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第6話 どこまでも追い駆けてくる


 本当に、ひらすらに、麗奈という存在が腹立たしく鬱陶しい。


 だが母親はいまだに麗奈の母とつながりがあるし、またブロックなんてしたら理沙のほうが悪者にされ親から文句を言われることになる。とにかく穏便に距離を取るしか理沙にはできることがなかった。

 だから就職したら家を出ようと決めていた。

 実家にいる限り麗奈との縁は切れそうにないし、交友関係にいつまでも口を出してくる親のことも鬱陶しく思っていたから、企業から内定をもらっても家族には内緒にしておいて、母親には住所も教えずに勝手に引っ越した。

 母親は非常識だとギャンギャン騒いでいたが、そうまでしてでも理沙は麗奈との縁を切りたかった。実際、就職活動をしているあいだ、麗奈から一緒に会社訪問をしようとか同じ会社を受けようとかさんざん付きまとわれた。

 サークルを引っ掻き回した麗奈の噂は構内で広まっていて、特に女子は麗奈を警戒して避けていたので、女子と就活の情報交換ができなくて困っていたようだが、その件に関しても理沙が意地悪をして教えてくれないと親に泣きついたらしく、一度母から注意を受けたりしたから、住所も教えず引っ越すという強硬手段に出ざるを得なかった。



 そうして理沙はようやく麗奈に振り回されない平穏な生活を手に入れた。

 仕事は最初覚えることが多くて毎日が目まぐるしく、指示されたことをなんとかこなすだけの日々だったから、麗奈のことを思い出す暇もなかった。

 こちらが番号を変更してしまえば彼女からの連絡は完全にこなくなった。

 実家は父親にだけ電話番号を教え、絶対に母親には教えるなと念を押したので、連絡事項は父から伝えてもらっている。

 そのまま一年が過ぎて、その頃には理沙も会社に馴染んで充実した日々を送っていた。

 恋愛に関しては、これまでいい思い出がないせいで就職してからも気持ちは後ろ向きのままだった。同期のなかでは恋愛に発展したり合コンを開いたりしている話をよく聞かされたけれど、理沙だけは一歩引いた付き合いを続けていた。

 合コンに誘われても絶対断るせいで、同期の人たちから何か理由があるのかと訊かれるようになり、一度同期だけの飲み会で恋愛にトラウマがあることを話して聞かせた。友達に彼氏を盗られたというだけで皆納得してくれたが、一人だけ食い下がってくる男がいた。


 それが後に付き合うことになる小林幸生だった。


「じゃあ百田はもう恋愛しないの? そんなの勿体なさすぎるよ。百田、美人なのにさー」

「美人とか、ナイナイ。昔っから男友達と同じ扱いされてきたくらいだし。もう恋愛とかわかんなくなっちゃったなあ」

「なんだそれ。百田の周りは見る目がない男ばっかりだったんだな」


 にこりと優しく微笑む彼。

 小林幸生は同期たちにも怒ったところが想像できないと評されるくらい、優しい男だった。

 聞き上手で、それまであまり人に言えずにいた過去のトラウマもついつい喋ってしまうほどに人の気持ちに寄り添うのが上手かった。


 そんな男ばっかじゃないぞと言ってくれる彼の優しさが嬉しかった。

 男性を信じられないようになっていたが、信じさせてくれるような人と出会えたらいいなと心のどこかで願っていた。

 この先一生独り身で生きていく覚悟はできていない。積極的になれない自分を変えたいという思いと裏切られた時の絶望がせめぎ合っている。

 そんな理沙の気持ちを察したのか、その同期の男性はあの飲み会以来ちょくちょく食事に誘ってくれるようになり、距離が縮まっていった。

 自分に好意を抱いてくれているらしいというのは態度を見ていればなんとなくわかったけれど、やはり友人以上の関係になることへの不安があり、幸生からのアプローチを気づかないふりをしてしまっていた。

 けれどある時、彼のほうから付き合ってほしいとはっきり告げられた。


「理沙が付き合うことに不安を覚えているなら、その不安を取り除いていきたいって思っている。俺に問題があれば直していくし、こういうところがダメとかあったら頑張って直す。俺、理沙に付き合ってもいいって思ってもらえるように頑張るから」


 誠実でまっすぐな告白に、恋愛に消極的になっていた理沙の心が動いた。

 ――この人なら信じられるかもしれない。

 そう思えたから、過去に起きた出来事を包み隠さず彼に話した。今は疎遠になっている麗奈のことも全て説明して、恋人の心変わりがトラウマになっていると告げると、彼は自分のことのように怒ってくれた。


「その幼馴染、ひどい奴だな。理沙を傷つけて楽しんでいるんだろ。俺はそういう腹黒い人間、大っ嫌いだから、もしその子に会ったとしても元カレたちみたいなことにはならないって断言できる」

「もう麗奈とは縁が切れているし、会うことはないと思うけど……ありがと。幸生なら大丈夫だって信じてる」


 彼はずっと理沙に対して誠実だった。

 アプローチしてきても無理に距離を詰めようとはしてこなかったし、恋愛に消極的なことに対して批判がましいことも口にしない。

 相手の気持ちを大事にしてくれるこの人なら、きっと大丈夫だと思わせてくれた。


 今度こそ、幸せな恋愛ができると信じていた。

 それが……。


「わぁ、理沙ちゃんこの会社だったんだぁ~」

「れ、麗奈……? なんでうちの会社にいるのよ」


 ある日、オフィスの廊下でまさかの麗奈に出くわした。

 どうしてここに彼女がいるのかわからず、もしや自分を探してここに来たのかと思ったが、彼女は業者の札を下げていた。


「私、コーヒーサービスの営業なんだぁ。今度からこの会社の担当になったから、挨拶に来たの。でもまさか理沙ちゃんに会えるなんてすごい偶然! 嬉しいな、これからよろしくね」


 オフィスのカフェテリアにあるコーヒーマシンやウォーターサーバーをレンタルしている会社が麗奈の就職先だったらしい。

 月に二回ほど物品の補充とメンテナンスに来る営業に彼女が就いたと聞いて、こんな最低な偶然があるのかと己の不運を呪った。


(まさか、私がいるところを狙って来たわけじゃないよね?)


 本当にそうなら、どんなホラーよりも恐ろしい。

 ぞわっと鳥肌が立つが、さすがに理沙を探し当てて会社に出入りできる仕事に就くなんてありえないと首を振る。


 だが、二度と会いたくなかった麗奈にまた居場所を知られてしまった。


 絶望で足元が崩れていくような感覚がした。




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