見た目と愛想が抜群に良い麗奈は、これ以上ないくらい有能な営業だった。
サービス会社の制服も可愛らしく、彼女によく似合っている。
定期メンテナンス以外にも麗奈が来る機会は多く、新商品の試飲会や季節商品の紹介、おやつのサブスクなどの企画提案などを麗奈はこちらの昼休みの時間を使っておこなっていた。
以前から試飲会などを昼休みに実施していたが、営業が彼女に代わってから目に見えて人が集まるようになっている。
そのほとんどが男性社員であることに女子社員たちは白い眼を向けていたが、理沙からするとこういう光景は過去に何度も見てきた。
「私、理沙ちゃんとは子供のころからの友達で、一番の親友なんですよお」
「へえ、そうなんだ。二人の子どもの頃のエピソードとか聞きたいな」
ある時、理沙が休憩のためにカフェテリアに向かうと、ちょうど試飲会が行われた日だったらしくそこには麗奈の姿があった。そしてその隣には、彼氏の幸生がいて楽しそうに談笑している光景を見てしまった。
彼女が営業に来た時点で、幸生には事情を話しておいた。
そのうえで、あの子には近づかないでほしいと伝えていた。麗奈には幸生が理沙の彼氏だと気取られないように気を付けて、退社後のデートも個室のある店で待ち合わせにする徹底ぶりに、幸生は警戒心凄すぎと笑いながらも理沙の気持ちを優先してそれに付き合ってくれていた。
細心の注意を払って幸生との関係を知られないようにしていたというのに、こんな風に彼女に近づいて笑っているなんて理沙に対する裏切りのように感じた。
麗奈が会社に現れた時点で嫌な予感はしていたのだ。
本人は偶然だと言っていたが、これまで彼女がしてきたことを考えると、理沙がいると分かって嫌がらせのためにここの担当を願い出たのではないかと邪推してしまう。
冷静でいられる自信がなかったのでカフェテリアでは幸生に声をかけなかったが、話があると連絡して、退社後に会うことにした。
「なんであの子と話していたの? 私言ったよね? 麗奈とは色々あったから、近づいてほしくないって」
「コーヒーの試飲をもらっただけだよ。てかさ、あの子は別に理沙のこと悪く言ったりしてなかったぞ。なんで理沙はそんなにあの子と俺が話すのを嫌がるんだよ。何か聞かれたらまずいことでもあるのか?」
「そんなんじゃないってば。だから説明したじゃない。あの子が私にしてきたこと」
「分かるけどさ、それは理沙から見た話しだし、あの子にも言い分があるんじゃないか? 一方的に悪く言うのはよくないと思うけどな」
俺、悪口言う女子って好きじゃないとたしなめられ、そういうことじゃないとは思ったがそれ以上何も言えなくなってしまった。
だからせめて、連絡先を交換したり二人で会ったり絶対しないでくれと懇願して、幸生は心配しすぎだと言いながらも了承してくれた。
幸生のことは同期で友人としての期間もそれなりにあってお互い人となりを知っていたから、昔の彼氏のようにコロッと麗奈に騙されたりしないと信じていた。
麗奈は事実を捻じ曲げて被害者ぶるのが上手い。
涙と笑顔を上手いこと織り交ぜてか弱げに縋られたら、大抵の男性は彼女の言葉を信じてしまう。だが冷静に事実を突き詰めていけばぼろが出るくらいの拙い内容である。
社会人になり、物事の分別もつくようになった大人の男性が麗奈の嘘に騙されるとは思えなかった。
だから信じていた。
だから簡単に心変わりするなんて考えてもいなかった。
だから……。
「麗奈は何も悪くないんだ。俺が彼女を好きになってしまって、どうしても諦められなくて無理に言い寄っただけなんだ。だから彼女を責めないでくれ。悪いのは全部俺だから」
こんなセリフを、彼の口からきくことになるとは思っていなかった。
どこかで聞いたような言い草に既視感を覚える。
麗奈に関わると同じ思考に陥る呪いが存在するのかと疑いたくなる。
ブルータスお前もか……と使い古されたセリフが脳内に浮かんできて、思わず変な笑いが漏れそうになるくらい、この状況にうんざりしていた。
呆れた。本当に呆れた。
きっと彼の中ではもう理沙は麗奈をいじめて悪口を言いふらし彼女の名誉を貶める悪人に分類されているのだろう。姫を守る騎士よろしく、キリっとした顔で麗奈の肩を抱く彼を見て、一瞬にして愛も情も枯れ果てた。
彼らはまだ理沙に対し何かを言いたいようだったが、わざわざ二人の愛を燃え上がらせる燃料になってやる義理はない。
