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#1ー5:拒絶された記録:後編

✦✦✦《引き取る者》✦✦✦

 「……セリア様、まさか本気で?」


 神官の問いかけに、彼女の視線が一瞬だけ揺れる。

 だが、目の奥にある意志は崩れなかった。


「……私が引き取るわ」


 冷たい光が差し込む神殿の窓から、斜めに伸びた光がセリアの横顔を切り取っていた。

 影の中で揺れるその瞳は、まるで何かを断ち切る刃のように静かに光っていた。


 沈黙が落ちた。だが彼女は目を逸らさない。


「もし失敗したら、私ごと“処理”されるかもしれない。……でも、それでも、黙って背を向けるよりはマシ」


 セリアは少し肩をすくめて、皮肉げに笑った。


「信じるとか、もう無理よ。でも――願うのは……やめられなかった」

「あの子も、記録に残れなかったのよ。だから今度は、私が見届ける番」


 その言葉の温度と、目の奥に宿る何か――その微かな“ズレ”に、Kはざらつきを覚えた。


「……何か、違う。言葉はあったかいのに、目の奥は……ズレてる」


 気のせい……か? ――いや、そんなこと、今さら気にしてどうする。


 そのつぶやきが、Kの胸の奥に小さな波紋を落とした。


 セリアの言葉が胸に引っかかった。

 積み上がった声を無視して進んでた。その重さに今さら足を取られるなんてな……。


 期待なんて、とうに捨てたはずだった。

 ……けど、“俺”を見た、その目だけは――なぜか、捨てきれなかった。


 セリアが静かに口を開いた。


「……未来なんて、別に見たくない。……けど、“あきらめた顔”だけは、もう見たくないのよ」


 ――それでも。


「それが成功すれば――“何もかも”覆せるかもしれないから。私にとっても、きっと」


 セリアの瞳が鋭く光り、Kをまっすぐ貫いた。


「あんたがその価値を証明すること。それが、“制度”にとって最大の皮肉になるのよ」


「……昔にもいたのよ。『ムリだ』って、誰もが言い切った“枠外”の召喚者」


 石造りの空間に、長い沈黙が落ちた。


「……最後に見た、あの瞳だけが、今も焼きついてる」

「名前も記録も残らなかった。でも、あの瞬間だけは、ずっと消えなかった」


 セリアは一瞬だけ視線を落とし、すぐに細い笑みを浮かべた。


「だから今回は違う。あんたは――見逃さない。

私はもう、誰も“記録にすら残らない”まま、死なせたくないの」


 その声には、過去を見つめるような遠さが混じっていた。

 笑っていても、その端に滲む痛みは消えていない。


「……ほんと、やってらんないわね」


 Kは彼女の横顔を見つめた。言葉にはならない、喉の奥が詰まるような違和感――それが、じわじわと胸に広がっていた。

 あの言葉――“信じた”という声が、どこかで自分にも向けられているように思えた。

 でも、それがどうしてなのか、彼自身にもわからなかった。


「――だからこそ、今回は見極める。本物か、幻想か」


 セリアは一瞬だけ目を伏せ、すぐにKをまっすぐ見据えた。


「でも、あなたは……あの子たちと、なにかが違う。理由はまだ、わからないけど」


 ――目が、似てる。

 あのときの子も、最後まであきらめなかった。

 ……でも、結局は失敗だった。


 ――あのとき。

 灰色の空。崩れかけた召喚陣の中心に、立っていた“あの子”。

 最後まで誰も名を呼ばず、記録にも残らなかった。


 けれど――確かに、その瞳だけは焼きついていた。


 胸の奥に疼く、あの刻印。黒く螺旋を描く、制度の拒絶反応。

 当時は“事故”とされた。だが、あの子の背中にも――Kと同じ印が、確かにあった。


 あれは……第十一の例。


 あのとき消えた“存在しなかった子供”が、もし今――Kの中で、何かを残しているのだとしたら。


