「あの、どうかされました? あ、もしかしてクサナギの知り合い……」
「……クサナギ」
イエルが話しかけながら近づくと、ボソリと一言繰り返す。その違和感に、ビタリとイエルの足が止まる。
瞬時に相手に敵意が生じるのを感じた。イエルは後ろ足にそのまま下がり、バイクに夢中な二人に「ちょっと、二人とも」と声をかけ注意を引いた。
イエルの声に込められた剣呑さに気付いたクサナギとリセがそちらに顔を向けると、人影が両腕を広げながら一歩、ガレージの中へと踏み込んでくるところだった。
濃いブルーのオーバーサイズのパーカーに身を包んだ少女。顔はフードに隠れて見えづらいが、黒髪が覗いている。
「誰だ!」
クサナギの呼びかけにも反応しない。
入口から二歩ほど入ったところで少女が立ち止まったかと思うと、リセがはっと何かに気付いた。
「魔力!? 危ない、お姉ちゃん!」
少女の両手が体の前で組み合わされる。「〈
「
驚愕するイエル。後退りながらも、懐から一枚の札を出し、まっすぐ前に突き出した。
「いけっ!」
パーカーの少女が組んだ両手を開くと、その間から墨が広がるように影が飛び出し、四足の動物の形を成した。
鋭い牙と爪を見せるその影が、勢いよくイエルに飛びかかる。
「フッ!」
あわや飛びつかれる、というところでイエルが札に力を込め、イエルと獣の影の間に見えない障壁が作り出された。
ガキィン!!
「くっ……!」
「ちっ!」
イエルの陣魔法による壁に跳ね返された猛獣は、空中で身体を翻すと少女の足元に音もなく着地した。
「お姉ちゃん、どいて!」
その隙を逃さず、リセが姉の横から前へ出る。その手にはすでに大量の魔力が練られている。
「行くよっ!!」
リセが開いた両手を体の前でくっつけると、親指と人差し指の間に固まっていた魔力の塊が手のひらの周りで四つに分裂し、それぞれの球状の塊から細い柱上のレーザーが発射された。
「っ!!」
パーカーの少女が反応し、咄嗟に影の獣と共に後ろに飛び
影の獣を狙ったレーザーの一つが、ガレージ入口の地面に当たり、ジュウウ、と音を立ててコンクリートを焼いた。黒く焦げた後が残る。
「おい、無茶すんなって!」
「いいから! 今のうちに外へ出て下さい!!」
「行くわよ、クサナギ!」
イエルに引っ張られてクサナギは姉妹とともに外に出る。
そこには、ゆらりと立ち上がる少女がいた。その傍らには、変わらず漆黒の獣の姿もある。
「なんだよ、あの犬は」
「あれは身体に飼う獣に魔力を与えることで具現化させ、使役する魔術の一種よ。召影士なんて正直、書物の中だけの存在だと思ってたけど」
イエルが油断なく少女を睨みながら、そう説明する。少女と獣はゆっくりと間合いを測るように三人との距離を保ちながら動く。
「来たら私が撃つわ」
リセが一歩前に出て、そう囁く。今は魔力を片手に集中させ、人差し指と中指を揃えた形で構えている。
「行けっ!」
少女がもう一度命じて、獣が即座に駆け出す。「シッ!」リセが指をそちらに向けて、弾丸のような魔力の塊を撃ち出す。獣は跳んで避けるが、弾は連続で何発も撃ち出される。
獣が跳んで避けながら、距離を詰めようと踏み込んでは、リセの弾丸に退けられる。獣とリセの一進一退の攻防が激しく続いた。
ジャラン
その音を聞いたクサナギが、目を奪われていた魔術の戦いから視線を剥がして少女の方へと反応する。
少女は鎖鎌をパーカーの内側から取り出していた。オーバーサイズなパーカーの中で腰にでも差していたのだろう。左手に鎌を、右手に鎖を掴んだ少女は最小限の動作で素早く鎖を振り回し、クサナギへと投げつけた。
鎖の先端に付いた分銅が空を切って襲いかかる。
「くそっ!」
回避する間もなく、分銅はクサナギに命中した。しかし、甲高い金属音を響かせてその分銅を受け止めたのは、クサナギがガレージを出るときに咄嗟に手に掴んでいた黒いスキレットだった。小さなフライパンの様な形状をした、キャンプでの調理器具だ。
分厚い鉄で出来た頑丈なスキレットは、分銅の
「ちっ!
