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第11話 カルネアデスの板


 俺たちは双剣の女に連れられて、一つ下のフロアに降りた。

 一番前を双剣の女が歩き、俺たちが後ろに続く形だ。


 俺たちが後ろを歩いているのに、双剣の女は警戒をしているようには見えなかった。

 だが少しでも彼女に向かって殺気を放ったら、殺されるのはこっちだろう。

 そのことが分かっているため、俺たちはただ黙って彼女の後ろをついていった。


「ここまで来れば、上のフロアに会話は聞こえないでしょうね。あちらはモンスター討伐に夢中でしょうし」


 このフロアのモンスターは、ついさっき俺たちが討伐しているため、しばらくは復活しないはずだ。

 そのため話し合いにはうってつけの場所と言える。

 しかし俺たちは三人で固まって、階段から一歩だけ進んだ地点で立ち止まっている。

 攻撃をされた際に、すぐに双剣の女から逃げられるようにするためだ。


「さて、と。さっそくお話をしましょうか」


 双剣の女はフロアの真ん中に立つと、くるりと振り返った。

 バチリと目が合う。

 その瞬間、自分の身体がビリリと強張るのが分かった。


 ダメだ、委縮するな!


 俺は自身の太ももをつねると、自分に喝を入れた。


「……お前はあのパーティーの一員だよな? なんで仲間を殺すんだよ!?」


「なんのことですの? わたくしが殺そうとしたのは、わたくしとは別パーティーの、あなたたちですわよ?」


「俺たちが気付いてないとでも思ってるのか。あの場に大型パーティーのメンバーの死体があっただろ。剣で喉元を切り裂かれた死体が、な」


「あらあら、見てしまったのですか。困るのですよね、目ざとい方って」


 双剣の女の目が鋭くなった。

 気を抜くと身体が委縮してしまいそうなため、両足にしっかりと力を込める。


「やっぱりお前の仕業なんだな」


「その通りですけれど、死体のことは忘れてくださらない? その方がお互いに得だと思いますの」


 双剣の女は疑問形で話したが、これは脅迫と受け取った方が良いだろう。

 死体の件を忘れないのなら殺す。

 彼女はそう言っているのだ。


「仲間は多い方が良いって言うのが、あのパーティーの方針なんでしょ!? 減らしてどうするのよ!」


「パーティーの方針はリーダーが決めたものですわ。わたくしは誘われたからパーティーに入っただけですの」


「へえ……って、そうだったとしても! 人を殺すことが良くないって言うのは、全国共通の認識でしょ!?」


 俺が緊張で冷や汗を流している間に、モモカが双剣の女に向かって叫んだ。

 双剣の女はもちろん恐いが、恐いもの知らずのモモカもこれはこれで怖い。


「あら。みなさんは正義を振りかざすタイプの人間なのですね?」


「正義と言いますか、人を殺さないというのは、最低限のルールだと思います」


 タカユキも双剣の女に意見をした。

 若干声が震えてはいるが。


 そうだった。俺には心強い仲間がいるのだ。

 その仲間たちが敵に立ち向かっているのだから、委縮している場合ではない。


「お前は、最低限のルールも守れない人間なのか?」


 俺たち三人に責められても、双剣の女はどこ吹く風で、自身の髪をかき上げている。


「最低限のルールと言われましても、ここはゲームの世界ではありませんか。現実でのルールを適用されても困りますわ」


「ゲームの世界っていうのはその通りだけれど、ここで死んだら現実でも殺すってゲームマスターが言ってたじゃない!」


「その言葉が本当だとして。それって、わたくしに何か関係がありますの?」


「はあ?」


 俺もモモカと同じく、はあ?と言いたくなったが、双剣の女にふざけている様子はない。

 本気で今のセリフを言っているのだ。


「勘違いをされては困りますわ。わたくしは、あくまでもゲーム内でキャラクターを殺しているだけですの。ゲーム内で死んだ場合に現実でも殺されるとして、現実で参加者を殺すのは、わたくしではないでしょう?」


