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#1−7:価値の審査:中編

✦✦✦ 《転写の間》 ✦✦✦


 指先が鳴った瞬間、空気がピンと張る。

 音はないのに、世界がどこかで“割れた”ような感じだった。


 Kの右手に、淡く光る魔法陣が浮かび上がる。

 血流に逆らうような圧が走り、手の甲がひりつく。


 「次は、“魔株”の価値を見てもらうわ」


 セリアが言うと、空間の奥から淡い光の“影”が一体、歩み出てきた。

 それは人の形をしていたが、顔も声もなく、ただぼんやりと立っていた。


 「この個体、かつて魔王市場で“価値”を得た存在よ。

制度が登録していた記録――人格、魔力、社会的立場、その一部をあなたに“転写”する」


 Kは、無言でその影を見る。その瞬間、手の魔法陣が淡く脈打ち始めた。


 「時間制限は十分。“魔王”としての価値を追体験してもらう。

ただし……戻れなくなる前に、忘れずに“解印”を」


 セリアが囁くように言い終えると、魔法陣が眩い光を放つ。


 Kの身体が、ひとつ息を呑む間に沈んだ。

 視界の隅に、他人の記憶と名残が染み出す。

 骨格も感触も微かにずれている――まるで、“誰かの人生”が押し寄せてきたようだった。


 言葉にはならなかったが、Kの脳裏に、ひとつの実感が浮かぶ。


「……これが、“なりすまし”ってやつか」


 次の瞬間、世界がぐるりと反転した。


 白い空間が崩れ、騒がしい音と熱の渦がKを飲み込んでいく。

 意識が、別の場所へと連れ去られる。


 ……制度が、“価値を確かめる”時間を始めたのだ。



✦✦✦ 《第一転写:魔王の市場》 ✦✦✦


 眩い光が引き、視界がゆっくりと収束していく。


 石造りの通路。鉄の看板。喧騒の波が押し寄せる。


 目を凝らすまでもなく、そこは階層状に広がる巨大な円形都市――《表の魔王市場》だった。


 石と鉄が螺旋に絡み、中央の魔道塔を締め上げていた。

 魔法文字が宙に浮かんで、誰かの意志みたいに都市を縛っていた。


 市場全体が、熱と音を吸っては吐いて、じっとりとうごめいている。

 そのどこかで誰かが歓声を上げ、誰かが値札を叩きつける。


 だが、それを見下ろしていたのはKではなかった。


 いや、正確には“彼”だったが、“彼自身”ではない。


 手の甲に浮かぶ魔法陣が微かに光を残していた。体の軸が、わずかにずれている。

 呼吸のリズム、まばたきの間隔、視線の高さ――どれもほんの少し違っていた。


 セリアが言っていた、《降格寸前の魔王》。

 制度が保存していた“価値を持つ存在”のコピー人格……つまり、昔の亡霊を着せられたってわけだ。


 「……なんだ、これは……」


 思わず漏れた声すら、自分のものではないように感じた。

 言葉の抑揚にクセがあり、喉の奥が少しだけザラつく。


 そのとき、背後から肩を叩かれる。


 振り向くと、目元に赤い刺青を入れた男がいた。


 「……お前も“証明待ち”か。ようこそ、“魔株”の舞台へ」


 男の目はどこか疲れていた。だがその奥に、微かな期待と、諦念が同居していた。

 K――いや、“魔王の皮”をかぶったKは、無言で男を見つめるしかなかった。


「オレか? まあ、古株の落ちこぼれってやつさ。退屈しのぎに、ちょっと語らせてもらうぜ」


 男は指を鳴らした。

 合図に応じて、路地の一角に埋め込まれた石盤が青白く発光し、滑るように地面がせり上がる。

 きしむ音と共に魔王が掲げられたその瞬間、周囲の照明が収束し、焦点のように光が一点に集まった。

 評価台の周囲に張り巡らされた浮遊文字が、彼の戦歴と属性を自動的に映し出す。


 その前に、評価員が現れる。


「戦闘記録……三十五。従えるのが五百。信望は、まあ……極端、ってとこだな。人格? 強引。でもまあ、ハッキリはしてる」


 情報が冷たく読み上げられ、周囲の投資家たちは頷きもせず聞き流す。


 台の上の魔王は、言葉を発さない。ただ、視線だけで投資家たちを睨んでいた。

 それに呼応するように、歓声と冷笑が飛び交う。


 市場はざわめいていたが、それは混乱ではなかった。“演出待ち”の静かな熱気だ。


 「……次は、どんな“役”をやらされる?」


 この市場に、戦いはない。

 求められているのは、“魔株”を買わせるための記号的演出――市場で映える価値のデザインだった。

 投資家が欲しがるのは、今の実力だけじゃない。

 こいつはまだ伸びる、って“思わせたもん勝ち”。それがすべてだ。


 魔王の名も力も、“上場”と同時に制度の手に落ちる。


「……資源、だとよ。」


「名前まで、売り物かよ……」


 Kはようやく、それを理解した。