「ってえ! 手ぇ痺れるっての!」
わめくクサナギ。
少女は跳ね返ってきた分銅の鎖を掴み取ると、そのまま今度は地面を蹴ってクサナギに肉薄してきた。
「くらえぇっ!!」
鎌をクサナギの首めがけ、飛び込みながら振るう。
「クサナギ!!」
イエルの悲鳴。しかし、クサナギは少女の刃筋を軽々と見極めると、
「ふんっ」
再び片手に持ったスキレットで弾いた。
「っ!!」
少女の目が見開かれる。
驚きに動きが鈍くなったその一瞬を捉えて、クサナギの体が動いた。
「フッ、シッ!」
軽やかな足使いとともに、スキレットを構え、まるでナイフかのように突きを繰り出す。
短い息の漏れを伴って、少女が避けられるギリギリをスキレットの黒い鉄の表面が空を切って襲う。
思いもよらず防戦一方になった少女は仕切り直そうとバックステップで退こうとする。
「離さないぜ?」
クサナギのフットワークがそれを逃がさない。ぴたりと間合いを保ちながら、構えたスキレットの狙いを定める。
「く……っ!!」
苦し紛れに少女が振るった鎌。その刃をスキレットの裏面で受け流しながらクサナギは、
「甘い太刀筋だぜ」
少女の手首を捉えた。
「やめ……っ!」
焦って逃げようとするが、その時にはクサナギの腕が既に懐に入り込んでいて、一瞬のうちに少女は手に掴んでいた鎌を取り上げられていた。
「っ……このっ!」
反対の手に持っていた鎖を振って分銅をクサナギに叩きつけようとするが、それも易々《やすやす》と受け止められる。先ほどのように距離も無ければ、十分に振り回して遠心力を使うことも出来ていない鎖は、スキレットを手放したクサナギの手がつかみ取る。
そのまま鎖鎌そのものを奪うと、少女の腕に鎖を巻き付け、背後に回り込んで首筋に鎌を添えた。
「ここまでだな、お嬢ちゃん。鎖鎌ってのは、こう使うんだぜ」
「っ、離せ……っ!!」
暴れる少女。しかしクサナギの拘束はびくとも緩まない。反対に自ら鎌の刃で皮膚を切ってしまいそうになる。
「危ないからじっとしな。ほら、大人しくしろって」
「うるさい……っ!!」
背後のクサナギを少女が睨んだかと思うと、鎖に捕らわれていない方の手を口元に持って行き、指笛を鳴らした。
ハッとするクサナギ。振り返ると、リセと戦っていた黒い獣が、少女の指笛に反応して向かう先を変える所だった。
「あっ! クサナギさん、危ない!!」
リセが叫ぶ。
「ちっ!!」
咄嗟に鎖鎌を放り出し、背後へ飛び退るクサナギ。
間一髪、クサナギへ襲い掛かった獣をギリギリで避けて地面に転がった。
「くそっ! 無茶しやがる!」
そのまま勢いで立ち上がるクサナギ。
少女は腕に巻きつけられた鎖を解くと、距離を取って構え直す。
そのとき、レンタルガレージのある一角の前を、一台のトラックが通り過ぎた。
気が付けば太陽が完全に昇っており、少しずつ町が朝の喧噪へと起き出していた。
「……くそっ」
パーカーの少女は小声で毒づくと、鎖鎌を手に持ったまましゃがみ、黒い獣に顔を近づけたかと思うと、
「ずずずずずっ!」
音を立てて獣を吸い込んだ。
「なっ!?」
クサナギは驚いて思わず声を上げる。
少女が吸い込んだ獣は、口元から再び刺青のような肌の模様となり、首筋へと流れてパーカーの中に消えていった。
「次は殺す」
刺すような目でクサナギを睨み、少女はその場から消えた。ガレージの影に駆け込んだかと思うと、次の瞬間には真っ黒で巨大なカラスがその影から空へと飛び立った。その背中に少女のパーカーの、濃いブルーの影が小さくのぞいていた。
〈続く〉