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第22話 洗濯機パワーアップ

 おれは家を出ると、真っ先にお隣の家へ。

 しかし離れの家は鍵が閉まっていて真っ暗。


「いないのか……」


 その瞬間。

 ものすごい衝撃と痛みが背中に走る。

 反動でごん、とドアにでこをぶつけ、うずくまった。


「あっ、な~んだぁ! よく見たら翔くんじゃなぁい」


 ふんわりと甘い口調でそういったのは。

 顔を確認しなくてもわかる。

 外見と口調からは想像もできないぐらいに、暴力的な女子は、おれはひとりしか知らない。


「なんだと思ったんですか……」


 おれはようやく立ち上がり、相手を見る。

 金色の長いストレスヘアーに、掘りの深い整った顔立ち、華奢な体つき、そんな体を包むのはセーラー服。


 麗の姉である。


 ちなみに落ち着いた色合いのセーラー服は、女子校である。

 高校三年生。

 まるで女神のような見た目をしているが、見た目だけだ。


「だってぇ~泥棒さんかと思っちゃったんだもん」

「すんません。勝手に庭に入って」

「いいの~。泥棒さんじゃないなら危害加えないから~」


 ふんわりと笑う女神からは、殺意が消えていた。

 泥棒だと思ったから飛び蹴りってすごいな、相変わらずだ。


「ねぇねぇ。麗ちゃんね、もう学校行っちゃの~。なんだかす~ごく重い物抱えてね~」

「そうですか、ありがとうございま――」


 礼だけいって退散しようとした時。

 ものすごい力で腕をつかまれた。

 その細い指の、どこにこんな握力が。


「ねえ、お茶、飲んでいって? スコーンもあるの~」


 姉は、「ね?」と小首を傾げてサラサラの髪の毛を揺らす。

 このシチュエーション、普通の高校生男子なら胸がときめくシチュエーションなんだろう。

 しかし、おれはこの女神の本性を知っている。

 だってほら、右手に握られているのは、包丁……。

 ぞわっと背中に悪寒。

 おれの視線に気づいたのか、姉はいう。


「あっ、これね~。泥棒さんだったら、これで刺してあげようと思ってたの~うふふ」

「それは正当防衛ということですよね?」


 いきなり刺したら、過剰防衛になるよう気がするがそれはいわないでおいた。

 なにせ相手は鋭利な刃物を所持しているのだ。


「そう。もし、翔くんが泥棒さんだったら~、今月で三人目の犠牲者になるところだったねぇ」

「え、三人目? 犠牲者?」

「わたしとママのストーカーがねえ、いるのよお。ああ、いたの間違いねえ」


 姉はいうと、包丁に視線を落として続ける。


「よかったぁ。まちがえて翔くんを刺しちゃわなくて……。本当に」

「あの……。ストーカーを、その、どうしてるんですか?」


 恐ろしくなって聞いてしまった。


「大丈夫。殺さないわ」


 姉はそういうとにっこり笑った。

 ホッとしたのも束の間、彼女はこう続ける。


「殺してしまったら、再起不能にできないじゃない~」

「えっ」

「法的にギリギリの範囲でぇ、いたぶ……じゃない、こらしめるのがいいのよぉ」


 姉は幸せそうに、まるでスイーツの話でもするかのようにいった。

 いま、いたぶるっていいかけたよな……。

 ダメだ、逃げよう。

 そう思うものの、包丁が怖すぎて動けない。


「それじゃあ、家に入りましょう」と姉にいわれるがまま、連れて行かれる。

 包丁には、赤黒いシミがいくつもある。

 いや、気がするだけ、だよな……。



 おれは泣くのをこらえて、学校へと向かった。

 ようやく、ようやく解放された!


