オーバリーとファロピアン。
奇譚<六員環——宵闇の鴉と暗闇の女王達>で語られた蟻の女王の名だ。
神に穢され身をやつした双子のエルフは人の手から逃れ、<名もなき聖域>へ足を踏み入れると禁忌の術を見出した。その禁忌は遍く命を魅了し下僕とする強欲な秘術。それは世界の理に触れる者だけが許された特権。下賤の身では、すべからく扱えぬ秘術。触れてしまえば呪いと同義だった。
世界の理は、その資質を持たない——神ではない者の命を弄んだ。
狂おしく頭に流れ込んだ智慧の濁流は、身を寄せ合い震え上がった二人の身体を変貌させる。互いの身体を寄せあった二人の腰から下は一つとなり、砂漠に巣食う蟻のものとなった。世界は囁いた。無数の蟻を従えその世界の女王になれと。
地下深くに潜った女王達は、砂漠を行き交う商人に旅人、戦士、あらゆる人々を時には強奪し、時には美しい姿で惑わせ誘い込み、そして喰らったのだ。
その女王達の奇譚では<宵闇の鴉>手により屠られたと語られた。
しかし——。
※
野伏は力の限りそこを駆け抜ける。
駆け抜けるそこは、オーバリーとファロピアンが云った子宮の化け物が鞭を振るう何本かの触手の上だ。
身体を可能な限り低く前のめりに駆けるその姿は豹のようだ。
短剣を握った左の拳を器用に触手へ当てがいながら均衡を保ちぐんぐんと駆ける。
触手が上下してもお構いなし。驚異的な推進力で触手にへばりつくアドルフは、眼下をやはり駆けるアッシュへ「こっちは僕が!」と叫び、声をかける。アッシュは「わかりました!」と、振り抜かれた触手をヒョイと飛び越え身体を捻る。それに合わせぶった斬られた触手が、敷き詰められた骨を飛散させながらバタバタと跳ね回った。
アドルフが走った巨大な触手。今度は左右に斜めへ勢いよく動き始める。
器用にアドルフは動きに合わせ隣の触手に乗り移ったり、少し下に蠢く触手へ乗り移りを繰り返し、本体を目指した。
次第に表面が露わに見えてくるところまで近づくと、アドルフは「本当に悪趣味ですね」と吐き捨てた。
子宮の化け物の表面の凹凸は——皮膚と呼んで良いかどかもわからないが、ともかくそこに埋め込まれた何十、何百の人体であった。両手両脚、下半身は腰まで丸々とそれに埋め込まれ、そのどれもが衣服を着ない裸の姿だった。目は閉じられ双眸から血を流し、髪の長いものはそれを下に垂れ流している。
近づいて来た野伏に反応をした化け物は、おそらく頭上といって良いそこにギロリと剥き出した単眼をこちらに向ける。
すると、埋め込まれた人々は垂れた首をもたげ目を閉じたまま口を大きく開き地獄の絶叫を放った。
※
アッシュは頭上で繰り広げられる触手の応戦を目にしながら、いつの間にか元通りになった王座へ座ったオーバリーとファロピアンに向かって駆けていた。
くたびれた王座にふんぞりかえる二人は、それを楽しそうに眺め互いに顔を寄せ合い、何かを嘲笑う。頭上で絶叫が響き渡ると、化け物の下腹部らしきそこから今度は腐臭の風でも、白濁とした粘液でもなく、無数の
それは、産まれ落ちると骨の絨毯に思い思いに手を突っ込み引き上げると、剣やら槍やら斧やらを掴んだ。
無数の
一方はアッシュへ、一方はエステル達の方へと全速力で駆けて行く。それにアッシュは「エステル!」と絶叫するのだが、エステルはそれに「大丈夫だから!」と声を挙げた。ブリタが張り巡らせた<障壁>の内側から、やはりブリタから借り受けた<魔力の弓>を構え、どんどんと
アッシュはそれに感嘆の声を漏らし「はい!」と答えると、群がってきた
※
狂気の絶叫に片目を瞑ったアドルフであったが触手が大きく波を打ったのを感じると意を決しその場から飛び出した。あらん限りの力で触手を蹴り付け前方の単眼に向かって跳んだのだ。
宙で身体をかがめ、力を溜め込む。