「実行犯は別だとしても、その人が殺される原因はあなたが作ってるじゃない!」


「ですが、わたくしは現実の人間には一切の手を下していませんわ。そのわたくしを何の罪に問うと言いますの?」


「何の罪って、それは分からないけれど……でも、ここで死んだら現実でも死ぬって分かってて殺すんだから、あんただって何らかの罪には問われるはずよ!」


 モモカの言葉に、双剣の女は不思議そうに首を傾げた。

 これもふざけているわけではなく、本当にモモカの意見を不思議に思っているのだろう。


「なによ、その顔。別にあたしの意見はおかしくないでしょ!?」


 モモカが声を荒げたが、双剣の女に動揺している様子はない。

 彼女はふわりと穏やかな口調でモモカの言葉に反論をした。


「参加者の人数を減らさないと、そのうち食糧をめぐって争いが起きますわ。そうなった場合、わたくしは食糧にありつけなくなって死ぬ可能性があります。つまり、わたくしは自分の命を守るために他の参加者を殺している、と言えますの」


「そんな屁理屈よ! というか、それが何なのよ!」


 怒鳴るモモカに答えたのは、双剣の女ではなく、タカユキだった。


「カルネアデスの板」


「何それ」


 モモカは知らないようだが、俺もこの話は知っている。

 有名な思考実験だ。


「船が難破してしまい、船員たちが海に投げ出された。とある船員は、海の上に浮かぶ一枚の板を見つけた。しかしその板は小さく、一人しかつかまることが出来ない。だが同じことを考えた他の船員が板をつかもうとした。二人がつかまったら板が沈むと考えた船員は、自分が生き延びるために他の船員を蹴り、板を死守した。そのせいで他の船員は溺死した。さて、この行為は正しかったか?」


 俺の説明を聞いたモモカは、怪訝そうな顔をしながら俺のことを見た。


「その問題に答えはあるの?」


 俺が静かに首を横に振ると、タカユキが代わりに補足説明をしてくれた。


「答えはありません。ただ他の船員を蹴落とした船員は『緊急避難』として、罪には問われないんです」


「緊急避難……」


「自分の命を守るために取った行動だから責められない、ということです。他の船員を蹴落とさなければ、板をつかんだ船員は死んでいましたから」


 双剣の女はタカユキの答えに満足げに微笑むと、モモカに向かって言葉を紡いだ。


「彼らの話した通りですわ。わたくしは罪には問われないのです。自分の命を守るために他の参加者を殺したのですから」


「そんなのって……!」


 モモカは何かを言おうとしたが、言うべき言葉が見つからなかったようで口を閉ざした。


 カルネアデスの板は難しい問題だ。

 誰の立場で考えるかでも答えが変わってくる。

 いくら緊急避難が適用されるとはいえ、蹴落とされた船員から見れば、自分を蹴った相手は憎い人殺しだ。

 緊急避難だから許せと言われても納得は出来ないだろう。

 そして自分を蹴って殺すことが正解だったとは、決して思わないはずだ。


 つまりこの件は、法律の基準に当てはめることは出来るが、本当の意味での答えなどないのだ。


「まあ食糧問題は二の次ですけれど」


「……へ?」


 考え込んでしまったモモカに、双剣の女があっけらかんとした調子で言った。


「だってわたくしは、殺したくて殺しているのですもの。せっかくデスゲームという心躍るイベントに参加できたのですから、思いっきり愉しまないと損ですわ」


「……こいつ、イカレてるわ」


 モモカは一所懸命に考えていたのに、いきなりちゃぶ台をひっくり返された気分なのだろう。

 双剣の女をにらみつけている。


「モモカさん。頭に来たことは理解しますが、戦闘は推奨しません。この人は常人とは考え方が違うので、近づかない方が良いです」


「全力で撤退するぞ!」


「ちょっ、置いてかないでよ!」


 俺たちは双剣の女の立つフロアから離れ、ダンジョンの階段を全速力で下へと降りた。

 後ろを振り返ることなく、ひたすらに階段を下った。

 すると少しして、階段の上から双剣の女の声が響いてきた。


「あらまあ、残念ですわ。追いかけたいところですけれど、あまり勝手をするとパーティー内で目をつけられてしまいますからね。このあとも目立たず静かに参加者殺しをするために、いったんパーティーに戻りましょうか」


 きっと双剣の女は、俺たちに聞こえるようにひとりごとを言っている。

 自分を止めたいならかかってこい、という意味だろう。

 しかし俺たちには、彼女の挑発に乗るほどの勇気は残されていなかった。




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