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#1−6:価値の審査:前編

✦✦✦ 《審査の間にて》 ✦✦✦


 Kの頭に、ふと疑問が浮かんだ。

 ――“価値”って、誰のものなんだ?


 真っ白……のはずなのに、どこか“囲まれている感じ”がした。

 床も天井もないのに、なぜか息が詰まる。

 目を覚ました瞬間、そこにいた。


 “試される”。そんな言葉が、誰の声でもなく、頭の奥に染み込んでくる。


 ここは、“価値審査の間”。

 響きだけは、どこか……懐かしい。でも、思い出そうとすると霧がかかる。


 空間には誰もいないのに、視線を感じる。

 その違和感が、Kの居心地の悪さを際立たせていた。


 空間の奥から、足音が響いた。


 現れたのは、青銀の瞳を持つ女――セリア。

 肌に触れれば凍てつきそうな、完璧すぎる微笑を浮かべていた。


 光のない空間に、彼女だけが淡く発光しているように見えた。

 足音だけが、やけに冷たく、鏡面じみた床を叩いていた。


 その歩調は、誤差なき静寂そのもの。

 まるで、時を刻む振り子が“空間”そのものを整えているかのようだった。


「お目覚めね。ようこそ、“価値審査の間”へ。――ここは、存在の価値を“刻まれる”場所」


 その声は、誰の感情も帯びていない“空の音色”だった。

 冷たいほど整っていて、魂ではなく“理”だけに触れる。


「……審査って、何の?」


「名前、ないんでしょ? じゃあ、“未申請”ってことになる。……そう、“存在しないこと”にされるのよ」


 言葉は淡々としていたが、その冷たさは肌に刺さるようだった。


「いまの制度、“感情の揺れ”まで価値に組み込むのよ。どんな顔で絶望して、どんな声で折れたか……」

「――記録してどうすんの、って話だけどね」


 セリアは一歩近づき、淡々と続けた。


 頭の中で、知らない名前がいくつも転がった。

 なぜか、どれも“知ってる気がする”。意味もないのに、ざわつく。

 ……妙だ。これ、誰の記憶だ?


 誰かの記憶を模して、生まれた存在――そんな直感だけが、脈打っていた。


 セリアは小さく息を吐いた。

 その瞬間、Kの脳裏に何かがよぎった。


 ……あの教室。

 窓の外の曇った空。誰かの泣き声。


 記憶ではない、“匂い”のような感覚。

 自分が“選ばれなかった側”だった、あの瞬間の。


 セリアは、Kの瞳をじっと見つめた。

 その奥に、何かを探すように――あるいは、確認するように。


「……整合性、取れてないわね。普通じゃない。――でも、だから面白いのよ」


「……まずは、見せてもらうわ。ほんとに、“ある”のかどうか――“価値”なんてものがね」


 Kは口を閉ざしたまま、肩にじんわりと重さがのしかかるのを感じた。

 “また選ばれない”側にされる――その予感が、背筋をざらりと撫でた。


「はぁ……どう……いや、何で? 測るだと? なあ、俺に何を見せろってんだ?」


 セリアは少しだけ目を伏せてから、淡々と答えた。


「他人になるの。……正確には、その“瞬間”の中身と混ざってもらう。

そこから何が残るか……それを、制度が見てる」


 そして、少しだけ皮肉を込めた笑みを浮かべる。


「――つまり、“なりすまし”ね」


 指を鳴らしたセリアの周囲に、淡く光る図形が浮かび上がった。

 それは、魔法陣というより……数式の網、でもなかった。

 情報? いや……神経の奥を針でなぞられるような、“痛みの形”が走っていた。


「ただし――痛むわよ。肉体ではなく、記憶の深層に」


 Kは、無意識に拳を握りしめていた。

 何かを、思い出す前に。



✦✦✦ 《四つの扉》 ✦✦✦


 契約の説明を終えると、セリアはふと表情を緩めた。


「制度って、“価値”の評価に、いまや感情の揺れまで組み込んでるのよ。

どんな顔で絶望して、どんな声で折れたか……そんなのまでね」


 その言葉とともに、彼女が指を鳴らす。


 空間が……うねった? いや、揺れ……? 次の瞬間には、四つの扉がそこにあった。

 “最初からあった”のか、“今できた”のか……思考が滑った。


 それぞれ、赤・黒・紫・青の光を纏いながら、虚空に並ぶ。

 だがそれは、単なる色分けではなかった。


 赤の扉からは灼熱が立ちのぼり、黒からは視界すら沈む圧が漏れていた。

 紫の扉は毒気のような揺らぎをまとい、青は霜のように透明で静かな気配を放っている。


 扉の前には、それぞれ“人影”のような光の残滓が立っていた。

 顔はない。声もない。だが、その存在には――感情の“痕”があった。


「彼らは、制度が記録した〈演者〉たち。

かつて、その扉の向こう側で、“選別”され、“名前”を持った者たち」


 セリアの声は淡々としているが、どこかで哀悼にも近い響きを含んでいた。


 Kが赤の扉に目を向けると、前に立つ影の上に淡い投影が現れる。



 《登録記録:演者-2419A》

 評価軌跡:△上昇→×破棄→記録保持中

 転写度:73.2%/人格安定性:不安定

 記録断面:演出傾向型:対群戦対応(演技適性:過剰)



「制度が残した記録の一部よ。あなたが“見る”のは、演出でも模倣でもない。

過去にそのまま存在した、価値の“瞬間”――その〈転写〉」


 Kは無言で四つの扉を見渡した。


 どの影にも“熱”があった。

 記録のくせに、どれも“生”の揺らぎを宿していた。


「――これらは制度が記録した、“そのときの切れ端”。

中に入れば、その人物の体も、思考も、感じ方も――全部、背負うことになる。

……終わったあと、何があなたの中に残ってるか。

それも、制度は見てるのよ」


 セリアの言葉に、Kは息をひとつ吐いた。


「演じるんじゃなくて、なりきれってわけか」


「違う。“演じる”んじゃない。“混ざる”のよ。嫌でも、ね。制度は、外側だけの“演技”なんか、見抜くから」


 Kは目を細めた。

 手の甲に、先ほどの魔法陣が淡く脈打っていた。


 ……脳も神経も、これから“別のもの”に侵される。

 理解しているつもりだった。だが、この空間の冷たさが、その実感を深く突き刺してくる。


「……なら、赤だ」


 自分でも、なぜそう言ったのかわからなかった。気づけば、手が動いていた。


 その瞬間、記憶の影が光り、Kの手の甲に魔法陣が完全に浮かび上がった。


「焼かれてきなさい。……まあ、なれたらね。“誰かの価値”に」


 セリアの言葉を背に受けながら――Kの意識は、光に呑まれた。


 世界が反転する。

 扉の奥で、かつて誰かが見た“現実”が、彼を迎え入れようとしていた。




✦✦✦




【次回予告 by セリア】


「“なりすましの価値”なんて、使い捨ての演出にすぎないわ」


「今回の転写は、制度に登録された“演者”たちの残滓。

次回、《価値の契約:中編》、『転写の間と草レース』。

問われるのは、自分ではない誰かになったとき、それでも“立てるか”ということ」


「セリアの小言? ……“選ばれた”ってだけで、満たされた気になるなんて。

……まだ、そんな子が残ってるのね。――本物ってのは、“選び返せる奴”のことよ」


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