 本当に怖い思いをした。

 麗の姉の、「お茶」というのは建前で。

 今まで自分をいじめてきた人間、ストーカーをしてきた男たちなど。

 そういう奴らを捕まえて、どうやって社会的に抹消し、尚且つ、これから一生、怯えて生きることになるということまで知らしめているのだ。

 こいつは、こうやってまずは社会的に抹消して一家離散もした、実際にこいつは痴漢をしていたから人間のクズだから、生かしておくだけマシ、みたいな話を延々聞かされた。

 笑顔で、今までこらしめた人間の悪行の数々と、姉がした報復の詳細を聞くのに、スコーンとジャムとクロテッドクリームは重すぎた。

 ミルクティーじゃ流し込めないくらいに。


 確かに人をいじめたり、ましてや犯罪をするのが悪い。 

 しかし、だ。

 それらに対して報復――しかもえぐいやつを聞かされるのは楽しいはずがない。

 そんなこんなで、おれは泣きそうになりながら学校へ向かっているのだ。

 心の洗濯機で、気分良くなりたい。

 そのいっしんで、ただひたすらに歩いた。


「うおっ、なんだこれ」


 学校について、真っ先に行ったのは化学準備室Ⅱだ。

 もう、おれはここに登校しているといっても過言ではない。

 そんな本当の意味でのおれの教室、化学準備室Ⅱのドアを開けた瞬間。

 なんかデカいものが狭い部屋を占領していた。

 その機械の前には、麗が立っていて、こういう。


「あっ、タイミング良すぎ~。今完成したの」


 にっこりと麗が笑う。

 なんだかホッとする。

 姉とはちがう、心からの笑顔だ。

 ちょっと元気になったおれは、麗に聞いてみる。


「なにこれ」

「これはねえ。『心の洗濯機』だよ」

「なんか前よりデカくなかったな。洗濯機二つ…いや三つ分はありそうだ」

「だって二人同時に入れるようにしたんだもん」

「二人同時かあ」

「これで三分待たなくてもいいんだよ!」

「三分くらい待てるだろ」

「いや! わたしはタイパ重視の現代っ子だもん」


 麗はそういって首を左右に振る。


「それにー、パワーアップバージョンは、中での居心地がさらに良くなってるの」

「居心地っつーか、妄想だろ?」

「入ってみればわかるって」

「まあ、そのつもりだったけど」


 おれがいうと、麗はうれしそうに笑った。


 麗のいう通り、中は以前にも増して快適だった。

 なぜなら、洗濯機の中には豪邸があったのだ。

 映画に出てきそうな洋風の城のような外観の屋敷は、部屋数がバカみたいにある。

 そんなに広いなら、移動が大変そうだが。


 そこは妄想。

 ドアとドアがつながっているのは、隣の部屋ではない。

 ドアを開ければ、行きたい部屋につながる。

 リビングから寝室に移動したいな、と思ってリビングのドアを開ければ寝室に。

 寝室からトイレに行きたいな、と思えばドアを開ければトイレ。

 寝室から書庫に移動したいと思えば、ドアは書庫へつながる。

 すごいのは部屋だけではない。


 広い食堂には世界各地のコーヒー、ジュース、紅茶がそろい、コンビニの新作の飲み物なんかまである。

 日本、世界各国の料理と色々な店の料理も並んでいる。

 スイーツもある。

 しかもこれぜんぶ無料。おれの好きなものばっかり。

 まあ、おれの妄想だしな。

 あれ、でもおれが別に好きでもない料理やスイーツまである。

 まあいいか。


 映画は屋敷のシアターで見放題(観たことないのもある)

 本はおれの好みと、あと知らない本もちらほら。

 温泉、コンビニ、美容院、ネイルサロン。

 これらがすべて屋敷の中にあるのだ。

 あれ、ネイルサロン?

 おれは少しだけ考えてから、ドアを開ける。


 ドアの向こうは、ピンク一色の部屋。

 ぬいぐるみに埋もれた麗が、手を振る。


「あれ、なんでいるんだ?」

「だからふたりで同時なんだって」

「そういうことなのか。じゃあ、おれと麗は妄想の中でいっしょなのか」

「そゆことー」

「なるほど。それがわかったら安心だ。おれはコーヒー飲んでくる」


 おれはそれだけいうと、ドアを開けた。

 食堂で美味いコーヒーを飲んで、一息つく。

 ああ、癒されるなあ。

 ずっと、ここにいられたらいいのに。


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