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#1ー4:拒絶された記録:前編

✦✦✦ 《解き放たれし異端》 ✦✦✦


「……異端の召喚者Kは、セリア様の管理下に置く」


 神官の一人がKを一瞥し、視線を逸らした。

 その目には、認めたくない現実を飲み込むような、わずかな苦渋が滲んでいた。


 その宣告が下された――ほんの直後だった。


 神殿の床に走った一本の亀裂は、光を吸い込むかのように黒く、細く。

 まるで静脈のように生きて這い、Kの足元で瞬時に拡がっていく。

 石畳が軋み、割れ、下から“影”が噴き出した。


 ……床が、裂けた。


 黒い影が、Kの足元から飛び出すように広がり、神官たちの足元に届いたその瞬間――。

 影が地面を引き裂く。獣の口のように、そこに“喰らう意志”があった。


「――ひ、ああああああっ!」


 飲み込まれた男の悲鳴。


 しかし、次の瞬間、ふとKは自分の手を見下ろす。

 指先がわずかに震えていた。


 ……Kの中から黒い影があふれた。止めることはできなかった。

 否定したかった。けれど、その一部を認めてしまっている自分がいた。

 怖さと共に、それを“自分自身”だと、どこかで認めてしまっているのも事実だった。


 逃げる神官たちを、影は執念深く追い、何人かを黒い裂け目へと飲み込んだ。


 神殿は、地獄絵図と化した。


 Kはその光景に、思考を止めたまま、ただ立ち尽くすしかなかった。


「否定した。何度も。でも――どうしても、あれを“他人”にはできなかった」


 ……けれど。

 それを認めてしまった途端、Kの奥底で、何かが軋む音がした。

 影を受け入れた自分自身に、嫌悪すら湧いた。


「……違う……こんなの、俺が選んだわけ、じゃ……いや、違う……のか?」


 その声が、K自身のものなのかさえ、わからなかった。


 そのときだった。

 神官たちの背後、召喚者名簿の記録盤が突然バチバチと火花を散らし、文字が崩壊を始めた。


「名簿……記録が……焼き切れていく……?」


 「まさか……本当に……」


 年嵩の神官がひざをつき、震える指で印を切ろうとするも、力が入らない。


 名簿の名前が、ひとつずつ黒く染まり、消えていった。

 焦げた匂いだけが、やけに生々しかった。


 薄暗い室内に、焦げた硫黄の匂いが立ちこめる。

 記録盤の文字が崩れ、黒い焦げ跡だけが残った。

 誰の名前だったかなんて、もう誰もわからない。ただ、“いた痕”だけが焼きついてる。

 その隙間で、赤い光が揺れていた――焼け跡に残った、名もなき想念のように。


 Kは、ただ黙って見ていたが、気づいていた。

 この世界は、最初から“自分なんか、いなかったことにしようとしていた”。


 Kは静かに拳を握りしめた。


 崩れ落ちた命の台帳と、その仕組みの残骸を前に、胸の奥で何かが静かに疼いていた――。

 怒りとも、悔しさともつかない感情が。


 制度は、まだ動いている。

 けど、もう“無傷”じゃない――それだけで、意味がある。


 意志とは無関係に動く、正体のわからない“何か”。

 それは確かに、自分の奥にいる。なのに、どうしても届かない。


 影はようやく沈黙した。

 神殿に残ったのは、逃げ惑い、息を呑む者たちと……静かに立ち尽くすKだけだった。



 ……その時だった。


 神殿の奥――。


 召喚の制御核と呼ばれる巨大な魔導装置が、悲鳴のような軋みを上げた。

 石造りの柱に刻まれていた“召喚者評価の紋章”は、

 淡い光を放ち、ひび割れののち静かに崩れ落ちた。


 その直後、名簿の記録盤が火花を散らし、焦げた煙をあげはじめる。


 奥に控えた評価装置から、鉄が軋むような呻き声が響いた。

 Kの影が触れた、その瞬間。心臓部が内側から悲鳴を上げ、壊れ始めた。


「なっ……!? 制御核が……っ!」


 ――触れた瞬間、何かが“止まった”。

 時が流れていない錯覚。


 呼吸さえ、遠くにあるようだった。

 次の瞬間、ひびはまるで生きているかのように脈打ち、

 金属の悲鳴が建物の奥からこだました。


 召喚者を測り、縛ってきたこの制御核の中心が、ゆっくりと内側から裂けていった。


 パンッ、という乾いた音。

 続いて、ひび割れが血管のように装置全体に広がる。


 金属の外殻が、まるで脱皮するみたいに、じわじわと剥がれ落ちた。

 破片が落ちるたび、内部から赤黒い煙が漏れ、神殿の空気を重く染めた。

