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第17話 記憶

 女性に連れて行かれたのは、小さな部屋だった。

 いろいろな機械がごちゃごちゃ置かれてあって、本がたくさんあり、変な匂いのする場所。


 女性は、「うらら」と名乗った。

 どうやら、おれとは知り合いらしい。

 もちろん、おれにはその記憶もない。

 どうがんばっても、この派手な女性と自分の記憶はなにも思い出せなかった。


 それに、そうやって記憶を手繰り寄せようとしてわかったことがある。

 それはおれには、過去の記憶のようなものがなにひとつないのだ。

 ただひとつもない。

 そんなことあるのだろうか……。

 記憶を持たない、ということは。

 もしかしたら、自分は人間ではないのかもしれない。


 たとえば、幽霊で、この辺りをさまよっているとか。

 しかし、幽霊であればなぜ、記憶がないのか。

 ああ、頭がふわふわしてきた。

 そもそも、ユウレイとはなんだ?

 ニンゲンっていうのは、自分のことか?

 頭の中にたくさんの疑問がわいてくる。

 それと同時に、不安にもなる。


 しかし、フアンというものを考えてみれば、それがなんなのかわからない。

 考える。

 自分がずっと頭の中でひとりで話していたことは、考えるという行為なのだろうか。

 もうなにもかもわからない。

 真っ白な世界にいるみたいだ。


「できたよ」


 うららさんがそういって、何かを差し出してきた。

 小さな白い四角いもの。


「これは?」


 おれがそう聞くと、うららさんは答える。


「これはね、リセット消しゴム。黒歴史消しゴムで消したことをすべて元に戻せる消しゴムだよ」


 うららさんは難しいことをいうと、ノートを開き、何かを書く。

 そこには、こう書かれていた。


 本野翔


 なにが書いてあるのかわからない。

 おれが黙って、うららさんを見守っていると。

 ノートに書いた「本野翔」という文字を白いもので消していく。

 すべて消し終えた瞬間。

 記憶がどんどん流れこんできた。


 思い出した。

 おれは、本野翔。

 高校一年生、彼女いない歴=年齢。友だちもいない。幼なじみの松戸麗は幼なじみ。本人にはいっていないが初恋の相手。今は高校の同級生でありクラスメイトであり、実験台。

 作家でペンネームは一ノ瀬伊吹。『黒ギャル探偵』は4巻を執筆中。

 ああ、そうそう。

 麗の発明の『黒歴史消しゴム』をつかっていて、先生に疑われて自分の名前を消してしまって……。


「どう? 記憶は戻った?」


 麗の言葉に、おれはうなずく。


「少しずつ、記憶が戻ってる」

「黒歴史消しゴムで消したことも戻っちゃうけど、いいよね」

「ああ、かまわない」


 おれはそういうと顔を上げる。


 本当は黒歴史なんかないほうがいい。

 思い出したくないことなんか山ほどある。

 でも、記憶がまったくなくなった時よりはマシだ。

 黒歴史を抱えて歩くほうが、ずっとずっとマシだ。


 麗を見て、おれは続ける。


「消したい記憶もひっくるめて、それもおれの一部だ」

「おっ、カッコいいね」


 麗はそういってニッと笑う。

 なんだか照れくさい。

 おれはちょっとだけ笑ってから思う。


 そうだ、たくさんの記憶を消したからこそわかったこともある。

 黒歴史を消してしまうのは簡単だった。

 だけど、それと同時に、良い思い出や記憶もいっしょに消してしまう。

 自分にとって嫌な記憶も、もしかしたらそれは誰かをちょっぴり幸せにしているのかもしれない。


 たくさんの良い思い出と、悪い思い出、両方を大人になってから笑い話にする。

 それが、青春であり、本当の意味での思い出なのではないのか。

 だからおれはこれからは、嫌な思い出も抱えていこう。

 どんな思いをしようとも、黒歴史消しゴムには頼らず――。


 その時。

 あるひとつの記憶がふっとよみがえる。

 なんてひどい。

 なんてむごい。

 極悪非道!

