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#6−4:背を向けた影



✦✦✦《Kの支配領域》 ✦✦✦


 影鬼の暴走、仲間の離反、市場価値の暴落。

 ……そして、Kが築き上げた城塞は、今や沈黙と疑念に呑み込まれていた。


 異形の仮面をつけた影鬼たちは、互いの目を、まるで呪いみたいに避けた。


 かつて彼らが絶対の忠誠心を誇っていた時代は遠い過去となり、

 その心の中にあるのは、崩れ落ちそうな不安と微かな後悔だけだった。


 Kは会議室の中央に立ち、影鬼たちを冷徹な眼差しで見渡した。

 Kの視線が刺さるたび、空気はきしみ、誰もが喉を押さえた。


「何のつもりだ?」


 低く抑えられた声が響き、場の緊張は極限に達した。


 幹部たちはその場に立ち尽くした。

 体を震わせながら、目線を彷徨わせるが、

 誰一人としてKの目を直視する勇気を持てなかった。


 ようやく一人の幹部が、恐る恐る前に出る。

 その足音は重く、やや不規則に揺れていた。


「K様……」


 幹部は喉を鳴らした。言葉が詰まる。


「俺たち、ついていけねぇんだ……もう、限界なんだよ……」


 彼の肩が小刻みに揺れる。脂汗が滲み、唇が震えた。


 掠れた声でそう言うと、幹部はかすかに頭を垂れた。

 その顔には冷や汗が滲み、唇は震えて言葉を紡ぐことすら躊躇している。


「未来がない、か」


 Kは低く呟き、幹部を鋭く見下ろす。

 その眼差しが、空間を切り裂いた。


「昨日の時点で、俺は“見限られた”」


 ……もう、俺は――“見限られてた”も同然だな。


 Kは短く息を吐いた。


「市場の価値も、半減した。信用は失われ、俺を助ける者はいない」


 信頼は……もう、形だけだ。彼らにとってはもう、異物で汚物でしかない。


 空気が止まり、影鬼たちは誰一人、声を出せなかった。


 沈黙に耐えきれず、幹部の一人が息を飲み込んだ――声にはならなかった。


「……市場は速いな」Kはゆっくりと視線を上げる。


 微かなざわめきが影鬼たちの間に走る。

 まるで自分たちの運命が決まったかのような沈黙だった。


「それだけじゃない。敵は裏で動き、取引先を締め上げた。

 契約は破棄され、物資も止まった」


 Kは拳を握る。その関節が小さく鳴った。


「……つまり、“俺たちの物語”は、ここで終わりだと奴らは思ってる」


 Kは唇を歪めた。

 敵は、ここで終わらせるつもりか――この物語を。


 影鬼たちの間で、誰かの唾を飲み込む音が響く。


 一瞬の沈黙。


「もう、俺たちに残された選択肢は少ない」


 ……選べる道なんて、ほとんど残ってないな。


 ほんのわずかに、奇跡を願う自分がいる。

 だが、それも――すぐに呑み込まれた。


 その言葉が落ちた瞬間、室内の時間が止まったように感じられた。

 一人の影鬼が拳を握りしめ、うつむいた。

 指先はわずかに震え、抑えきれない焦燥が滲み出る。


「……もう、無理だ」


 影鬼の言葉が、場の雰囲気を決定づけた。


「壊れた城塞に、帰る場所はない」――誰かの心の声が、そう囁いた気がした。


 だが、Kの視線が向けられた瞬間、声は凍りついた。

 喉を鳴らしながら、肩を小さく震わせる。


 Kの胃がわずかに軋んだ。

 ――好き勝手に、逃げやがって。

 力を貸していたのは、俺の方だったのに。

 ……都合が悪くなると、背を向けるのか。


 それでも、まだ……すがりたかったんだろうな、俺は。



✦✦✦ 《離反の波紋》 ✦✦✦


 幹部の言葉が、まるで見えない波紋のように影鬼たちの間に広がる。

 小さなざわめきが重なり合い、恐怖と動揺が空間に満ちていく。


「どうか……お許しを……」


 幹部が震える声で言うと、その言葉には恐怖と悲痛、

 そして何か壊れてしまったような諦めが滲んでいた。


 Kは、その言葉に一切の感情を見せず、静かに幹部を見下ろしていた。


 だが、指先がわずかに動く。

 掌が、ゆっくりと拳を作る。

 力がこもるほど、関節がかすかに鳴った。


 彼の目には、まるで感情の欠片すら存在しないように見える――。

 だが、それが真実かは誰にも分からない。


「お前たちは、俺の影だった。……だが今は、もう違うのか?」

「俺の決断は、正しかったのか? それとも、運命がそうさせたのか……」


 その問いに、影鬼たちは一瞬息を飲んだ。

 だが、誰も答えられない。誰も視線をKに向けられない。


 沈黙――その重苦しい沈黙が、彼らの決断を告げていた。


 最初に立ち上がったのは、影鬼幹部だった。

 唇を噛みしめながら、一歩前に出る。


「無理だ。K様、あんたのことは……でも、俺は……」


 それを見た他の影鬼たちも、互いに視線を交わし、次々と立ち上がる。

 彼らの顔には、不安と決意が入り混じっていた。


 彼らの顔に宿ったのは、勝利の光ではない。重荷から逃げたい者の目だった。


 一人の影鬼が立ち上がる。漆黒の外套が揺れ、その手はわずかに震えていた。


「すまない」


 その言葉に呼応するように、もう一人が拳を握りしめ、Kから距離を取った。

 迷いを振り払うように――いや、振り払ったふりをして、一人、また一人と影鬼たちは立ち去った。


 ある者は、ただ怯えながら背を向けた。

 ある者は、未練を残した目でKを見た。

 ある者は、何も感じぬように目を伏せ、足早に去っていった。


 だが――誰も、声をかけなかった。


 Kは無表情のまま影鬼たちを見送った。


 ――いや、本当に無表情だったのか?


