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#4−5:影の値段


✦✦✦ 《闇の余韻》 ✦✦✦


 ――草レース終了後、闇市場の酒場。


 Kの体には、戦いの余韻が微かに残っていた。

 影鬼を使った草レースは、確かに勝った。けど、それで何かが報われた気はしない。


 ……魔王市場は、それだけじゃ動かない。

 要求されるのは、“その先”。数字に変わる、成果。


 成果は“数値”になってまうし、投資家に晒される――問題はその後だな。

 価値になるかどうかは……そうさ、無慈悲な世界が、手ぐすね引いて待ってる。


 届かなきゃ、“次”はない。

 ……冷たいが、それがこの世界の常識だ。


 闘技場を後にしたKは、闇市場の一角にある薄暗い酒場へと足を踏み入れた。

 ここは魔王候補たちや投資家が情報交換を行う場。

 暗く閉ざされた空間は、あまりに静かで、逆に胸の奥がざわついた。

 その空気には、押し殺された熱があった。


 Kはカウンターの端に腰を下ろす。

 胸の奥には、まだ勝利の熱が残っていた。

 だが、それとは別に――わずかに、何かが引っかかる。


 Kはグラスの縁をなぞりながら目を伏せた。勝ちは勝ちだ。

 ……それでも、胸の奥にかすかなひっかかりが残る。

 影鬼の動きが、一瞬だけ鈍った。

 集中が切れたのか。それとも、指示のわずかな遅れか。

 Kは眉をわずかにひそめた。


 小さな違和感が、胸の奥に刺さった。

 忘れようとしても、脳裏から離れない。


 隣で静かに浮かぶセリアが、淡々と口を開いた。


「……悪くない戦いだったわ」


 その声には冷静な評価だけでなく、鋭い探りを入れるような響きが混じっていた。

 Kは一瞬だけ、視線をずらした。


「あなたの影鬼戦術は、これまでの魔王候補とは違う。

でも“市場”がどう評価するかは……今夜、見えてくるでしょうね」


 Kはただ頷いた。目だけが、何かを射抜くように静かに光っていた。


 ただの駒として扱われた過去の自分に戻るつもりはない。

 ここで示せなければ、全部終わりだ。


 あとは――選べない。

 選ぶ、余地なんて、どこにも残らない。


 彼が拳を握ったその時だった。

 酒場の奥、闇に包まれた一角で、魔王市場に関わる投資家たちが低く囁き合っていた。


「影市場に影響を及ぼす可能性はある……が、確信には至らない」


「ただ、“異質な影使い”としてリスト入りしたのは確かだな」


 魔導スクリーン――魔力で情報を映し出す透過板――が、酒場の奥で静かに明滅していた。

 そこに映し出されたのは、影鬼戦術の記録。


《+5.7%》――注目段階。影・個別銘柄。

《+3.2%》――“様子見”。評価保留。

 新規追加:K投資家注目。


 ……数字は、確かに動いていた。


 名前も出た。


 けど――それが、“評価”ってわけじゃない。

 今のところは、ただの観察対象ってとこだ。


 セリアは、Kを値踏みするような目で見た。


 セリアは、間を置き、視線をずらす。


「影鬼ね……ただの戦術には見えなかったわ」


「……市場も、そう評価するかしら?」


 Kは視線を投資家たちの方に向ける。


「影鬼が広まる。市場も動く。――けど、その先は?」


 カウンターの奥、誰かが笑った気がした。酒がこぼれる音が、妙に大きく聞こえた。


 ……そんな簡単に、変わるはずがない。

 Kはグラスを傾けた。


「……制度を変えるってんなら、あと何人、俺が殺ることになるんだ?」


 ……結局、そこなんだよな。


 セリアはわずかに微笑み、頷いた。

「この仕組みのままだと、召喚された側は消耗品のままよね。……でも、あなたの影鬼なら、壊せるかも」


 少しだけ、声に熱が混じっていた。

 それが期待か、あるいは試すような響きなのか――Kには、まだ読みきれない。


「“裏側から支配する影”――召喚者が影に同化するような、新たな術式。市場は、それを恐れつつ惹かれているわ」


 Kは視線を投資家たちに向けた。


 影鬼だけじゃ、制度なんて崩れない。

 ……そんなの、痛いほど分かってる。


 だが、本当にそれだけか?


