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#3ー9:価値の再定義

✦✦✦ 《支配者の誓い》 ✦✦✦


「まずは裏市場から始めるのね?」


 セリアが問いかける。


 Kは頷き、静かに答えた。


「ああ、表からじゃ追いつけない。この力と知略を使い、裏市場で信用を得る」


 セリアは微笑んでいた。でも、その目の奥にだけ――ほんの少し、何かが揺れていた。


 セリアはほんの一瞬、Kをじっと見つめ――わずかに視線を逸らした。


「裏市場は、甘くないわ」


 その口調は淡々としていたが、言葉の端にほんのわずかに緊張が滲む。


「……でも、あなたなら、きっと――いや、できるわ」


 セリアはゆっくりと歩を進めながら、続けた。


「あそこには、“魔王になり損ねた者”や“表での失敗者”が溜まっているの。

評価されることなく、市場の底に沈んだ存在たち……“残響”と呼ばれてる」


 Kは無言のまま、その言葉に耳を傾ける。


「けれど、そういう場所だからこそ――歪んだ価値にも、敏感なのよ」


 セリアはふと足を止め、振り返る。


「表の市場が見逃した“異物”を、先に拾う者もいる。

だからこそ、裏市場には、チャンスがあるの」


 今のKには、過去に縛られる鎖がない。その自由さこそが、今のうちに進めるべき理由だった。

 セリアはそう判断していた――必要なのは、適切な環境と、雑音の排除。

 ――あの因子が目覚める前に、完成させる。


 その言葉の裏には、ほんの一瞬だけ、声に出せない“願い”のようなものが混じっていたとKは感じた。

 セリア自身もまた、この仕組みに縛られているのだと、Kは感じ取っていた。


「成功すれば……一気に、評価は跳ね上がるわ」


 セリアは一瞬沈黙する。


「でも、もし――失敗したら……全部、失うの。命も。あなたのも……そして、たぶん……私も」


 その言葉の最後だけが、わずかに震えていた。


 Kが何かを返そうとしたとき、セリアがふいに目を細めて、ぽつりと口にした。


「……それにしても、あなたって――昔から、あたしの胸が好きよね?」


 一瞬、空気が止まった。

 Kはわずかにまばたきし、言葉にならないままセリアを見た。


 セリアは涼しい顔で、あえて何も続けなかった。

 ただ、楽しそうに微笑んだまま、何も説明しない。


 Kは視線を逸らし、わずかに眉をひそめた。


「……今、それ言うか?」


 小さく吐き出すように言うと、セリアはくすっと笑った。


「本当のことを言っただけよ。

あなた、自分じゃ気づいてないけど、ああいうとき――ちゃんと見てるの、目線でわかるのよ」


 まるで、データでも扱うような冷静さで、恥じらいなど一切なかった。


 沈黙。Kの心を支配しているのは今は、無だけだった。


 Kは一瞬、言葉を失い――そして、ゆっくりと問いかけた。


 本当に、この市場は信用を得るだけで生き残れるのか?


 なんでだろ。前にも似たことを言われた気がする。

 誰に? いつだ? ……全然、思い出せない。

 けど、胸の奥が少しだけ軋む。理由は……わからないまま。


 ……それと、あの裸体の石像――なぜか妙にセリアに似ていた。

 いや、似てたっていうか……見覚えがあった。おかしいよな?

 そもそも、そんな目で見たこと――あったか?

 いや……ある気がする。けど、いつだ?


 目を閉じると、石じゃない。肌の感触が、指先に残ってる。

 ……いや、ちがう。それはただの想像か? それとも……。


 ――視線。あの夜の、鏡の部屋の光を、ふと思い出した。

 “見せる”ことで支配され、“見ること”しかできなかった、あの時間。

 それは、ほんの一瞬の“許可”だったはずなのに、

 いつの間にか――俺の中に、杭のように刺さっていた。



 あの夜の記憶を――掘り起こしていた。


 息を吸う。視界の隅で光が揺れて、次の瞬間――セリアが流し目でこちらを見ていた。

 本物か? 幻か? 記憶か? それとも……欲望?

 ……わからん。もう、なにがどれだか、わからない。


 少しばかり大きく息を吸い吐き出した。


 ふと、Kの脳裏に、これまで見てきた召喚者たちの末路がよぎる。

 魔力を吸い尽くされ、樽人間として魔王たちの養分になり、最後には廃棄される。


 ――記憶の光が静かに引いていく。鏡の残像が、現実に溶ける。


「……信用があれば、本当に……生き残れるのか?」


 Kはその言葉を呟いたあと、わずかに視線を逸らした。


 俺だけを、まさか……。樽に詰め込む気じゃ、ないだろうな?


 Kは低い声で問いかけた。


 セリアは一瞬、驚いたように眉を動かしたが、すぐに微笑を浮かべた。


「少なくとも、この市場では“生き残る”ためには、信用が不可欠よ。」


 Kは返事をしなかった。ただ静かに拳を握る。

 わずかな沈黙のあいだ、スクリーンの光だけが脈動していた。



 ✦✦✦ 《黒塗りの記録》 ✦✦✦


 ……生き残るのに、信用だけで足りるのか?