 彼の指先は微かに震えていた。


 あいつらは……本当に行くのか?


 視界の端で、影鬼たちが背を向けていく。迷いもせず、振り返りもせず。

 一瞬、誰かと目が合いかけた気がした。だが、それも、すぐに逸らされた。


 Kは静かに息を吐いた。


「……あれは裏切りじゃない。“俺が信じさせられなかった”だけだ」


 その言葉を発しながらも、何かが胸に引っかかる。


 一人の影鬼が、歩みを引っかけた。

 だが、次の瞬間には再び歩き出し、やがて消えていった。


 Kは手を握りしめた。

 その指先から、血が滲んでいることに気づかないまま。


「行け」


 かすかに震える声――影鬼たちが、ふと足を止める。


 廊下の向こうから、冷たい風が吹き抜けた。


 だが、誰一人として振り返ることはなかった。


 その瞬間、Kは何かを強く噛み締める音を聞いた。


 室内には、自分の鼓動だけが、かすかに響いていた。


 それが自分の奥歯だったと気づいたのは、数秒後のことだった。


 ……あの時、誓ったじゃないか。


「どれだけ裏切られても、俺は進む」――あの言葉が、今でも胸に残っている。


 ……昔、あの女(ひと)に言われた。


 「指揮官は、一人で歩けるやつだけが、先頭に立てるのよ」って。


 誰よりも先に、誰よりも遠くを見てた――だからこそ、俺は……。


 ――その時、一人の影鬼が、ナイフを握りしめたまま立ち止まっていた。

 Kは気づかぬふりをした。



✦✦✦《新たな戦場》 ✦✦✦


 Kは影鬼たちの残存戦力を引き連れ、新たな拠点へと進軍していた。


 Kは馬を降り、無言で要塞の前に立つ。


 目の前に広がる城壁は異様なほど整っていた。

 石の継ぎ目は一つとして歪みがなく、漆黒の鉄門は磨き上げられている。


 通常、長く使用された要塞ならば、どこかに歪みや劣化があるものだ。

 しかし、この城にはそれがない。

 まるで、今、この瞬間のためだけに降ろされた城のようだった。


 兵士たちは静かに整列し、無駄な動きが一切ない。

 監視兵たちの視線は、心すら持たぬもののように冷たかった。


 Kは鼻を鳴らしながら、城門の前に立つ。


「……過剰なもてなしだな」


 ……ゴミは、いつだって片付けなきゃならない、からな。

 燃やすか、埋めるか、跡形もなく。


 城門がゆっくりと開く。だが、誰も迎えに出てこない。


 扉の奥には、静寂だけが広がっていた。

 その鋭い眼光は、要塞の全てを疑っている。


 これは罠だ。だが、ここで退くわけにはいかない。


 その直後だった。


「敵襲! 敵襲!」

「拠点が完全に包囲された!」


 影鬼たちの慌てた声が次々と上がる。

 混乱と恐怖が彼らの行動を乱していた。


 Kはそれを冷静に見つめ、ただ静かに息を吐いた。


「――やっと、動き出すか。俺の破れた物語が」


 ――やっとだな。……ボロボロの俺の物語が、動き出す。


 Kは静かに息を吐いた。

 そう、罠でいい――罠だからこそ、進める。


 だが、もはや退路はなかった。

 背を向ける理由も、言い訳も捨ててきた。

 進むしかない。市場を支配する者として。



 ✦✦✦ 《影を見ていた者》 ✦✦✦


 Kの背中を、セリアは見ていた。


 影鬼たちが去った静寂の中を、彼はただ一人、進もうとしている。

 足取りに迷いはない。だが、それが強さだとはセリアには思えなかった。


 「……それって、本当に勝ちなの?」


 声には出さなかった。ただ、胸の奥で、問いかけるだけだった。


 Kは誰の声にも応えず、誰の手も振り返らない。

 ならば今、あの人は――。


 誰の声で、戦ってるの?







 【次回予告 by セリア】

「――“力に頼る”って、楽よね。考えなくていいし、痛みも全部“本能”のせいにできる」


次回戦奴、『捨てたはずの知略に、縋る影』。

Kは選んだの。“支配する”んじゃなく、“制御されても構わない”って。……ねえ、それって、本当に勝ち?」


「セリアの小言? いいわ、ひとつだけ。

“命令する者”が“命じられる側”の声を聞けなくなった時、

その支配は、ただの依存に成り下がるのよ。……K、あなた、今……誰の声で、戦ってるの?」



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