 そうだ、これは……。


「リズリサ……あの双子からいわれのない天罰を下された時の……」


 そうつぶやいてガタガタと震えるおれに、麗は聞いてくる。


「どしたん?」

「双子が……リズとリサが……こわい……やめてくれ……」

「なに? リズリサちゃんマジかっこいいしかわいい双子だよね。林檎ちゃんラブな共通点あってわたし大好き」

「麗はあの双子の恐ろしさを知らないんだよ」


 歯をガチガチ鳴らすおれに、麗は戸惑ったような表情を浮かべる。

 おれは、震える手で自分のペンケースを漁った。

 それからおもむろに黒歴史消しゴムを取り出す。


「もうつかわないっていったじゃーん」

「例外もある。そしてトラウマレベルの黒歴史は消していいことにした」


 おれはそれだけいうと、ノートに双子にされたことを書く。

 消しゴムで思い切り消そうとして、手がすべった。


「あっ」


 おれと麗は同時に叫んだ。

 消しゴムは大きく飛んで、開いていた窓へ。

 急いで窓の外を観れば、外に飛び出た消しゴムは地面に落下している。

「あっ。これって最近うわさの黒い消しゴムじゃん」と女子が拾っていってしまう。


「おれの!」


 そう叫んで後を追うとしたが、ここは化学準備室Ⅱ、つまり麗のラボ。


「麗、黒歴史消しゴムってまだあるよな」

「えっ? もうないよ」 

「だって、大量生産できるって……」

「大量生産したのはみんな売っちゃった~!」

「じゃあ、また大量生産してくれよ」

「それが……大量生産用の機械、壊れちゃったんだよね」

「直せないのか?」


 おれが祈るような思いでいうと、麗は少し考えてから答える。


「うーん。一カ月、いやあ二カ月あればなんとか直せそう、かな」

「そんなに……」


 おれはそういって膝から崩れ落ちた。

 麗がおれの肩に手を乗せていう。


「消したい記憶も含めて翔なんじゃないの?」


 その言葉に、おれは涙をこらえながら口を開く。


「一か月か二カ月、引きこもる……。学校も休む」


 それだけいうと、おれは化学準備室Ⅱを後にした。

 帰って寝よ……。


 そう思って、廊下を歩いていたら、ひとりの女子にばったり遭遇。

 おれは思わず、「げっ」と体を引いた。

 女子は、姫宮林檎だったからだ。


「ねえ、聞きたいことがあるのよ」


 姫宮はおれにそういった。


「おれにはない。関わらないでくれ」

「ちょっとまって。大事なことなの」


 姫宮の強い口調に、思わず足を止める。

 おれと毒リンゴは、向かいあってしばらく見つめ合う。

 するとその時。

 廊下の開いていた窓から、冷たい強い風が吹いた。

 床の埃を舞い上げ、毒リンゴの髪の毛をなびかせ……。

 ついでに、スカートも大きくなびいていた。

 おれはさっと目をそらす。大丈夫、見てない。

 風が通り過ぎ、静かになった廊下で、毒リンゴが心配になるほど顔を真っ赤にしていう。


「みっ、見えてないわよね?!」

「見てない、見てない!」

「なんか怪しい! 見たでしょ」

「見てねーよ! つーか見たくもねーよ」


 はっ、思わず本音が。

 おれはそう思って、手を口に当てるが時すでに遅し。


「リズリサああああ」


 毒リンゴが叫んだ。


「やめてくれええ! おれはなにもしてない!」


 おれが逃げようとしたその瞬間。

 リズリサはものすごいスピードで走ってきて、おれを両腕をつかむ。

 ダメだ、もう終わりだ……。


「なに、どうかした?」


 そういったのは、化学準備室Ⅱから出てきた麗だった。


「麗! 助けてくれ! おれは無実だ!」

「うそ! わたしのパンツ見たくせに!」

「だから見てないって!」


 毒リンゴが涙目で麗に訴える。

 すると麗は、「あちゃー」と自分の額をぺしんとたたく。


「それは有罪だし極刑かな」

「麗! それはないだろ! こういうのが冤罪を招くんだよ!」

「それが最期の言葉でよろしいですか?」


 そういったのは双子。

 にっこりと双子はおれに笑うが、その笑顔はシリアスキラーが獲物を見つけた時の目だ。


「リズリサ、後は頼んだわ」と毒リンゴ。

「ね、ね、林檎ちゃーん、いっしょに帰ろ」と麗。

「……まあ、いいわ」

「やったぁあ」


 楽しそうに下校する麗と毒リンゴは、別世界の住人のようだ。

 いや、おれは陰キャだから、そもそも陽キャに関わっていけない人間なんだ。

 陰キャは陰キャらしく、陰にひっそりと息を殺して過ごすべきだった。

 リズリサのものすごい力で引きずられながら、おれはポツリとつぶやく。


「人生なんてクソゲー」

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