今日の結論としては、ひとまず普通に恋人としてデートを重ねて、麗奈のアクションを待とうという話でまとまった。
じゃあ今度の休みはどこに行こうかなどと相談しつつ食事を楽しむ。
料理もつまみ系からメイン料理までどれも美味しくて、その話でもまた盛り上がってしまい、当初の目的を忘れてしまうほど楽しい時間を過ごした。
圭司は理沙の乗る路線の改札まで送ると申し出てくれたため、ほろ酔いで二人並んで繁華街をゆっくりと歩く。
「お酒もご飯も美味しかったし、今日はすっごく楽しかった。ありがとね、圭司」
「いいえー。俺こそ役得だしありがとうだわ。俺に連絡してくれた萌絵に感謝だよ」
圭司とは高校の時から友人だが、個人的に連絡して会うほど付き合いが深くなかったから、二人きりで遊ぶ機会もなかった。彼の周囲には近づきたい女子がたくさんいて、恋愛のぐちゃぐちゃした揉め事に巻き込まれたくなくて意識的に二人になるのを避けていたような気がする。
けれどこんなに楽しいならもっと早く仲良くなっておけばよかったとちょっと後悔すら覚える。
だらだらと歩いているうちにすぐ駅についてしまい、多少名残惜しく思いながら圭司を仰ぎ見て再度お礼を言いかけた時、すぐそばにあった彼の顔がすっと近づいてきた。
何? と問う間もなく彼の唇が口の端に一瞬触れて、すぐに離れていった。キスされた! と気づいてカッと顔が赤くなる。
「ちょ……っと! それはダメでしょ」
「口にしてないからいいじゃん。恋人なんだから別れ際にキスするもんでしょ」
じゃーねーと何事もなかったかのように手を振って圭司はもと来た道を戻っていく。理沙が頼んだことなのに、圭司に主導権を握られているようで少し悔しい気もする。
なんだか複雑な気分を抱えながら、彼の背中が見えなくなったところで改札を抜けちょうど来た電車に飛び乗る。ほどほどに混んだ車内で、つり革につかまりながら窓から見える景色をぼんやりと眺めていると、先ほどのキスされた瞬間が頭に浮かんでしまい、記憶を振り払うようにぶんぶんと頭を振る。
隣に立つサラリーマンがぎょっとして理沙を二度見していた。
***
翌日、いつも通り出社して忙しく業務をこなしていると、別部署へ向かう途中で誰かに呼び止められる。
振り返ると、そこには元カレの幸生がいた。最も見たくないヤツの顔を見てしまい、一気に気分が急降下する。
「……何?」
「あ、いやちょうど理沙が通りかかったから……」
理沙、と呼ばれて眉をしかめる。
別れを告げた時はわざとらしく苗字で呼んだくせに、こうしてなれなれしく声をかけてきたことにも腹が立つ。
「用がないなら呼び止めないでよ。別れた彼女なんかに」
さっと踵を返してその場から離れようとしたが、幸生が再び呼び止めてくる。
「いや、用ってか、昨日お前を駅で見かけてさ……あのさ、お前もう新しい彼氏できたの? なんかすげえベタベタしてたからびっくりしたよ。理沙ってそういうの苦手なタイプだと思ってたから」
どうやら昨日圭司と一緒にいたところを幸生に見られていたらしい。会社の人に見られるように圭司がわざと最寄り駅にしたのだが、噂が回るのを待つまでもなく幸生に目撃されたようだ。計画していたことなのだから喜ぶべきなのだろうが、その件でわざわざ直接接触して来られると嫌な気分になる。
「だったら何? もう
わざとらしく苗字で呼んでやると、幸生もむっとした表情になった。
「でも俺と別れてまだ二週間なのに、ちょっと早すぎないか? 正直、別れる前からなのかなって疑われてもしょうがない早さだと思うんだよね」
「なにそれ自己紹介? 自分が二股してたからって皆が自分と同じことすると思わないでね。もう話しかけないで」
今度こそ彼を振り切ってその場を後にした。
ちゃんと言い返せた自分を内心でほめたたえる。
(言ってやった! 言い返せた! 私えらい!)
もうあなたに興味ないわ! という態度でクールに対応できたはずだ。心臓はバクバクして今更手が震えてきたが、堂々と話せた気がする。そして落ち着いてくると、言われた言葉を思い出して腹が立ってきた。
「……早すぎないかとか、どの口が言ってんのよ」
二股して浮気相手に乗り換えた男にそんなことを言う権利があると思っているのか。今更ながらはらわたが煮えくり返ってくる。突然色々ありすぎて気持ちが追い付いていなかったけど、やっぱり自分は思ったより傷ついていたらしい。
彼氏に二股されていたことも、いきなり呼び出されて振られたことも、忠告したのにまんまと麗奈にひっかかったことも全て悔しくて悲しくて、自分が惨めで仕方がなかった。
「ていうか、彼氏ができたのかって訊きにくる神経もどうかしているわ」
捨ててやった女がすぐ次に彼氏を作ったから、自尊心が傷つけられたのだろうか。それにしても、以前の幸生はこんな非常識で自己中心的な振る舞いをしたことがなかったのに、麗奈と会ってから彼は変わってしまった。いや、本性があらわになったのかもしれないが、少なくとも最初からあんな人ではなかったはずだ。
人の立場になって物事を考えられる優しい人だと思っていた。彼と過ごした幸せな日々が全部嘘だったとは思いたくない。
何か動きがあったらすぐ連絡してと圭司から言われていたため、昼休みにさっそく幸生に絡まれたことを彼にメッセージで知らせた。
すぐにピコン、とスマホが鳴る。
『大丈夫か? 嫌な思いしただろ。ソイツが絡んできたのは、麗奈って女が何か吹き込んだんじゃないかな』
こんなに早く彼氏ができるなんておかしい、きっと二股していたんだ、幸生は裏切られていたんだよ、などと言って幸生に理沙を問いただすよう誘導した可能性もある……と圭司からのメッセージが続く。
そう言われてみれば、あり得る話だ。
幸生の興味は麗奈にしかないはずだから、理沙に彼氏ができたかどうかなんてどうでもいいはずだ。わざわざ聞きにきたのは、麗奈の指示だと考えるほうが自然だ。
圭司の慧眼に背筋がぶるりと震える。
幸生と麗奈と一緒にいる時に理沙たちを目撃したのだろうか。
いかにも恋人みたいな理沙たちを見て、麗奈が速攻で動き始めたのかもしれない。
過去、麗奈に彼氏を盗られた時はしばらく恋愛する気にもなれなくて数年は彼氏がいない状態が続いたから、今回のようにすぐ次の人ができたというのは麗奈にとっても初めてのパターンだろう。
もし、本当にわざと狙って理沙の彼氏を奪いに来ているのなら、この場合麗奈はいつ行動に移るのか。
麗奈が幸生と付き合い始めて、恐らくせいぜい数週間。
過去の彼氏も数か月ほどで別れてしまっているので、幸生が捨てられる日もそう遠くないのかもしれない。
まだ圭司がどこ誰だか分からない状態だろうから、麗奈から彼に直接の接触はない。
そうなるとまた理沙とデートをしている時を狙って声をかけてくるか、一人になった瞬間を狙って近づいてくるかのどちらかと考えられる。
メッセージのやりとりでそのように話し合い、その場合にどう対処するかを圭司と考えをまとめていた。