 そして何よりも――制度が評価しやすい形式だけが拾われる。


 誠実さも正しさも……素で出してたら、意味ねぇのかよ。


 Kは息を飲む。心では、確かに反発しているはずなのに――。

 体の奥では、なぜか“懐かしさ”のようなものが滲んできていた。


「……これ、幻じゃねぇな」


 空気のざらつきも、視線の痛みも、“値踏み”の感覚も……思い出せないけど、どっかで確かに知ってた。


 それは記憶ではなかった。

 染みついた“感触”の記録。制度に“埋め込まれた現実”。


 気がつけば、自分も“魔株登録待ちの魔王”として、評価台の脇に立たされていた。

 投資家の目が、“いくらで売れるか”を値踏みするように刺さってくる。


 ただ立ってるだけじゃ、値がつかない。


「動かなきゃ……名前すら、残らないのか」


「今の俺、誰にも見られてないんだな……」


 登録もされず、名前も呼ばれない。

 まるで――誰にも触れられない、“失われた幻霊”みたいだ。


 支援者がいないというのは、そういうことなのだ。


 ……演出が、値付けを動かす。


 そのとき、魔導専念樹がわずかに震えた。

 魔力の揺らぎに、Kの存在が――気づかれた。


 Kは、息を殺す。


 ――この“体験”が終わるまで、あと三分。


「“自分じゃない自分”に価値がある? 制度が気にしてんのは、“どこに価値があるか”だけ……。なら、“俺がいる”って意味なんか、知らねぇよ……」


 半分投げやりなKの気持ちを汲んでか、古株の男は言った。


「……ちなみに、“魔株”ってのは、評価低いと踊らされるって意味もあるからな。気をつけろよ。」


 大きく息を吸い込むと吐き出して続ける。


「……見せかけが巧いやつだけが生き残る。それが“評価”という名の現実だ」


 古株の男は、苦笑混じりに肩をすくめた。



✦✦✦ 《体験終了/帰還 》✦✦✦


 魔法陣がかすかに動き出す。

 手の甲がぴりりと痺れ、何かが体の奥へ逆流していく。


 次の瞬間――何かがバキッと鳴って、目の前の空間がめくれた。

 内側から、じわっと違う何かが染み出してくる。


 石畳の感触がぼやけ、音が消えて、目の前の現実がふっと離れていった。

 Kの体から、借りものの骨格と感触が抜け落ちていった。


 そして――元の空間。白く静かな“契約の間”に、Kは戻っていた。


 足元がわずかにふらつく。

 だが、本当に揺れていたのは心の奥の何かだった。


 セリアは、Kの様子を黙って見つめていた。

 数秒の沈黙の後、ふっと口元を緩める。


 セリアは微笑んだまま、ほんの一歩だけKに距離を詰めた。

 それは、観察者から協力者へと立ち位置が少し傾いたような、微細な動きだった。


 「どう? “価値を演じるだけの体”の感触は」


 Kは、手の甲に残る熱を見つめたまま、眉間に小さく皺を寄せた。


「……懐かしさ、だと?」


 自分の中の何かが、妙に馴染んでしまった感覚に、ぞっとした。


 セリアは、かすかに笑った。


「よく演じたわね。でも……それは、市場が貼った“あなた”よ」


 一拍置いて、視線だけでKを射抜く。


「価値なんて、偏ってるのよ。

いいも悪いも、見られなきゃ“なかったこと”になる。

……それでも、黙って埋もれるつもり?」


 それは評価ではなく、警告のようにも聞こえた。



✦✦✦ 《第二転写:草レース》 ✦✦✦


「……気持ち悪い世界だな」


 Kが吐き捨てるように言うと、セリアは軽く頷いた。


「じゃあ次は、もっと“生々しい現実”を見せてあげる。

登録直後――価値も名前もない存在としての体験を、ね」


 セリアが手をかざすと、Kの手の甲にまたしても魔法陣が浮かび上がる。

 皮膚の奥を焼くような熱と共に、肉体が“何か別のもの”に書き換えられていく。


「今回の個体は、初期登録されたばかりの魔王候補。“能力不明・無支援・未分類”。

制度が最初に何を見るのか――肌で理解してきなさい」


 光が瞬く。

 次の瞬間、Kの意識はずるりと引き抜かれ、別の場所に落とされた。



 重い。空気が鉛のように沈んでいる。

 鼻腔に入り込むのは、焼け焦げた鉄と血と――火薬のような湿気。


 足元には、泥にまみれた刃物と折れた柱。

 歯車のついた戦闘機械の残骸が、地面に半ば埋まっている。


 視界を覆うのは、瓦礫と煙と、灰色の空。


 ――ここは、《草レース》。

 Kはすぐに理解した。


 “登録直後の魔王”だけが通される、最初の選別場。

 制度が最も効率的に“使えるかどうか”をふるいにかける場所。


「……またか」


 Kは呻いた。だがその声は、自分のものではなかった。

 わずかに低く、乾いていた。心拍数が妙に早い。

