あの時に、もう二度と同じ過ちは繰り返さないと心に誓った。
女子とは告白されたら付き合うけれど、重くなってきたらすぐ別れる。
そういう適当な付き合いをしていれば、特定の女の子が標的になる事態にはならない。
そう思って、特別な子を作らないように気を付けていたのに、彼女たちは理沙と自分が一緒にいる姿を見ただけで何かを感じ取ったようだった。
ここで自分が理沙に近づいて関わり続けたら、過去の二の舞になってしまう。
理沙は派手な女子とは別の意味で目立つ美人だから、周囲の反感を買いやすい。
ふたりが別れた時も明らかに裕太に非がある話だったのに、それでも理沙をよく思っていない一部の女子たちは彼女の悪口を言って笑っていた。
自分が関わったら理沙に迷惑をかけてしまう。
少し距離を詰めるだけでも女子たちは目ざとく気づいて理沙を放っておかないだろう。だったらもうこれ以上近づくことはできない。
「……始まる前に、終わったなあ」
好きだと自覚した次の日に、終わらせることが決まった恋。
そもそも裕太のことですでに十分傷ついている理沙に対して、身勝手に自分の感情を押し付けるなんてできるわけがない。
幸いまだそこまで感情が育っていたわけじゃない。この時に理沙への気持ちは消すと決めた。
それからは距離をとって関わらないようにしていたのに、裕太があのあとも「理沙のせいで別れた」とか「嫌がらせを受けた」などと、今カノと別れた原因が理沙にあると触れ回り始めてしまった。
しかたなく部活仲間で裕太を叱って止めるように諫めたら、そのまま部活を辞めて、圭司とも絶交状態になりそれ以降は無視される始末。
裕太の件で萌絵がお礼を言いにきてくれて、その時に理沙の様子も少し教えてくれたが、彼女は元カレの豹変ぶりに相当落ち込んでしまって、傷心につけこもうとする男子からアプローチされても全て断っているらしい。
それから何度か理沙に言い寄る男もいたようだが、彼女は新しい恋人を作ることはなく、圭司もクラスメイトとしての距離を保ったまま卒業していった。
ずっと理沙のことは心のどっかに引っかかっていたけれど、卒業後はクラス皆で集まる機会を設けても理沙は一度も参加しなかったため、会える機会はなかった。
「理沙は今度も不参加?」
『あー、うん。クラス会みたいなのは気が進まないみたい。裕太のことがトラウマみたいで、思い出したくないんだって』
女側の幹事をよく引き受けてくれた萌絵と電話をしている時に、理沙のことを訊ねてみるがクラスの全員が集まるような場には来たくないと萌絵経由で何度も断られている。
「あー、やっぱ高校のメンバーに会いたくないのか。じゃあしょうがないよな」
『バレー部つながりでは普通に会ったりするけど、クラス会みたいな場だと行きたくないみたいね。まあ理沙とは別で会うから、何か用があれば伝えておくよ』
裕太のことがトラウマになっているのなら、その友人だった圭司の顔も見たくないだろう。
卒業して、いろんなしがらみがなくなった今なら理沙と会えるだろうかと考えていたが、この話を聞いて『ああ、だめだな』と諦める決心がついた。
高校時代の青臭い恋心をいつまでも引きずるほどロマンチストでもない。真面目な恋愛とかはきっと自分には向いていない。
今までもそうしてきたように、条件の合う気楽な相手とだけ付き合っていけばいい。
幸い、実家の両親は結婚や子どものことについて口を出してくるタイプではないため、勉強だけ真面目にやっていればいいと放任してくれていた。
圭司自身、将来やりたいことがはっきりしているから大学で遊び惚けて単位を落とすなんてことはなく、ほどほどに遊んで大学生生活を楽しんでいた。
そんな時、ひさしぶりに連絡をとった流れで萌絵と二人で飲みに行くことになり、ふとしたきっかけで理沙の近況を聞いて驚いた。
「は? また寝取られたってマジ?」
「マジマジ。しかも例の幼馴染が相手だよ。もう確信犯だよね」
萌絵とは大学が別れても定期的に連絡をとって近況報告なんかをしている。なぜか萌絵とは昔から二人きりで会っても付き合っているとか噂にならないため、こうしてよく二人で飲みに行っていた。
お互いの話や高校の友人たちの話などをするだけの健全な飲み会なのだが、理沙が大学でも彼氏を友人に寝取られたと聞かされ、思わずビールを吹きそうになってしまった。