血走った単眼が迫り来る。いや、アドルフが迫っているのだが、そんな錯覚を覚える。それほどに肉塊は巨大なのだ。アドルフはそこに黒鋼の二振りを突き立てるため、器用にくるんと短剣を握りなおす。
※
宙を舞ったアドルフの姿に目を見開くが、手も脚も止めている暇はなくただただ虚しく「アドルフ!」と名を叫ぶ。
オーバリーとファロピアンは王座を立ち上がり何かを叫んでいるが、
※
化け物の単眼で蠢く黄金の瞳が狂おしく動き回る。
それに呼応した無数の触手がアドルフを目がけて襲い掛かろうとする。時は引き伸ばされ、何もかもがゆっくりと流れていくように感じられた。
だからなのか不思議とアドルフは心に余裕があった。左斜め上から叩きつける触手、直下から突き上げようとする触手、右斜め下からすくいあげようとする触手、その全てが手に取るようだった。
そして——。
※
無数の
無数の
<障壁>が剥がれそうになると、それを上書いていくブリタ。
三人は上空で繰り広げられた死闘に息を呑んだ。ぬらりとした乳白色の触手達が宙の野伏を呑み込んだのだ。
アドルフ!
三人が同時に声を張り上げた。
目の前の脅威から目を逸らすことはできない、だが自分達ではどうにもできない。それに頭が真っ白になってしまう。
「お前ら!」
絶叫をしたアッシュは、懐に手を滑らせると、そこから丸薬を口に放り込み勢いよく噛み砕く。頭の中で何かが弾けた感じがした。それはアドルフが、いざという時の為に渡してくれていた<野伏の丸薬>だった。ブリタはそれを、本当に生きるか死ぬかの場面でしか使ってはならないと強く云っていたが、それはきっと今なのだ。
視界から色が失われていくと、全てのものの動きが緩慢として見え、脈打つ鼓動が身体中に力を漲らせるようだ。感覚は研ぎ澄まされ、数刻先の全ての動きが手に取るようだ。
今やアッシュの黒瞳は蒼く輝き、瞬く間に
「
「宙は未だ帷の半ば——」
数匹の
「
エステルは魔導師であったが、借り受けた<魔力の弓>の扱いには慣れていた。それだけは、実家での訓練の日々に感謝をしている。ともかく幾つもの
その全ては
「其れは我が願い我が渇望」
上空で再び狂気の絶叫が上がった。
それに、先ほどまでアドルフの姿があった宙を三人は見上げた。するとどうだろう気味の悪い乳白色の触手がどす黒い鮮血を噴き上げてバラバラに刻まれ、地に堕ちていったのだ。
その中から飛び出したアドルフは勢いを殺すことなく身体をくるくると回転させると、遂にあの狂った単眼に黒鋼の短剣を突き立てたのだった。
王座の前に立ち尽くしたオーバリーとファロピアンは同時に、両手で顔を覆い隠しあらぬ絶叫をあげ王座に身体を投げた。
「其れは命の刃が切り裂く永遠なり」
それと同じ刻だった。
<言の音>を紡ぎ終えたアッシュは狩猟短剣の刀身に手を当て静かに横に滑らせていった。するとどうだろう刀身の何倍もある蒼緑の光が絡みつき、噴き出していたのだ。
単眼に突き立てた二振りへ、思いの限りの体重を乗せたアドルフは、そのまま切り裂き醜い肉塊を降っていくのだった。
「アッシュさん!」
研ぎ澄まされた刃に斬り裂かれ断末魔の声を挙げていく肉塊に埋没した人々。その返り血を浴びながらアドルフは降っていく。そして、蒼緑の魔導の刃を構えたアッシュの名前を叫んでいた。
(いつの間にあんな術を)
アッシュはアドルフの声を聞き届け、彼が骨の絨毯に足を下ろしたのを見届けると、静かに狩猟短剣を横に振り抜いた。
「振り抜くは永遠の蒼緑と虚無の
武技幻装。
それは武具の能力を補助する魔導だ。堅牢さを増す、鋭さを増す、矢に神速を与える。そう云ったものだ。しかし、それは数多くの戦場で
ではその真髄とは——自身の魔力をも武具とし練り込み研ぎ澄ますことにある。幻を纏いて敵を裂く。優れた幻装使いとは、どんな名匠が打った刃よりも鋼よりも鋭く堅牢な武具を持ち合わせているのと同じなのだ。