 崩壊の音は、心臓の鼓動を真似るかのように、「ドクン、ドクン」と響いていた。


 書かれなかったのなら、いっそ自分で書き換えてやる。


 “数えられない”存在が、制度のものさしを歪ませた。

 その瞬間、誰もが気づいていた。


 ――こいつは、ただの異物じゃない。

 世界にとって、脅威であり、……可能性だ。


 Kは、砕けた制御核の欠片を見下ろした。

 燃え残った息を、そっと吐く。

 胸の奥に――確かな熱。

 あの絶対と思われた秩序に、自分の手で亀裂を入れた。

 静かに、それを“確信”と呼んだ。


 口に出すまでもない。

 でもその静かな自覚が、彼の中にあった。


 ……これで、よかったんだろうか。

 全てが静まり返ったそのとき、Kは確かに感じていた。

 理解なんてされなくていい。存在は、消させない。


 記されることも、間違って消されることもなかった。

 最初から、何もなかった。……でも、それでも。


 その意志が、確かに“何か”を穿った。


 ――勝ちじゃない。ただ、戻れない場所に、線を引いた。それだけだ。



✦✦✦ 《異端の価値》 ✦✦✦


 ……そしてこれは、すべてが崩れる、少し前のことだった。

 始まりは――あの女の、ひどく静かな声だった。


 【神殿内/対話中】


 高い天井に、鈍い光が差し込んでいた。

 石造りの柱が長い影を伸ばし、空気は静まり返っている。

 まるで、誰かの裁きを待つ法廷のようだった。


 この世界では、命すら数値で計られる。

 冷たい石造りの空間に、女の低い声が響いた。


「魔力を吸って、戦わせて、壊れたら捨てる。……それで世界が回るって? 誰が笑えるのよ、そんな地獄」


 セリアは冷静に言った。

 だがその声には、かすかな痛みが混じっていた。

 まるで、過去を踏みつけてでも前に進もうとする者の、それだった。


「異端に情けをかければ、秩序は腐る。……君はまだその“汚れ”を知らないのだ、セリア様」


 ――神官長・ユリウスが、冷ややかな目でKを見下ろしていた。


「価値を測れぬなら、それは“飼い主のいない獣”と同じ。殺されても文句は言えまい。この世界じゃ、それがルールだ」


 Kは、その言葉を噛み殺すように聞いていた。

 まるで自分の存在を、数字ひとつで切り捨てられるような気分だった。


 セリアは小さく肩をすくめ、息を吐いた。まるでその言葉自体に、意味などないとでも言うように。


「この世界の秩序を維持するために、力を持つ者は取引され、流通する。まるで、財産みたいに」


 ……財産、ね。

 Kは思わず深く息を吸い、静かに吐き出した。


 命まで“資源”扱いか……理屈としては、わからなくもない。

 異世界人なら、情なんて湧かない――知らなければ、なおさらだ。

 ……けど、それって、結局家畜と何が違うんだ?


 セリアは続ける。


「……測りもせずに、切り捨てる。それを“合理的”って? 本気で言ってるの?」


 セリアの声は静かだったが、その芯には揺るぎない強さがあった。


 Kはその言葉を噛み締めながら、自分の状況を理解し始めていた。


「測定不能……制御なんて、最初から無理だった……これは“異端”なんかじゃない。

ただの、“異物”だ。神殿ごと巻き込む恐れも……」

「……だが、うまく制御できれば……使えないこともない」


 神官たちは声をひそめ、危険物としてKを分析していた。


 セリアは口元に、意味のわからない笑みを浮かべた。

 神官たちはそれを“余裕”と見たが、Kにはわかった――それは怒りだった。

 ――けれど、その“微笑”こそが、すべての始まりだった。




✦✦✦




【次回予告 by セリア】

「名前が残らない者には、"声"すら届かないって、みんな思ってる。

でもね……記録に残らなくても、“遺る”ものって、あるのよ」


「次回、《拒絶された記録:後編》――声なき者が、制度を穿つ」


“例外”として封じられようとしたKが、いまや“記録不能”を超えて、“共鳴”という名の証明を手にする。

 過去に葬られた存在――その声が今、Kの中で目を覚ます。


 神殿が恐れたのは、力そのものじゃない。

 忘れられた想いが、誰かの胸に火をともすこと――それが、いちばんの脅威だった。


「記録されない想いは、いずれ忘れられるって? ええ、たいていは。でもね――“たった一人”がまだ燃えていれば、それで十分。制度なんて、脆いものよ」



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