麗奈からのアプローチか何らかの動きがあるとしたら、直接圭司に接触してくるだろうと想定していた理沙に、おもわぬかたちで彼女からの攻撃を受けることになる。
「理沙、なんかアンタの噂が出回ってるけど、大丈夫?」
「え、なにそれ」
同期で同じ部署の船橋菫が仕事中にこそっと話しかけてきた。
「つっても噂の出所は小林だろって感じの内容だけど。ひょっとして別れ話で揉めてるの?」
「いや……これ以上ないくらい、すっぱり別れて終わってるけど……」
幸生と理沙が別れた話は同期の間でも知られていて、彼女には別れた経緯も簡単に話してあった。
別れてから数週間が経っていたが、今更になって幸生が『実は別れた原因は理沙にある』と触れ回っていると菫が教えてくれた。
なんだかこれも以前と同じパターンだな、と内心呆れながら彼女の話を聞く。
「小林がコーヒーサービスの美人ちゃんに乗り換えたんだよね? それなのにさあ、理沙が先に浮気していたんだとかって今更言い触らしているみたいよ。てか、そんなこと会社で言って回るのも変だし、誰もまともに聞いてないけどね」
ここが学校なら、別れた原因がどっちにあるかとか皆も興味を持って聞いてくれたかもしれない。けれど仕事をするべき場所でそんなことを言いふらしていたら非常識に思われるのは彼のほうだ。
「ああ……この間、私に新しい彼氏ができたって誤解して絡んできたんだよね。だから先に浮気したのは私ってことにしようと思い立ったんじゃないかなあ。なんにせよ、最低だけど」
「なにそれ詳しく」
「高校の時の友達と歩いているとこを見たらしくて、別れてまだ二週間なのにもう新しい彼氏とは早すぎる~とか、別れる前から浮気してたんじゃないかとかネチネチ言いがかりをつけてきたの」
「うっわ、二股して他の女に乗り換えた奴がそれ言う? 俺を想って泣き暮らしてるはず! とか思ってたのかな。こっわ。きっも」
「いやー私を悪者にできるいいネタを思いついちゃったってだけでしょ。会社で立場悪くなったから、どうにかしたくて必死なんじゃない?」
「なるほどねえ。分かった、他の人にもそれ言っとくわ。それよりなになに~? いい感じの人いるの?」
「いい感じというか、その友達と最近よく会うようになったんだ。その人に彼氏と別れた話をしたら……えっと、告白? されて? でもまだ返事は保留しているの。別れたばっかりでまだ気持ちが切り替えられなくて」
会社の人に訊かれたらそう答えるようにと圭司と決めていたセリフを言うと、菫はぱあぁと顔を輝かせた。
「なぁんだ、そういうことか。良かった、小林が最低な別れ方したから、理沙が落ち込んでいるんじゃないかって心配していたんだ。でも今の様子見ていると、そこまで引きずってないっぽいね」
良かった良かったと笑顔を向けられ、思わず涙ぐみそうになる。心配しているふりで面白がって話を聞き出そうとする人たちが多い中、彼女は本当に理沙に心を寄せてくれていると感じる。
正直、幸生が何かごちゃごちゃ言いふらしているのは腹立たしいが、他の同期も相手にしていないというのが救いだ。抗議してやろうかとも思ったが、わざわざ話しかけに行くことのほうが嫌だと思った理沙は、親しい同期にだけ事情を説明してそれで終わりにした。
***
「それでさあ、元カレを除いた同期のメンバーでまた同期会しよっかって話になって。でもそんなことするとまた色々言ってきそうで面倒なんだよね」
『多分、今はとことん理沙を悪者にする思考になっているだろうから、何をしてもしなくても悪く言ってくるよ。理沙が直接やりあう必要はないけど、一応周囲に根回しだけはしといたほうがいいな』
電話から聞こえる圭司の声にうんうんと頷く。
圭司との電話はもう日課になっていて、今日もお風呂を出てリラックスした状態で電話をしていた。
理沙は電話でだらだら話すのが苦手だと自分で思っていたけれど、圭司と話すのは意外なほど楽しくて長く話していても負担に感じない。幸生のせいでイライラしていたが、こうして圭司に話して聞いてもらえるとすっきりして気持ちが落ち着いた。
『まだ新カレの素性がつかめないから、例の幼馴染ができることと言えば元カレを使って攻撃することだけなんだろ』
「そうだねえ。相手が誰だか分からないと麗奈も動きようがないもんね。あれから私たちも会っていないから、特定のしようがなくてヤキモキしてるんだろね」
『ごめんな、ちょっとトラブルあって全然時間取れなかったけど、週末は会えるから』
「ありがと、忙しいのにごめんね」
圭司が管理している店舗でトラブルがあったとかで、約束していたが急に会えなくなったことがあった。計画が全然進まず申し訳ないと謝られたが、むしろ忙しい圭司にくだらない役目を引き受けさせてこちらのほうが申し訳ない。
今度は圭司の店ではなく、よく同僚たちが利用しているイタリアンバルに行こうという話になっていた。
金曜の夜であれば誰かしらと出会いそうだから、そこで圭司の情報を流しておくのもいい。
どうやらあれから幸生が理沙の彼氏のことを探っているらしいと同期が忠告してくれたから、もし同僚に会えば必ず情報が彼に回るはずだ。
『じゃあ、金曜日。理沙に会えるのを楽しみにしている』
「あっ、うん。私も……楽しみにしてる」
圭司はまるで本当の恋人のような甘い言葉をさらりと言う。
モテる人は違うな……と理沙は尊敬の念すら覚える。昔から圭司は男女問わずモテていた。その理由は顔がいいだけではない。相手が喜ぶツボを押さえていて、さりげない気遣いが上手いうえに、話をきいてくれるところだと思う。
昔から彼の周りには人が集まっていた。
たくさんの人に求められる圭司の時間を、自分の身勝手な都合で占領していいのだろうか。
お酒の勢いで始まったこの偽装彼氏計画だが、もしも圭司に迷惑がかかるようならさっさと止めるべきだ、とも思う。
でも……。
「そしたら寂しくなるな……」
幸生に振られて麗奈に馬鹿にされてもそれほど落ち込まずにいられたのは、萌絵と、なにより圭司のおかげだった。
偽装彼氏なんてバカバカしい計画に笑って乗ってくれたおかげで笑って過ごせるようになった。もし、この計画を中止して圭司とも会わなくなったらきっと寂しくて落ち込んでしまうだろう。
だから、自分から『止めよう』と言い出せるか自信がなかった。
金曜日、会社近くのカフェで待ち合わせの予定だったが、会社のエントランスを出ると圭司が入り口のところに立っていた。
理沙を見つけるとニコッと笑って右手をひらひらさせている。
「理沙に早く会いたくて待ち伏せしちゃったー♡」
「んっ……、嬉しい。私も早く会いたかった。圭司大好き」
そういえばバカップルごっこをすると言った圭司の言葉を思い出し、恥ずかしいのをこらえてバカップルぽいセリフで返すと、圭司のほうが吹き出してしまった。
「それは不意打ちだわ。もー可愛いなあ理沙は」
「ありがと。圭司も可愛いよ」
「それはちょっと違うかな」