そして、アッシュが放った刃。
それは究極の魔導の刃。
宙を斬り裂き、世界の理を魔導で捻じ曲げる狂気の奔流。
真髄を超えた禁忌。
薄暗い広大な大広間を取り囲むように描かれた一本の蒼緑は静かに宙を斬り裂くと、瞬く間の時間を止めたのように感じた。断末魔の声を挙げた肉塊の化け物も、女王達も、地で踠き苦しむ
一本の蒼緑が糸の細さにまでなると、景観が僅かだがアッシュ達の目の前で
巨大な肉塊は叫びをあげながら瞬時に吸い込まれ、
※
「アドルフ、無事でよかった」
片膝をついて肩で息をしたアッシュは、駆け寄ってきた野伏に顔をあげ笑って見せた。本当にこの野伏は逝ってしまったのではないかと思ったのだ。だから激情し、全てを破壊しようと思ったのだ。だが、彼が自分の名を呼ぶ声を耳にし我に返った。
「あんな禁忌の術をどこで?」
アッシュに手を差し出し、立ち上がらせるとアドルフはこの規格外の魔導師の胸に軽く拳を当てた。アッシュは、それに微笑むと「館の書庫で見つけた
「
「ええ、トルステンさんから目を通してみてくれと」
「なるほど」と、アドルフはその答えに幾許か怪訝な表情をしてみせたが直ぐに切り替え「でも、よかったです。丸薬も役に立ちましたね」とアッシュに笑ってみせた。
「まだ終わっていないようですよ」
<障壁>を展開し続けたブリタであったが、流石の狩人、魔力の欠乏には陥っておらず疲労困憊のエステルに肩を貸しながら野伏と魔導師の元に合流をした。そして、青い池の小島、くたびれた王座を指差した。
はたしてそこに在ったのは、下半身を失ったオーバリーとファロピアンだった。
二人は折り重なるように王座の前で寝転がり、上になったオーバリーがたった今、ごろんと転げ落ちた。そして、ぶちまけられた臓物らしきものと血溜まりの中で腹ばいに、こちらへ顔を向ける。
※
「嗚呼、アッシュ・グラント。また合間見えられるとは思いもしなかった。だけれども、あなたは子供達の只中であなたの存在を、あなたの光を、あなたの闇を灯してくれた。だから私達は願ったの。この穴倉にあなたがやってくることを」
おそらくファロピアンはもう息絶えている。
オーバリーももう直ぐにその後を追うのだろう。
四人は満身創痍の身体に鞭を打ち王座までやってくると、六員環の一つを悲哀の表情で見つめていたのだ。オーバリーはそれを嘲笑うように「下賎な人間め」と吐き捨てたが、アッシュの顔を見ると態度を一変させたのだ。
「あの刻、僕の意識に割り込んできたのはあなた方ですか?」
アッシュはその場に跪きオーバリーへ訊ねた。
エステルは「アッシュ、危ないから」と小さく云ったのだが、アッシュはそれには答えなかった。
「割り込んだ?」オーバリーは良く見れば綺麗な顔立ちを——伝承に聞くエルフの儚げな美しさだ——少しばかり歪め、跪いたアッシュを見上げた。
「ええ、なんで私を助けてくれないのかと語りかけてきたのは——」
「いいえ、それは私達ではない」
オーバリーは見上げるのが苦しくなったのか身体を仰向けにする。
綺麗な髪は自身の血に塗れ、顔も、身体も何もかもそうだった。アッシュはそれを悲しそうに見つめている。オーバリーはアッシュの問いを否定すると「そんな顔をしないで」と小さく云った。
「そうですか、なら良いのです」アッシュはそれに怪訝な表情を浮かべた。
「私達はあの刻、あの砂漠の穴倉であなたに殺され呪縛を解かれたはずだった。でもね、私達が触れてしまった禁忌の呪いはそれを許してくれなかった。なんでだかわかる?」
「すみません、僕は過去の記憶を一切失ったから——」