 ……あり得ない。でも――それでも。


 今度こそ、ちゃんと見極めなきゃ。

 せっかく“ここまで来た”んだから。


 セリアがそう言った瞬間、空気が――ねじれた。

 神官たちが顔を見合わせ、誰かが低く呟いた。


「……測定不能の“例外”、か。まさか、本当に制御できるとは……?」


 誰かが震えるようにそう呟いた次の瞬間だった。


 ――ドンッ。

 地面がうなりを上げた。


 神官たちの視線が一瞬でKに集中した、その刹那。

 空気が変わった――まるで、静電気が空間を包んだような微細なざわめきが、足元から這い上がる。


 だが、それは音ではない。圧力だ。


 影が波打ち、まるで足元から“夜の底”がにじみ出すように広がった。

 蠢く漆黒の奔流は、禍々しく、それでいて迷いなく――空間全体を“威圧”するように広がっていった。


 空気が軋むように震え、誰かの喉がひゅっと鳴った。

 まるで、“俺の怒り”に形を与えたかのように。


 ……そのときだった。

 体の奥で、何かが軋んだ。

 押し込めていた何かが、裂けるように――俺の中で、黒く光を漏らした。


 影は動かない。それでも、それは伝わったのだ。


「――!」


 神官の一人が反射的に魔法障壁を展開した。

 だが、その顔にははっきりと恐怖が浮かんでいた。


 神官たちの顔から血の気が引いていた。


 一人は無言で呪文を唱え続け、言葉にならない祈りを繰り返していた。

 別の一人は笑っていた。

 震える唇で、壊れたように「こんなの……冗談だろ」と呟きながら。


 逃げ出そうとした若い神官が、転倒して地面を這う。

 の顔は、もう土の色すら通り越して、冷たく青く染まっていた。


 誰もが武器に手を伸ばしかけたが、足は震え、腰は抜けたままだ。

 壁に背を押しつけ、何かに許しを請うように震えていた。


 神官たちはKを“脅威”として見ていた――もはや、意思ある存在とは扱っていない。


 Kは、足元から広がる影の動きを見つめた。

 まるで“あれ”が、自分の中の何かに応えるように――静かに、確かにそこにいた。


「見てたのかよ……お前も、ずっと。……だったら――行くぞ」



 セリアは目を細め、静かに呟く。


「……それが“答え”? ほんとに、それ見せるんだ……アンタ自身で」


 Kは何も言わなかった。


 ……あれが俺の“意志”なら。


 でも――あれは、俺だけのもんじゃない。

 あの声には、諦めきれなかった“誰か”が混ざってた。

 ……そうだ。俺の中で、あいつが目を覚ましたんだ。


 ……何かが、染み込むように伝わってきた。

「やれた」と。

 ――それが“勝ち”なのかは、まだ分からない。けど……。


 神官の口元がわずかに引きつる。

 迷いと、否定しきれない苛立ちがにじんでいた。


 ……その瞬間、Kは、そう“思ってしまった”。

 否定を崩した? いや、ほんの――気のせいかもしれないけど。


 言葉はいらない。


 俺を否定した制度に、今度は……俺が、本当に楔を打てたのか。


 ただ、揺らいだ。……それでいい。今は、それだけで。



 ✦✦✦《記録なき声》✦✦✦


 なら、この先も――この歪んだ世界に、風穴を開けてやる。

 ただ、セリアの言葉が胸に引っかかっている。


 ……「違う」と言われたって、あの声だけは、置いていけない。


 ……あの声が、まだ胸の奥に残ってる。

 ……誰の声か、なぜ焼き付いているのか――そんなの、わかるはずもないのに。

 それでも――あのとき、確かに聞いた。


 不意に脳裏に浮かんだ声――『お母さん、元気かな……うーん、でもたぶん、またあの庭いじってるよね……たぶん、白い花ばっか育ててるんだ』


 誰だ? 誰の声だ? ――語尾の調子と、言い回し。

 ……どこかで、聞いた気がする。誰だった……?