しかもあの裕太と付き合った女だと言って、明らか理沙に対する嫌がらせのためにやっているんだと萌絵は憤っており、圭司の動揺には気づいていない。
「ゲホッ、つーかさ、その幼馴染が悪いのは当然だけど、なんで相手の男もホイホイ乗り換えるのかね? 理沙、男運悪すぎ」
「うーん、まあ見た目が可愛いってのはあるけど、理沙から聞く感じ、巧みに嘘を刷り込んでいく手口とか、詐欺の教本みたいなんだよね。可愛い子に涙ながらに言われたら、嘘だと気づけないんじゃない?」
嘘をつくことにためらいのない人間は一定数存在する。その幼馴染はそれをさらに悪意を追加した最悪な部類だ。
萌絵によると、理沙はその幼馴染から距離を取ろうとしているが、ストーカー並みのしつこさで追いかけてくるらしい。
高校の友人たちとは定期的に忘年会や夏祭りなどで集まる機会があるけれど、そのどれにも理沙は参加していない。彼氏に裏切られたショックもあるが、幼馴染の取り巻き連中に罵倒されたり、入っていたサークルがめちゃくちゃになってしまって、すっかり人間不信に陥っているらしい。
「なんか……もう近づくなってはっきり釘を刺したほうがいいんじゃね? 危なそうなら、俺が立ち会ってもいいしさ」
圭司の親が飲食店をいくつも経営しているため、トラブル対応は奇麗事だけで済まないのを知っている。法律を駆使して相手を追い詰めるやり方だけでなく、違法すれすれの荒事で解決せざるを得ない場合もある。まだ大学生の自分でも親の仕事を手伝ってそれらの事情も知っているから、自分が出張れば厄介な人物を排除することができる。
圭司の提案に萌絵は、一瞬迷ったけれど首を横に振った。
「理沙の親があっちと仲がいいらしいんだよね。あの子の親、結構毒親っぽくて、その幼馴染を着拒した時も叱られて、携帯止める騒ぎになったんだよ。理沙がバイト代で支払ってるけど親が契約者だからさあ。だから今は穏便に距離を取るしかないのよ。でも就職したら家を出るっていうから、何か行動するなら就職後かなあ」
なるほどと納得する。親が敵な状態だから家を出るまではその幼馴染と絶縁するのは難しいのだろう。
「に、してもさあ。圭司は理沙とそこまで仲いいわけじゃなかったじゃん。卒業後は会ってないでしょ? なんで協力してくれるの? アンタ恋愛沙汰の面倒ごと大嫌いじゃん」
「い、いや……理沙いい奴だったしさ」
「ふーん。へー、そう」
にやにやする萌絵は探るような目を向けてくるけれど、こちらが本気でこの話題を嫌がっているのを悟ったら無理には踏み込んでこない。
「まあ理沙も就職したら実家には引っ越し先も教えないつもりっていうから、それで幼馴染とも縁が切れるんじゃない? それでもまた追っかけてきたら圭司に手を貸してもらうかもしれない。でも理沙が気に病むようなやり方は駄目だからね」
萌絵と理沙のことについて話したのはそれきりだった。卒論だの就活だのとお互い大学生活が忙しかったのもあり、しばらく萌絵とは疎遠になっていた。
久しぶりに連絡がきたのは、就職してすぐの頃。萌絵はたまたま理沙の就職先と同じビルにある会社に就職したと報告を受け驚いた。
「落ち着いたら理沙も誘って飲みに行く? 圭司も会いたいでしょ」
「あ、ああ、まあ。そうだな」
高校生の時に始まらずに切れた縁だったはずなのに、思いがけずつながりができそうで思わず言葉に詰まる。
今更どうこうなろうという気はないし、理沙にすれば自分は顔を覚えているかも怪しい元同級生だ。
トラウマはもう大丈夫なのかとか、俺が会っていいのかなどと色々聞きたかったが、動揺しているのを悟られたくなくてその場は適当に流して終わらせた。
だがそれから萌絵から飲みの誘いはなく、単なる社交辞令だったのかと思いその話は日々の忙しさに紛れて忘れてしまっていた。
萌絵からの連絡もしばらく途絶えていたが、ある日仕事終わりに彼女から着信があった。
メッセージではなくいきなり電話なのは珍しいなと思いながら出ると、完全に酔っ払った声が聞こえてくる。
『あー! 圭司―? えっとさー! 頼みたいことあるから今すぐ来てー! 今すぐだよ! うちらねー今……』
任されていた案件が終わって一息ついていた時だったから酔っ払いの戯言に付き合ってもいいかと思えるだけの余裕があった。
呆れながらも彼女の指定した居酒屋に向かう。
これが圭司の人生をひっくり返すことになるとは、この時は全く思いもしないまま。