 制度を変えるには、市場の“頂点”に立つ必要がある。

 Kは、そう信じていた――いや、信じ込もうとしていた。


 Kの目が冷たく光る。

 一度の勝利では変わらない――だが、それが始まりになるとKは信じていた。

 市場を揺らす“流れ”を作らなければ、意味がない。


 酒場の奥では、投資家たちが魔導スクリーンに映る情報を見つめていた。


「……影鬼、話題にはなってるな」


 投資家のひとりが、魔導スクリーンを睨みながらぼそりと呟く。


「とはいえ市場は静観だ。……今は様子見だな」


「派手に勝ったようには見えたな。だが、そういうのは消えるのも早い」

「珍しさだけじゃ続かん。どうせ一発で終わるさ」

「手を出す気にはなれん。……また外したら笑われるだけだ」


 乾いた笑いがひとつ、空気に溶けた。


「だがな」


 一人の投資家が、スクリーンを指先で叩くように見つめる。


「異質な勝ち方を“続ければ”……話は変わる」

「勝ち方そのものが、制度の穴を突いているように見えた」


「……制度の“支配構造”に楔を打ち込む可能性もある」

「……いや、俺は信じないね。強ぇって? ああ、そりゃそうだろうよ。だがな、色物ってもんは、いつか色が剥げるもんだ」


 一瞬の沈黙。

 そのあと、静かに別の声が続いた。


「……違う」

「あれはもう、“影術”じゃない。境界が、ねじれてる。あれは――使ってる側の意志が、消えるタイプの術だ」


 その言葉に、数人が言葉を飲み込んだ。

 Kの動向を注視する――その静かな合意だけが、場に残った。



✦✦✦ 《投資の匂い》 ✦✦✦


「ほぉ……これは、実に風変わりだ。だが、嫌いじゃない」


 酒場の空気を震わせるような低い声が響いた。


 Kが振り返ると、そこには長いマントを纏った魔族の男が立っていた。

 闇の奥で、目だけが静かに光っていた。


「お前が“新参の影使い”か」


 男はカウンターの隣に腰を下ろし、静かに酒を注文する。

 紫色の液体がグラスに注がれると、彼の口元に微笑が浮かんだ。


「俺はグラフト。魔王市場で投資をしている者だ」


 Kは彼の名に一瞬反応した。


 ……どこかで聞いたことがある名だ。


 グラフトは薄く笑い、Kの反応を楽しむように言った。


「何人かの魔王を見てきた。……お前も、その中に入るかもしれん」


 グラフトはグラスを軽く揺らしながら続けた。


「影鬼戦術は戦場そのものを制圧する、新しいスタイルだ。価値が浸透すれば、召喚制度すら揺らぐだろう」


 Kは視線を落とした。

 影鬼が評価されれば、召喚者の立場も変わる。……その突破口を、Kは掴みかけていた。


 Kは黙ってグラフトの言葉を聞いていたが、その内心では確信が生まれ始めていた。

 何人もというが、それは死んだ何人もの間違いじゃないのか?


 あの“呼ばれた者は使い捨て”の制度――召喚者が道具として終わらされるあの仕組みから、抜け出せるかもしれない。


 グラフトは視線をKに固定し、重い言葉を投げかけた。


「……次の試合に勝てば、出資してやる。だが――条件付きだ」


 Kはグラフトの視線を受け止めたまま、静かにグラスを揺らした。

 目は笑っていない。


「……逆に聞くが、あんたはどこまでリスクを負える?」


 投資話に見せかけた、牽制だった。

 どちらが本当に“試している”のか――今のところは、まだ五分と五分。


 金が欲しいんじゃない。

 引き金を引く立場が欲しいんだ――ただ、それだけ。


 グラフトの指先が、ごくわずかに止まった。

 思っていた以上に――この若者は、深く刺してくる。

 興味と警戒が、わずかに入り混じった目がKに向けられた。


 Kはその目の変化に気づいたが、表情は変えなかった。

 “今のは効いた”。確信ではない。けれど、その沈黙こそが答えだった。


 ……口では何とでも言えるが、グラスは嘘をつかないな。


 グラフトは、わずかに目を細めて笑った。


「なるほど……そういうタイプか。やはり面白い」


 その時、空間の“裏”がわずかに揺れた。


 ピリ……と静電気のような緊張が走ると、Kの背後に淡い光のひだが生まれる。


 「……このままじゃ影鬼、値札だけ貼られて捨てられるわよ」


 その声に、Kはほんのわずかに眉を動かした。


 影からふわりと現れたのは、フードを被った小柄な少女――すずだった。


 「相変わらず、勝手に現れるな」


 彼女がここまで踏み込んで来たのは、今回が初めてだった。Kは、それを無視できなかった。


 「……警告か、契約か」


 問いに対し、すずは一瞬だけ口をつぐんだあと、ほんの少しだけ目を逸らした。


「……ば、バカじゃないの……!? べ、別に心配してたとか……してないし!

ただの監視任務だし、たまたまだから。ほんとに……! ……あんた、すぐ無理するから……!」


 その声は、酒場のざわめきにすら飲まれそうなほど小さかった。


 だが、確かにKには届いていた。


 彼女の警告は、ただの心配ではない。何かを知っている――そんな気配が、確かにあった。


 次の瞬間、背後の影がふっと揺れ、すずの姿は魔力の裏層へと沈むように消えた。


 ……すずの行動に、もう命令は通じない。

 あれが“ただの影”だとは、もはや誰も思わないだろう。


 影に心が宿るなんて、理屈では説明できない。


 心酔――そう呼ぶしかない。


 Kにも、それがいつからだったのかは思い出せなかった。




✦✦✦ 《影の導火線》 ✦✦✦


 ――残されたのは、微かな熱と、揺らぐような余韻だけだった。

 まるで、彼女の言葉が影の奥に溶けていったかのように。


 グラフトは変わらぬ調子でグラスを揺らしていた。

 だが、その手が一瞬だけ止まった――まるで、誰かの気配を感じ取ったかのように。


 Kは目を細めたが、グラフトは何も言わず、ただ酒を口に運んだ。


 ……すずの名前は、あえて口にしなかった。

 彼女の存在が、この場に適していないことは、K自身が一番よく分かっていた。


 Kは消えた空間の余韻を纏いながら、グラスの影に視線を落とす。

 ――すずの声、やっぱり――心配だったのか?


