━━━ガシッ
右手を引っ込めた瞬間、急に掴まれた手首。予想外の弟の行動に、驚きのあまり硬直してしまった。
普段、裏稼業のシゴトで肉体労働している相手。条件反射が野生の獣並の速さで、一瞬自分と同じ屋根の下で一緒に過ごしてきたのか困惑してしまう。
青黒く血管が浮き上がった手の甲。若干ライトベージュ色の健康的な肌に、余分な脂肪がついていない筋肉質でガッチリしている、嵐の手。
ゴツゴツとした指の腹には所々タコができている為か、俺のピンクライトの色白肌の細腕に食い込んでくる。力が強いのか、その部分だけ徐々に青紫に変わっていく。
まるで、逃がさないと言わんばかりに。
(どういうつもりだ…………!?コイツ。今、婚儀中だぞ!?)
今でも掴まれている嵐と真反対の細身の手首を、精一杯振り払おうとしてもビクともしない状況。
どうしたら良いか、分からず終いだ。
「おい、そろそろいい加減にしろ!今から三々九度の流れなんだぞッ!!これから、巴と夫婦の誓いの盃をするから。早く席へ戻れ」
嵐にしか聞こえない小声で、憤怒を交えた声色を伝える。
それでも、無表情のポンコツ。
(相変わらず、何を考えているのか分からない……)
━━━━ぐいッ
突然、視界が変わった。強い引力によって。
それは、前方へ倒れこむように引かれて。一瞬、景色が落ちたようにガクっと、変わる。
同時に、サンダルウッド調のスパイシーな香りが徐々に濃くなっていく。鼻腔を掠める度に湧いてくる、昨夜の情事。
逃げ出したいのに……、
抵抗したいのに………、
強引に引っ張られた影響で足元が崩れてしまう。不可抗力にて身体は嵐の胸元へダイブしてしまう寸前だった。
視界は相手の礼服色で一色に広がっていき、ぽすん、と小さな音と共に包まれてしまった。
捕獲されてしまった、というべきか。
こちらへ侵食するように、伝わってくる嵐の体温。そして、相手の香りが全身に包まれていく。
心地良い、その一言だった。
何故か安堵している自分がいた。あんなに抵抗していたのにも関わらずだ。
服の上からでも分かる、鍛えられた逞しい肉体。その中で、無意識に目を閉じてしまいそうになってしまう。
そんな中、いつまでも微動だにしない俺に、周りがザワつき出す。主に強く反応したのが妻の親族側からだった。
『おい……、どうしたんだ?』
『アレは、当主の弟だよな?なんで、席に戻らない??』
『それより……、現当主の様子おかしく……ないか?いつまで三男の胸の中で寄りかかってんだ?』
「か、海里さん?……どう、されたの??」
あまりにも様子がおかしいことに流石に気がついた、妻の巴さん。
焦燥感に駆られたのか。隣から手を伸ばしつつ、心配そうにこちらの左腕の裾へ手を当ててきた。
その健気な行動に、これ以上相手に心配させられないと思った俺。
蹲っている顔を上げ、元の位置に戻ろうと身体ごと彼女の方へ向けながら言葉にする。
「す、すまない……。今、そっちへ戻る。嵐が、万年筆を落としたようで拾って返したところなん━━━……」