 呼吸が浅く、関節の反応が鈍い――未調整の肉体。


 周囲に視線を向けると、同じように無装備の数名が立ち尽くしている。

 全員、まだ“何者でもない”状態。震える者、焦る者、目を閉じて祈る者――。


 そして、反対側から現れたのは、異形の存在たち。

 無表情。判断も感情もなく、ただ静かに歩いてくる。


 脳の奥で、セリアの声が響く。


「最後まで立っていた者だけが、次の舞台に進める。

他は、“素材”として回収される」


 Kは、息を詰めた。


「逃げ場なんかねぇ。動かなきゃ……消えるだけか」


 そのとき、足元に、ひとつの刃物が転がってきた。


 拾う。冷たい。

 だがその冷たさは、神経の奥に“確かな刺痛”として届いた。


 仮想なんかじゃない。

 制度は、**痛みごと現実として処理している**。


 ――動かなければ終わる。


 一体が動いた。


 その瞬間、場が弾けた。

 叫び。怒声。肉が裂ける音。泥の上で転げる音。


 Kは刃を構え、身を引いた。

 斬り合えば消耗する。それだけは避けるべきだ。


「違う……これ、戦いじゃない」


 目の前にいるのは、敵じゃない。


「俺も……戦士なんかじゃ、ねぇんだよな」


 この空間には、戦いなど存在しない。

 あるのは、ただの“仕分け”だ。


 立ち止まれば素材。

 動けば候補。


 Kは、足元に散らばった残骸へと視線を走らせる。

 魔力封じの枷。破損した転送印。壊れかけた陣盤――。

 その一つ、符刻の残った魔導盤に、かすかな熱の余韻が残っていた。


 ……起動できる。


 刃を逆手に握り直し、Kは駆けた。

 敵を誘導し、転倒用の陣の上へと飛び込む。

 足元に魔力を流し込むと、符が赤く脈動する。


「……崩れろ」


 陣が発動した瞬間、足元の紋章が緋色の稲妻を放ち、地面に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。

 魔力の圧が周囲の空気をねじ曲げ、発光した魔方陣がうねるように回転し始める。

 その中心――敵の足元だけが、静かに、確実に抜け落ちた。


 敵を巻き込むように、足場ごと崩落していった。


 気づけば、そこに立っていたのはKただ一人だった。


 天空に、緋色の紋章が浮かび上がる。


《評価:最低基準クリア》

《仮補欠候補:登録》


 ……ただし、その登録音だけは、なぜか一拍、遅れて響いた。

 通常なら即座に送られる認証情報も、一瞬だけ迷ったように空間に漂った。

 Kの存在は、“制度の想定外”の何かに触れ始めていた。


 結局、“使えそう”ってだけの合図……そんなもんかよ。


 Kは床に唾を吐きつけた。


 “価値”? そんなの、どこにも……いや、まだなんだ。


 見えてたものが、どんどん曖昧になっていく。

 音も熱も、抜けていくのがわかった。怖いくらいに。


 Kは、再び“契約の間”へと戻っていた。


 服には血と煤。

 そして手には、まだ“刃物の冷たさ”が残っていた。


 セリアは、少しだけ目を細めた。


「生き残ったのね。でも、それだけじゃ“価値”とは呼べない」


 Kは、刃を持った手をしばらく見つめた。

 指先が微かに震えていたのを、自分で気づいて、ぎゅっと握りしめた。

 そしてようやく、刃を地面に置くように静かに離した。

 そして一歩、セリアに背を向ける。


「……なら、見せるよ。本当の価値ってやつを」


 その瞬間、魔法陣にわずかな“反応遅延”が走った。

 一瞬だけ、制度の魔力制御が――Kの意思に応じそびれたように見えた。

 誰にも気づかれないほどの微細な遅れ。だが、それは確かに“ほころび”だった。


 セリアの視線が、ちらりと扉の方へ。

 ――その瞬間、契約の間の“外”で、封印された扉が静かに軋み始めた。




✦✦✦




✦ 《次回予告 by セリア》 ✦

「――運命って、整ってるようで、じつはすごく雑なのよ。

測定ひとつで人生が決まる世界なんて、ね。むしろ、“選ばせない仕組み”の方がよっぽど精巧だわ」


「“召喚制度”? ふふ、スキャン一発で“資源”か“英雄”かを決める合理性? でもね――その機械仕掛けが、Kの存在に小さく詰まったのよ。次は、制度の内側が“Kを体験する”番かもしれないわ」

「値段なんて、貼るのは一瞬。でも剥がすとこには、擦れて皮が剥けたみたいな跡が残るの。……数字は、それを見てくれない」


「セリアの小言? そうね……抗いたい? なら、“番号で呼ばれる人生”に満足しないことね。制度は、黙ってる者から先に飲み込むから……選びなさい。“黙る”か、“名乗る”か」






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