✦✦✦《Kの支配領域》 ✦✦✦
影鬼の暴走、仲間の離反、市場価値の暴落。
……そして、Kが築き上げた城塞は、今や沈黙と疑念に呑み込まれていた。
異形の仮面をつけた影鬼たちは、互いの目を、まるで呪いみたいに避けた。
かつて彼らが絶対の忠誠心を誇っていた時代は遠い過去となり、
その心の中にあるのは、崩れ落ちそうな不安と微かな後悔だけだった。
Kは会議室の中央に立ち、影鬼たちを冷徹な眼差しで見渡した。
Kの視線が刺さるたび、空気はきしみ、誰もが喉を押さえた。
「何のつもりだ?」
低く抑えられた声が響き、場の緊張は極限に達した。
幹部たちはその場に立ち尽くした。
体を震わせながら、目線を彷徨わせるが、
誰一人としてKの目を直視する勇気を持てなかった。
ようやく一人の幹部が、恐る恐る前に出る。
その足音は重く、やや不規則に揺れていた。
「K様……」
幹部は喉を鳴らした。言葉が詰まる。
「俺たち、ついていけねぇんだ……もう、限界なんだよ……」
彼の肩が小刻みに揺れる。脂汗が滲み、唇が震えた。
掠れた声でそう言うと、幹部はかすかに頭を垂れた。
その顔には冷や汗が滲み、唇は震えて言葉を紡ぐことすら躊躇している。
「未来がない、か」
Kは低く呟き、幹部を鋭く見下ろす。
その眼差しが、空間を切り裂いた。
「昨日の時点で、俺は“見限られた”」
……もう、俺は――“見限られてた”も同然だな。
Kは短く息を吐いた。
「市場の価値も、半減した。信用は失われ、俺を助ける者はいない」
信頼は……もう、形だけだ。彼らにとってはもう、異物で汚物でしかない。
空気が止まり、影鬼たちは誰一人、声を出せなかった。
沈黙に耐えきれず、幹部の一人が息を飲み込んだ――声にはならなかった。
「……市場は速いな」Kはゆっくりと視線を上げる。
微かなざわめきが影鬼たちの間に走る。
まるで自分たちの運命が決まったかのような沈黙だった。
「それだけじゃない。敵は裏で動き、取引先を締め上げた。
契約は破棄され、物資も止まった」
Kは拳を握る。その関節が小さく鳴った。
「……つまり、“俺たちの物語”は、ここで終わりだと奴らは思ってる」
Kは唇を歪めた。
敵は、ここで終わらせるつもりか――この物語を。
影鬼たちの間で、誰かの唾を飲み込む音が響く。
一瞬の沈黙。
「もう、俺たちに残された選択肢は少ない」
……選べる道なんて、ほとんど残ってないな。
ほんのわずかに、奇跡を願う自分がいる。
だが、それも――すぐに呑み込まれた。
その言葉が落ちた瞬間、室内の時間が止まったように感じられた。
一人の影鬼が拳を握りしめ、うつむいた。
指先はわずかに震え、抑えきれない焦燥が滲み出る。
「……もう、無理だ」
影鬼の言葉が、場の雰囲気を決定づけた。
「壊れた城塞に、帰る場所はない」――誰かの心の声が、そう囁いた気がした。
だが、Kの視線が向けられた瞬間、声は凍りついた。
喉を鳴らしながら、肩を小さく震わせる。
Kの胃がわずかに軋んだ。
――好き勝手に、逃げやがって。
力を貸していたのは、俺の方だったのに。
……都合が悪くなると、背を向けるのか。
それでも、まだ……すがりたかったんだろうな、俺は。
✦✦✦ 《離反の波紋》 ✦✦✦
幹部の言葉が、まるで見えない波紋のように影鬼たちの間に広がる。
小さなざわめきが重なり合い、恐怖と動揺が空間に満ちていく。
「どうか……お許しを……」
幹部が震える声で言うと、その言葉には恐怖と悲痛、
そして何か壊れてしまったような諦めが滲んでいた。
Kは、その言葉に一切の感情を見せず、静かに幹部を見下ろしていた。
だが、指先がわずかに動く。
掌が、ゆっくりと拳を作る。
力がこもるほど、関節がかすかに鳴った。
彼の目には、まるで感情の欠片すら存在しないように見える――。
だが、それが真実かは誰にも分からない。
「お前たちは、俺の影だった。……だが今は、もう違うのか?」
「俺の決断は、正しかったのか? それとも、運命がそうさせたのか……」
その問いに、影鬼たちは一瞬息を飲んだ。
だが、誰も答えられない。誰も視線をKに向けられない。
沈黙――その重苦しい沈黙が、彼らの決断を告げていた。
最初に立ち上がったのは、影鬼幹部だった。
唇を噛みしめながら、一歩前に出る。
「無理だ。K様、あんたのことは……でも、俺は……」
それを見た他の影鬼たちも、互いに視線を交わし、次々と立ち上がる。
彼らの顔には、不安と決意が入り混じっていた。
彼らの顔に宿ったのは、勝利の光ではない。重荷から逃げたい者の目だった。
一人の影鬼が立ち上がる。漆黒の外套が揺れ、その手はわずかに震えていた。
「すまない」
その言葉に呼応するように、もう一人が拳を握りしめ、Kから距離を取った。
迷いを振り払うように――いや、振り払ったふりをして、一人、また一人と影鬼たちは立ち去った。
ある者は、ただ怯えながら背を向けた。
ある者は、未練を残した目でKを見た。
ある者は、何も感じぬように目を伏せ、足早に去っていった。
だが――誰も、声をかけなかった。
Kは無表情のまま影鬼たちを見送った。
――いや、本当に無表情だったのか?