 Kは、疑念と怒りの狭間に、しばし沈黙した。

 だったら……どうして、あんなに多くの召喚者が……。


 ――麻倉美月。

 Kは一度だけ、セリアの投資ルームで見かけた取引ログに、その名前を見たことがある。


 今思い起こすと、唯一残っていたのは、ログの片隅に載せられた短い音声断片だった。


 〈……お母さん、元気かな……〉


 ……その声を聞いた瞬間、Kの中で何かが弾けた。


 胸の奥に押し込めていた“怒り”が、静かに、しかし確かに湧き上がる。

 知らない少女の声のはずなのに、その寂しさが、自分の過去とどこか重なった。


 知らない少女の声だったはずなのに、Kの胸に怒りが湧いた。

 誰かが彼女を“無価値”と切り捨てた、その行為に。


 拳が小刻みに震えていた。K自身も、その怒りの正体に戸惑っていた。

 けれど、誰かが“無価値”と断じ、記録を黒く塗り潰した――その行為だけは、決して許せなかった。


 その一言だけが、黒塗りの感情記録の隙間にひっそりと残っていた。

 Kはそれを、消される直前にキャッシュから復元した。


 記録改ざんの痕跡――それは、ほぼセリアと言える誰かが“彼女の存在を消そうとした”証拠だった。


 召喚からわずか一週間。能力評価不能。戦果なし。

 だが、唯一目を引いたのは、「感情記録」の欄だった。


 黒く塗り潰されていた。


 まるで、「心を持っていた痕跡すら不要」と言わんばかりに。


 麻倉美月は、名前を呼ばれないまま“資源”として終わった。

 ……俺も、そうなるはずだった。


 ……あのとき、一瞬だけ“修正履歴:不明”と浮かんだ行が、すぐに消えたように見えた。


 誰が、何のために、そんな改ざんを? まさか――。


 Kは拳を握る。


 ……そのとき、Kの脳裏に浮かんだのは、セリアの、あの時の微かな“間”だった。

 まるで、その名前を“知っていた”かのような――ほんの一瞬の、沈黙。

 それは錯覚かもしれない。けれど、記憶のどこかで、その沈黙だけが妙に浮いていた。


 ……セリアは、あのログを見たことがあったのか?

 それとも――消したのも、あいつなのか?



 この市場では、“真実”すら操作される。


 “正しさ”のために心を消すなら――その正しさごと、静かに壊す。


 一瞬の迷いを振り払うように、Kは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。



✦✦✦ 《支配者の誓い》 ✦✦✦


「覚悟もないまま生き残ろうなんて……それは幻想だ。

希望だけじゃ、この市場は動かない。動かすのは、確かな“結果”だ」


 ……ここじゃ、“現実”だけが、生き残るんだ。


 彼の言葉には、先ほどとは違う響きがあった――疑念と、僅かな焦りが滲んでいた。


 Kは静かに歩みを進める。


 市場を変える。その構造ごと――塗り替える。Kは、自らの価値を自分で定義すると決めた。


「俺が、この市場を“書き換える”。終わるもんか。まだ――始まってすらいない」


 その言葉に、セリアは満足げに微笑んだ。


「じゃあ、証明してみなさい。“使われる側”じゃないってことを」


 セリアの言葉は、どこか挑発にも似ていた。


 ……どれだけ歪んでいようが、運命を嘲笑われようが――構わない。

 価値を証明するためじゃない。“価値を定義する側”に立つために、俺は生き残る。


 ここからが本番だ――俺がこの市場のルールを書き換えるための第一歩。

 生きるって、結局“値”がなきゃ許されないのか?

 だったら……その“値”そのものを、書き換えるしかねえだろ。

 従う気なんかねえし、支配って言葉も――もう、足りねえ。


 Kは静かに自問する。


 スクリーンの光が、わずかに脈動する。

 情報粒子がちらつき、視界の端が歪んだように揺れる。

 空間が“何か”を受け止めようとしているのか、拒んでいるのか――わからない。

 ただ、重たかった。


 本当に――そこまでやれるのか?

 この世界の“前提”すら、塗り替えられるのか……。


 この世界の“前提”すら――変えてみせる。


 決めた以上、止まらない。止められもしない。


「なあ、俺を呼び寄せた世界さんよ……泣いてろよ。叫んでろよ。喚こうが何しようが――最後には、俺が全てを書き換えてやるからな」


 俺は、使われる側で終わるつもりはない。

 駒にされるのは、次こそ――この世界の方だ。


「召喚制度を終わらせるんだ。俺が上書きをする」


 それが、Kの選んだ戦い方だった。


 その刹那――魔王市場のどこかで、ファイルが一つ、静かに閉じた。

 音もなく。ただ、なにかが終わったような、始まったような……そんな気配だけが残った。




✦✦✦




【次回予告 by セリア】

「命って、不思議よね。

 消費される時ほど、“役に立った”って評価されるなんて」


「次回、《闇市場編》、『消費される命』。

 “使い切られること”が、生きていた証明になる場所。

 そこで問われるのは、命の“所有者”が誰なのか……ってこと」


「セリアの小言? そうね……“捨てられた命”を前にしても、顔色ひとつ変えない者がいるのよ。

 価値って、ほんと残酷よね」



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