してきた異界人に全部をめちゃくちゃにされたら、まあ、ムカつくだろうなあ、というのは純地球人の私にもわかる。

 そのムカつきは——憎しみは、悔恨は、未練は、悪が死んでなお残る。

 その強い感情が、魂が、肉体というくびきを離れ、距離も次元間障壁も乗り越え、諸悪もとい諸正義の根源たる地球へと向かうのだ。

 いわば怨霊、というやつだ。


 そういう誰にも知られないこの世の水面下にある事実を、私は私に宿った星幻にして元を辿れば侵星者のチカラである【白銀霊狼アルゲントゥム】によって教えられた。


 私の、月嶺みらいの両親と弟は、侵星者アグレッサに殺された、らしい。

 私自身もまた、人間としてのカタチのほとんど大部分を持っていかれて、こうして星幻少女へと変わってしまった。


「迷惑な話だよね、ほんとに」


 骨の残骸を踏み越えて、私は先へと進む。

 この骨は侵星者ではない。

 いわばその手下、侵星者が魂と共に持ち込んだ異界のカケラ、そこに含まれた再現体。小さな【ソーン】のようなもの。

 世界を壊す本命は、もっと奥にいる。


「みんなみんな、特に縁もないよそ様の世界とか救ってさあ。ちょっとくらい、故郷のことも鑑みてみろって話だ」


 この骸骨をのしたのも、どこかの地球人であるはずだ。

 良かれと思っての行動だろう。

 いくら力があったって、それで世界を救おう! と戦えるのは凄いことだ。褒め称えるべき勇敢だ。それは、やっぱりこうして戦っている私にはよく分かる。

 分かるからこそ、この世界にだって勇者がいてもいいじゃないか、と思ってしまう。

 悲しいのも、辛いのも、聖剣だか極大魔法だかなんだかで全部全部吹き飛ばしてくれるような理不尽がいてもいいんじゃないか、って。

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