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黒い星幻少女

「……っとと、考えごとしてる場合じゃない」


 いくら苦戦しなかったからといって、気を緩めるのはいただけない。

 またまたにゅっと出てきた骨の一体を、私は出しっぱなしにしていた【光牙】でザシュッと呆気なく仕留めた。


「んー、科学系ではまずないとして、神秘系にしては弱すぎるから霊術か呪術か……一応人の形してたし、そこはかとなく禍々しいし、呪術かな?」


 どれだとしても星幻による再現なのに変わりはないし、私は結構強いので基本的に真正面からぶち転がせもするのだけど、一応心の隅でメモしておく。

 なにしろ、ここは侵星者の結界である【箱庭キャビン】。私の住む二十一世紀日本とはかけ離れた法則の亜次元である以上、警戒はしておくというのに越したことがない。

 特に、この手の迷宮ダンジョン的な【箱庭】は、性格の悪いトラップが仕掛けられている恐れがある。


「————————!」


「……ん?」


 何か。

 聞こえた気がする。


 ぴこぴこ、と私は耳を——頭の上にぴょんと生えた三角の耳を左右に動かし、音の元を探る。

 人間の耳ではない。私の体は、異界たる【星幻アストラル】によって大きく人間から逸脱している。

 だから耳は顔の横からじゃなくって頭の上にある狼の耳だし、後ろにはふさふさとした白銀色の尻尾まで生えている。

 通路の脇に流れている濁った水路に顔を向ければ、そこに映り込む双眸の蜂蜜みたいな黄金色が輝いていた。


「——! ————ッ!」


「……まただ」


 掠れたそれは、人間よりもよほど鋭い私の耳でさえはっきりと捉えることはできなかったけど、なんだか人の声のように聞こえた。


「それは、マズい」


 とても、マズい。

 ここは異界だ。きっちりと組まれた物理法則に守られた現実世界とは、まるで違うのりが働いている。

 星幻少女以外の人間は、足を踏み入れるだけで命に関わりかねない。


 警戒しながらの進軍をやめ、力の限り思い切り地を蹴る。

 トラップだのなんだのへの警戒も捨てた。落とし穴なんて飛び越えればいい。岩が降ってくるなら砕けばいい。正面に現れた【ソーン】は勢いのままにぶった斬る。


 星幻のきらめく残滓さえ残る速度で駆け抜けて、ものの数分で声の付近へ辿り着く。

 けれど、安心はできない。ほんの一秒でさえ、この異界では命取りだ。数分なんて言うまでもない。

 どこだ? どこにいる?


「——しっかりしてくださいっ、大丈夫、大丈夫ですから……!」


 いた。

 角をいくつか曲がった先の小部屋の中に、かがみ込む小柄な人影があった。

 そこに、私が足を踏み入れた瞬間。


 殺気。

 心臓が縮む。


「——ッ!」


 咄嗟に【光牙】を体の前にあてがう。

 がきん、と。

 金属と打ち合うぎぃんと重い音、衝撃。

 松明のない部屋の中は暗くて視界が効かず、相手の姿を視認できない。

 私は素早く【光牙】を傾けた。


「っ、!」


 鍔迫り合いになっていた武器が——どうやら片手剣らしい——【光牙】の上を、ぐぐ、と僅かに滑る。が、持ち堪えた。

 おお、と私は内心で感嘆する。

 今の、相手の力の矛先を傾けて崩すやり方は、結構自信のある技だ。

 けれど焦りはない。

 私は【光牙】に込めていた星幻を、ほんの少しだけ弱めた。


「わっ、わわ⁉︎」


 すぅっ、と。

 金属製の剣とまともに打ち合っていたはずの理外の光たる【光牙】が、唐突にその物質性を失ってすっと剣を透過した。

 【光牙】は形ある光だが、普通の光にしてしまうこともできる。

 それをいきなりやれば、相手は思い切り込めていた力を急に抜くことなんぞできないので、こうして倒れ込んでしまうというわけだ。

 見上げたことに、倒れつつも尚相手は剣を突いてきた。ひょいと首を傾げて避ける。遅れて動いた髪までは避けられず、ぱっと数本の銀糸が舞った。


 さて、暗いのに慣れてきた目が捉えたお相手の姿は、やはりと言うべきか星幻少女のものだった。

 小柄な子だ。

 マントと胸当てに黒ドレス、剣士とゴスロリの折衷みたいな格好。ふんわりとした黒髪に、鮮血のような赤の瞳。それが、私に向けられるなりまんまるに見開かれる。


「……あ、あれ?」


 間の抜けた声。

 幼い、まだいくらかのあどけなさが滲む声音だ。


「【棘】じゃなくて……あ、星幻少女アステュエラ⁉︎」


 何を今更、と思った。


「そうだけど」

「すすすすすすみませぇん!」


 仰向けに倒れ込んでいた彼女は、くるりと半回転して土下座の体勢となった。


「すみませんすみませんすみませんっ! あんまり星幻の気配が濃いものですから、てっきり【棘】か、もしかすると侵星者がここを見つけたのかと……!」

「ああそういう……」

「えとえと、ハラキリ! ハラキリですか、こういう時は!」


 ちゃきっと片手剣が握られる。


「やめてね」


 グロは苦手なのだ、私は。

 どうどう、と宥め、どうにか目の前の黒い星幻少女を立たせる。

 実際、私側にも原因のあることだ。切羽詰まった様子も相舞って、あんまり責めようという気持ちにはならなかった。


「怪我もしてないから。……それより、なんでこんな袋小路に?」

「……っ、そうだ! すみません、ハラキリはまた後でで、その、手伝っていただきたいことが……!」

「介錯ならしないからね」


 とにかく、黒い星幻少女に促されるまま、私は小部屋の中に入る。

 そこには、倒れた二つの人がいた。

 どちらもただの人ではない。体のあちこちが白骨化しかけていて、口からは苦しげな呻き声が漏れている。


「っ……、一般人、しかも【反転】しかけてる?」


 反転。

 異界に侵食され、人間が人間をやめてしまう現象。今回の場合は、あの人骨に変異しようとしている。

 といっても、猿から進化しただけの血と肉と骨とで構成された人体は酷く脆い。反転が完遂されることは決してなく、途中で肉体がこわれてしまって、異界が解けた後には血まみれでぐちゃぐちゃの死体だけが残るのだ。


「はい、はいっ。わたしひとりじゃ、二人も庇えなくて……どうか、助けていただけませんか?」


 私は返事をする時間も惜しく、大柄な方を担ぎ上げた。


「【反転】は時間経過で侵攻する。急ぐよ!」

「っ、ありがとうございます!」


 黒い星幻少女が、大きく頷いてもう一人を背負う。

 いい子だな、と素直に思った。

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