死ね、くらいは言ってもよかったかもしれない。でもそんなのは麗奈にネタを提供して喜ばせるだけだと分かっているので、努めて冷静にその場を後にした。
それが理沙に残された最後の意地だった。
***
「って、バッカじゃないの⁉ なぁ~にが、彼女の気持ちもわかってやれよだよ! 略奪大好き女の気持なんか知りたくもないわ! ば――――か!」
「理沙、声でかい。さすがに飲みすぎだよ」
萌絵に愚痴を聞いてもらいながらグラスを煽る。
すでに管を巻いている理沙と違い、酒豪の萌絵は終始冷静だ。
彼女は高校からの友人で、当時から麗奈のことを相談していたから、三度目となる彼氏略奪話も親身になって聞いてくれている。
大学は別になったが、たまたま同じビルにある会社に就職できたので社会人になってから毎週のように飲みに行くようになっていた。今、一番付き合いが深い友人だ。
会社の近くの大衆居酒屋は二人のお気に入りで、客も多くにぎやかな店内は愚痴吐きにはもってこいだった。
「あのコーヒーサービスの子でしょ? うちの会社にも来てるから、まー分かるよ。あたしも最初試飲会に行ったけど、男に対する態度と差がありすぎて女子社員みんな引いてたもん。今じゃ試飲会しても男しか集まらないもんね。地下アイドルの握手会みたいな雰囲気になってて気持ち悪いったらないわ」
ぶっと飲みかけのカシスオレンジを噴き出す。地下アイドルというのがあまりにも言いえて妙すぎてもうそれにしか見えなくなりそうだ。行ったことはないけど。
「まさか麗奈に見つかっちゃうとは思わなかったわ……あの子と離れたくて親にも引っ越し先教えないくらい徹底したのに、ホント最悪。昔っから麗奈には嫌な思いばっかりさせられてきたから、もう二度と会いたくなかったのに」
「あー、親同士が割と仲いいんだっけ? ていうか多分さ、会社に現れたのも偶然じゃないでしょ。誰かに理沙の就職先聞いて狙って仕事入れたに違いないわよ。ストーカーされてんじゃない?」
怖いこと言わないでと笑い飛ばそうとしたが、真実味がありすぎて否定できなかった。
思い返してみれば、高校も同じところに行きたいと何度も言われていた。だから理沙は勉強を頑張って麗奈より上のランクの公立校になんとか入学できたから別れられたが、麗奈は同じ沿線の私立校を選択していたので結局行動範囲がかぶってしまって彼女に見つかってしまったわけだ。
大学も理沙は親から国立のみ、一人暮らし不可の条件を出されていたから選択肢はほぼひとつしかなかった。理沙の家庭事情なら私立大でも行けたから選択肢は多いはずだったのに、同じところに来ているのはさすがに偶然とは思っていない。
「あの子、女友達いないんだよね。周りが全部自分の希望通りに動いてくれる人間じゃないと我慢できないみたいで、女子とはすぐトラブルになってた。私は悪い意味で慣れちゃってたからなあ……唯一の女友達ってことで付きまとわれていたのかな」
「にしては理沙そっちのけでそっこー彼氏奪いに行ってない? ただ理沙が気に食わなくて嫌がらせしたいだけかもよ。なんか逆恨みされているのかもしれないし」
「うえ~……逆恨みかあ~じゃあこれからもずっと嫌がらせされるのかなあ。そしたら私、一生彼氏なんか作れないじゃん」
いっそ麗奈が結婚でもしてくれたら安心できるのだが、これまでのパターンだと幸生とは数か月以内に破局するはずだ。
理沙から奪ったくせに、理沙に悪いからとか罪悪感がとか言い出してあっさり別れている。
彼氏が好きだったんじゃないの? 何がしたかったの??? と不思議でならなかったが、理沙への嫌がらせだと思えばその意味不明な行動にも納得がいく。
「また彼氏ができても、その略奪ちゃんがまた狙いに来るのかと思うと誰とも付き合えなくなるよね」
「えっ、こわ。やだもう一生粘着されるかもとか、絶望しかないんだけど」
麗奈のしたことに対して、何かペナルティを課すのは不可能だろう。
彼氏の心変わりが問題なわけで、麗奈を責めたらむしろこちらが悪者にされてしまう。共通の友達がいるわけでもないし、彼女の痛手になるような材料が何もないのだ。だからこそ、麗奈は理沙に対してやりたい放題しているのかもしれない。
最悪……とつぶやいてうなだれていると、萌絵も深刻そうな顔でビールをちびちびと飲む。
そして少しの沈黙の後、パッと顔をあげてこんな提案をしてきた。
「ねえ、じゃあさ。カモフラ用の偽装彼氏を作ってみたら?」