「すごいわね、この包装紙。ガラスみたいに透明なのに、こんなに薄くて柔らかい」
透明ビニールで出来たコンビニおにぎりの袋をしげしげと眺め、イエルは感心した声を漏らす。
アパートや小さなビルに囲まれた、小ぢんまりした公園。まだ太陽の昇りきらない朝方の街で、クサナギたちはベンチに並んでコンビニ飯を広げていた。
「しかも、待って。これくっついていて継ぎ目がないわ」
「破いて開けるんだよ。端っこのギザギザしたところあんだろ、そっからこうやってさ」
手に取ったワカメおにぎりの包装を開けて見せると、目を丸くする。
「破いちゃうの? こんなに綺麗で真新しいのに?」
「あー、うん。これはそんなに価値あるもんじゃ無いからな、使い捨てだ。お前から見りゃ特別に見えるかもしれないけど」
大量消費社会の洗礼を受け衝撃に固まるイエルを横目に、クサナギはおにぎりにかじりつく。三角おにぎりにしなくて良かったな、と思いながら。あれは初心者だと手順に手間取るから。
妹のリセはというと、クサナギに
「しかし、丸二年か……」
クサナギはコンビニで一緒に買った新聞紙を見やる。クサナギがイエルたちの世界へ呼び出され、戻ってくるまでの間にこちらの世界では二年が経過していた。
ラッキーだったのは、コンビニの看板に書いてあった店舗名が覚えのある地名だったことだ。多少でも土地勘がある場所ならちょっとは安心できる。
それに、両手が自由になったのも良かった。転移時に壊れたのか、あるいは、こちらの世界では魔装具が使えなくなるのかは分からなかったが、クサナギの両手に嵌められた手錠は機能しなくなり、ただの黒い腕輪と化している。
二個目のおにぎりを頬張りながら、クサナギは次の行動に考えを巡らせる。
「何はともあれ、まずは拠点が必要だが……」
* * * *
「……家が無い」
そうボヤいて、クサナギはがっくり肩を落とした。
クサナギがかつて住んでいたアパートの一室は既に引き払われているらしく、エントランスの郵便受けには「空き部屋」と書かれたテープが貼られ、口を塞がれていた。
家具やら何やらの私物は一体どこへ行ったのか、大家や実家に連絡を取ろうにもスマホがない。
「家賃払わずに二年も失踪してたら、そんなもんか……」
クサナギが持っているのは、異世界でも大事に持ち続けていた財布だけだ。かろうじて、その中に銀行のキャッシュカードやクレジットカード、免許証といった物が入っているので、なんとか当面生きていける保証だけはある。
「え、なに。このおっきな塔がクサナギの家だったの?」
イエルは驚きの表情でエントランスを見回したり、入り口を仕切る大きなガラス扉に触れたりしている。見るものすべてが珍しいのだろう、東京で目覚めてからというもの、一事が万事この調子だった。
「ちげえよ。この中に何十個もある部屋うちの一つを借りてたの。集合住宅はそっちの世界にもあったろうが」
「ああ、そういうこと。ごめんなさい、そうよね。あなたがこんな大きな塔を所有するほどの資産家なわけないもの」
「ぶっとばすぞ。事実だけど」
「お姉ちゃん、クサナギさんには当たり強いよね」
「とにかく、ここにいてもしょうがない。俺はもういなくなったものと思われてる」
そう言って、クサナギは二人を連れて外へ出る。
「次の場所に行くぞ。こっちはまだ望みが高い」
「なに? 別荘でもあるの?」
「いや、行くのは住むところじゃない。貸し倉庫を一つ借りていて、そこの様子が見たい。なに、ちょっと寄るだけさ」
記憶を頼りに十分ほど歩くと、 住宅街の中にコンテナが並ぶ一角に辿り着いた。
「あったあった。ここは流石に残ってるだろ」
財布から鍵を取り出して、シャッターを持ち上げる。朝方の町に大きな音を響かせながら、レンタルガレージの入口を開いた。
「うわぁ、すごい」
「これは……」
差し込んだ曙光に照らされて、コンテナの中に並べられた二台のバイクが輝きを返す。
「よ~しよし、長いこと放ったらかしちまったなお前達。すぐにメンテしてやるからな〜」
クサナギはバイクを見るや、いそいそと近寄っていき、各部の状態を調べ出す。リザーバータンクの量、バッテリーの充電、チェーンが錆びてないか、長く放置していたバイクの見るところは多い。イエルとリセを置いてきぼりにしたまま、途端に忙しそうにあれこれといじり始めた。
「ねえ、ちょっと。ちょっと寄るだけじゃなかったの? それに、その奇妙な形をした物はなに? 車輪がついてるけど、二つしかないわよ」
前後に二つだけ車輪が並んでいる道具というものが無い世界で生まれ育ったイエルたちには、不思議な物に映っているようだ。興味半分、訝しさ半分といった目で二台のバイクとそれをいじるクサナギを見比べている。
そのクサナギがギョロリとイエルの方を振り返って、「こいつらが何かって?」と訊き返す。
「よく聞いてくれたな、こいつらは……」
すっくと立ち上がったクサナギは、嬉しそうに革張りのシートをポンポンと叩くと、
「俺の大切な愛馬たちさ」
と、実に満足そうに言うのだった。
* * * *
レンタルガレージを調べたところ、クサナギの趣味の道具、つまりこつこつと買い集めたキャンプグッズに釣り道具、そしてバイク関連のあれこれは無事に二年前と同じ状態で保管されていた。バイク自体も、運のいいことにちょっとメンテナンスしてやればすぐ乗れそうな状態だった。
「こいつがあれば、とりあえず移動は楽になる」
とクサナギは嬉しそうだったが、対するイエルは、
「こんな車輪の足りない不完全な乗り物、私は危なくて乗れないわ」
と難色を示した。
「当然、リセにも乗らせるわけにはいかないわよ」
「え〜、なんで。私乗ってみたいよ、この世界のキャッジみたいなものなんでしょ」
キャッジというのは、二人の住んでいた世界にいる馬のような家畜のことだ。
「おっ、リセは興味ありか。教えてやるから、後でちょっと乗ってみろよ。いいか、ここがアクセルで……」
嬉々としてリセにバイクの乗り方を教え始めたクサナギに呆れたようにため息を吐き、イエルは腕を組んでひとり離れてその様子を見ていた。
ふと、気配を感じてイエルが振り返ると、ガレージの入口に人影が立っている。
ガレージの中からだと逆光で見えづらいが、イエルよりも背格好は小さく、シルエットの体格からして大きいサイズのパーカーのフードを被った少女のようだった。
〈続く〉