 記憶か? いや、違う。これは“誰かの想い”だ。


 幻聴かもしれない。それでも――この声だけは、消せなかった。

 名簿から消えた存在。刻まれなかった記録。置き去りにされた声。


 意味なんて、わからない。

 でも俺は――たしかに、この声を覚えている。


「……これ、俺の記憶じゃねぇよな。……誰かの、想いか……?」


 誰かが、どこかで、自分と同じように――名前を奪われ、記録を拒絶され、

 それでも“残ろうとしていた”。


 ……俺だけじゃない。

 世界のどこかに、同じように“測定不能”とされた奴がいる。

 そして今も、生きている。


 そんな気がしてならなかった。


 ……本当に、俺だけじゃないのかもしれない。



 セリアは、ふと遠い記憶を思い出していた。


 ……あの時の子も、同じだった。

 名も記録も残らなかった、制度に拒まれた召喚者。


 そして――。


 制度の記録は、こう書いていた。

 “第十一の例”。名簿にも魔力計測にも痕跡を残さなかった、完全な異物。

 公式には“事故死”と処理されたが、背にはKと同じ、黒い螺旋の刻印。


「……もし、Kが、あの子の“声”なんかを――聞いたんだとしたら」


 繋がっている。

 生きている。


 そんな、あり得ないはずの“共鳴”が、現実のものとして浮かび上がろうとしていた。


 セリアの胸の奥が、ひどく静かに締めつけられた。

 不安でも、希望でもない。……確信だった。


 ……確信だった。


 その瞬間、Kの胸にも――何かが、静かに触れた。

 記憶ではない。思い出せない“誰かの声”が、心の奥に波紋を広げる。


 同時に、聞き覚えがあるはずもないその声に、Kの胸が締めつけられた。

 何かが、痛みとなって心の底を揺らしていた。


 ✦


 黒い影が、わずかにKの背後で揺れた。

 まるで祝福のように。


 こんな制度の都合で、俺の幕を引かれてたまるかよ。

 終わらせるときは、俺が、俺の手で終わらせる……“誰のものでもない価値”でな。


 安心なんて、できるわけがない。


 Kは深く息を吐いた。

 これで終わりじゃない。

 今はなんとか生きている。

 でも、この先は……誰にもわからない。


 終わらせたくねぇ。でも、じゃあどうすりゃいい?

 ……黙ってても、また全部、見捨てられるだけだ。


 こんな仕組みに、勝手に幕を引かれてたまるか。


「否定されたって、あの声だけは忘れられねぇよ……止まれって? ふざけんな、止まっても誰も振り返らねぇだろうが……!」


 始まり? そんなもん、後ろから追いついてくりゃいい。

 今は……ただ、やるしかねぇんだ。


 ――これは、俺が“この市場に立たされる”少し前の話だ。


 この胸に残った声が、世界を変える。

 それが、俺の始まりだ――そうでも思わなきゃ、やってられない。


 あの声は、あいつらの制度のどっかに……きっと、“ヒビ”くらいは……いや、それでも、か?


 遠く、誰もいない記録盤の中心に、ひと筋の黒い亀裂が浮かんでいた。

 誰にも知られないまま、それはゆっくりと広がっていく。

 まるで、誰かの意志が世界に爪痕を残すように。


 ――それでも、あの声はまだ、胸の奥で呼んでいた。

 そしてそのとき、遠くのどこかで――。

 記録されない“もう一つの存在”が、静かに目を開けていた。


 Kはただ、小さく呟いた。


「……俺の番だ」



✦✦✦




【次回予告 by セリア】


「“記録に残らない者”――制度はそういう存在を、“例外”じゃなく、“排除対象”と呼ぶの」


「……でも、その声、届いたのよ。

届かないはずだったのに――届いたの。……それって、なんだと思う?」


「次回、《価値の審査:前編》。

制度が価値を決めるなら、私たちは何を信じればいいのかしら?」


 ――その価値、本当にないって、言い切れる?


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