彼の指先は微かに震えていた。
あいつらは……本当に行くのか?
視界の端で、影鬼たちが背を向けていく。迷いもせず、振り返りもせず。
一瞬、誰かと目が合いかけた気がした。だが、それも、すぐに逸らされた。
Kは静かに息を吐いた。
「……あれは裏切りじゃない。“俺が信じさせられなかった”だけだ」
その言葉を発しながらも、何かが胸に引っかかる。
一人の影鬼が、歩みを引っかけた。
だが、次の瞬間には再び歩き出し、やがて消えていった。
Kは手を握りしめた。
その指先から、血が滲んでいることに気づかないまま。
「行け」
かすかに震える声――影鬼たちが、ふと足を止める。
廊下の向こうから、冷たい風が吹き抜けた。
だが、誰一人として振り返ることはなかった。
その瞬間、Kは何かを強く噛み締める音を聞いた。
室内には、自分の鼓動だけが、かすかに響いていた。
それが自分の奥歯だったと気づいたのは、数秒後のことだった。
……あの時、誓ったじゃないか。
「どれだけ裏切られても、俺は進む」――あの言葉が、今でも胸に残っている。
……昔、あの女(ひと)に言われた。
「指揮官は、一人で歩けるやつだけが、先頭に立てるのよ」って。
誰よりも先に、誰よりも遠くを見てた――だからこそ、俺は……。
――その時、一人の影鬼が、ナイフを握りしめたまま立ち止まっていた。
Kは気づかぬふりをした。
✦✦✦《新たな戦場》 ✦✦✦
Kは影鬼たちの残存戦力を引き連れ、新たな拠点へと進軍していた。
Kは馬を降り、無言で要塞の前に立つ。
目の前に広がる城壁は異様なほど整っていた。
石の継ぎ目は一つとして歪みがなく、漆黒の鉄門は磨き上げられている。
通常、長く使用された要塞ならば、どこかに歪みや劣化があるものだ。
しかし、この城にはそれがない。
まるで、今、この瞬間のためだけに降ろされた城のようだった。
兵士たちは静かに整列し、無駄な動きが一切ない。
監視兵たちの視線は、心すら持たぬもののように冷たかった。
Kは鼻を鳴らしながら、城門の前に立つ。
「……過剰なもてなしだな」
……ゴミは、いつだって片付けなきゃならない、からな。
燃やすか、埋めるか、跡形もなく。
城門がゆっくりと開く。だが、誰も迎えに出てこない。
扉の奥には、静寂だけが広がっていた。
その鋭い眼光は、要塞の全てを疑っている。
これは罠だ。だが、ここで退くわけにはいかない。
その直後だった。
「敵襲! 敵襲!」
「拠点が完全に包囲された!」
影鬼たちの慌てた声が次々と上がる。
混乱と恐怖が彼らの行動を乱していた。
Kはそれを冷静に見つめ、ただ静かに息を吐いた。
「――やっと、動き出すか。俺の破れた物語が」
――やっとだな。……ボロボロの俺の物語が、動き出す。
Kは静かに息を吐いた。
そう、罠でいい――罠だからこそ、進める。
だが、もはや退路はなかった。
背を向ける理由も、言い訳も捨ててきた。
進むしかない。市場を支配する者として。
✦✦✦ 《影を見ていた者》 ✦✦✦
Kの背中を、セリアは見ていた。
影鬼たちが去った静寂の中を、彼はただ一人、進もうとしている。
足取りに迷いはない。だが、それが強さだとはセリアには思えなかった。
「……それって、本当に勝ちなの?」
声には出さなかった。ただ、胸の奥で、問いかけるだけだった。
Kは誰の声にも応えず、誰の手も振り返らない。
ならば今、あの人は――。
誰の声で、戦ってるの?
【次回予告 by セリア】
「――“力に頼る”って、楽よね。考えなくていいし、痛みも全部“本能”のせいにできる」
「
Kは選んだの。“支配する”んじゃなく、“制御されても構わない”って。……ねえ、それって、本当に勝ち?」
「セリアの小言? いいわ、ひとつだけ。
“命令する者”が“命じられる側”の声を聞けなくなった時、
その支配は、ただの依存に成り下がるのよ。……K、あなた、今……誰の声で、戦ってるの?」