 ……あれは、心配の言葉だったのか。だが、今は前を見るしかない。


 ……あれで、心配してるつもりなんだよな。

 わかってるさ。

 ……けど、こっちはこっちで、勝手に選ばせてもらう。


「何?」


「市場に影鬼が浸透した後の話だ。ゼグラント派や他の投資家たちは黙っていない。

お前は“新しいもの”に賭ける覚悟があるのか?」


 一瞬、グラフトの笑みがわずかに崩れた。


「なるほど……なかなか面白い質問だな」


 Kはグラスの液面を見つめ、ゆっくりと揺らした。

 視線の端で、グラフトのわずかな表情の変化をとらえる。


 ――面白いと言う奴に限って、まるで面白くない素振りだよな、ほんと。


 その時、低い声が割り込んだ。


「……そう簡単な話ではない」


 別の投資家が、グラフトを冷ややかに見つめる。


「影鬼か……異質ではあるな」


 投資家のひとりが、机をトントンと軽く叩く。


「だがな、次の一戦で潰されりゃ、それまでよ。泡みてぇに弾けて終わりだ」


 Kはグラスを傾け、ゆっくりと酒を喉に流し込んだ。


「弱点くらい、あるさ」


 ……今はまだ、脆いところだらけだ。

 Kはグラスの中の揺らめきに目を落とした。投資家の視線に気づきながらも、声にはしない。


 周囲の視線がわずかに変わる。


「弱点なんて、誰にでもある。市場が動いた時点で、それは“武器”にもなる」


 ――それで十分だろ?


 Kはグラスを置き、その縁を指先でなぞる。


「影鬼が市場を揺らす前に――ゼグラント派は動く」


 その予感が、Kの中で確信に変わり始めていた。市場の秩序を守るため、彼らは必ず先手を打つ。


 低く囁くような声で続ける。


「彼らは、俺が次に何をするか読めてるのか?」


 歪んだ笑顔が、口角を押し上げた。


「だったら、――せいぜい震えて見てろよ。どうせ、面白がってる余裕もすぐ消える」


 ――お前も、俺の影に怯える日が来るさ。


 彼はゆっくりとグラフトを見つめる。

 グラフトの笑みが、一瞬だけ……凍った。


「……クク、妙に面白い問いだ」


 グラフトはグラスを指でなぞりながら、静かに答えた。


「ハイリスク・ハイリターン……つまり賭けってわけか。

 影鬼が市場を揺るがせば、新たな影術の価値が生まれる」


「だが、ゼグラント派は黙っていない」


 Kの声が重なる。今度は一拍の間もなく。


「全部背負って、それでも賭ける――それが“勝ちにいく”ってことだろ」


 グラスの縁を指先でなぞるKの動きが、そこで止まった。

 投げかけた言葉が、空気の奥へと沈んでいく。


 ――ほら、だから“面白い質問”だろ。


 その言葉には、ひと瞬だけ熱を帯びたような響きが混じっていた。

 こいつは、どう出るかだな。


 グラフトの視線がわずかに細められる。


 時代を動かすのは、数字じゃない。

 恐れられ、拒絶された“影”だ。


 それでも、動く。――この世界に抗うために。



✦✦✦ 《取引の影》 ✦✦✦


 セリアは息を吸い、Kに視線を向けた。

 共犯者。それとも観察者か。セリアは、そんな曖昧な距離を保ったまま、ふっと笑う。


「……この勝利を、“本物”にする覚悟。あるでしょ、あなたなら。……いや、私がそうあってほしいだけかもね」


 Kはグラスを手に取り、液面を見つめた。

 影が揺れている。


 止まったら、またあの場所に戻るだけだ。そうさ、樽に詰め込まれて終える……。


 指先で軽くグラスを回す。ゆらりと波紋が広がった。


 静かに、迷いなく持ち上げる。


「……出資、か」


 Kはグラスを傾けながら、静かに笑った。


「――悪くはない。今はな」


 ……その反応を見て、

 グラフトは満足げに微笑み、グラスを掲げた。


「良い返事だ」


 Kは静かにグラスを置いた。

 市場が変わるかどうかなんて……正直、わからない。

 動かすだけじゃ、きっと足りない。壊すか、呑まれるか。

 どっちでもいい。ただ、止まりたくはない。




 【次回予告 by セリア】

「影を従えるって、簡単に言うけど……その“意思”が別にあったら、どうするの?」


「次回、《影はまだ従わない》――使ってるつもりで、試されてるのかもしれないわよ」


「セリアの小言? そうね……“勝利”って響き、甘くていいけど、

影が笑ってるなら、たぶんそれ――あなたのじゃないわ」

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