「そう。それは残念——私達は蟻の女王となってあなたに殺してもらったのよ。それで許されると思ったの。でも違った。禁忌の呪いは、それ自体が私達の一部となって世界に在り続けることを定めていたの。私達が望んだ羨望は、強欲で、そしてそれは呪いによって成された。自ら害悪を産み続け——あの刻は蟻で、今は
オーバリーは所々、呻き声をあげながらそこまで話すと、血塗れの震えた右手でアッシュの頬に触れて優しく笑った。
「今は安らかに逝ってください。死はきっとどんな人にも——平等に安らぎが与えられる最後の機会です。あなた達が犯した罪は消えないのでしょう。でも、それは僕が——」
「心優しい鴉。それ以上はいいわ。それ以上言葉にしてしまうと、それはきっと呪いになる。そう——最後に私達の本当の名前を知っておいて。私はアグラリアン、双子の妹の名はアンダリエル。私達の眷属にもし会うことがあるのならば、この名前を伝えてちょうだい」
「わかりました——必ずや」アッシュはアグラリアンの右手へ掌を重ね目を瞑った。
「アッシュさん、その化け物は——」
ブリタはアッシュのその言動に不快を隠そうともせずに云うのだが、アッシュはそれに静かに「ええ、わかっています」と答えるばかりだった。
「アグラリアン、聖霊の原でまた会いましょう」
「ありがとう、心優しい鴉。聖霊の原で待っているわ」
最後に微笑んだアグラリアンは、妹の身体に手を触れ静かに目を瞑った。
そして、身体から次第に湧き出てきた緑色の粒子に色濃く包まれた二人は、それが霧散するのと共に姿を消して逝った。
※
その後、四人は大広間を歩き回り生存者の痕跡を探したのだが殺伐としたこの景観は、
アドルフの見解によると、きっとこの白骨は人間のもの
恐る恐る池の中を覗き込んだ四人は、そこに沈む皮の
エステルは口を手で押さえそこから逃げ出した。
「なんて酷い」ブリタは口に手を当てはしたが、目を逸らさずまじまじとそれを見て一言そうこぼしていた。
恐らくあの肉塊は触手をどこまでも伸ばし人や
「なんで今まであの女王は、狩人に狩られなかったのですかね?」とアッシュは素朴な疑問を口にした。アドルフはそれに「僕もそれが気になったのですが、恐らく普段は三階層への階段は閉ざされていたのではないかと思います」と答えた。
「というと?」訊ねたのはブリタだった。
「——ええ、これまでは二階層のあの小ホールに溢れかえっていた
「でも、女王の話は?」とアッシュ。
「そうですね、それは
「なるほど、だからあの奥には行かなかった。いや、隠し階段があることすら分からないから——」
「ええ、見逃してしまっていたのでしょうね」とアドルフは肩を竦めた。
(第三階層があること——それは、よしておきましょう)
※
アッシュ達は池の中に放り込まれた遺体の数々を、小島に引き上げ綺麗にそれを並べてやることにした。皮は捲れどれが誰だかはもう分からない。それでも、この後にやってくるイラーリオ達の為にも、この累々の遺体達の為にもそうしたのだ。
それを遠くから眺めたエステルとブリタは「なんで、あそこまでやる必要があるのですかね」と訝しげに、半ば待ちぼうけを喰らったことへの文句を云い合い、その場の如何ともし難い空気を紛らわせた。
アドルフ曰く、この池の水に長い時間触れない方が良さそうだとのことだったので、アッシュはカミルから模倣をしていた術式を展開すると、遺体の一つ一つを人と
「アッシュさん、こんなところでこんなことを訊くのはおかしいと思うのですが」
「どうしたのですか改まって」
「ええ、率直に訊きますがエステルさんのことをどう思っているのですか?」
「え?」
「いえ、この先しばらくの間、離別することなるじゃないですか」
「ああ、そのことですね」
「はい」
「僕はまだ気持ちの整理が付いていないというのか、自分がどうあるべきかとか、そういった確固とした何かを持ち合わせていません。アドルフが何か心に抱えているような強い想い、そんなものもありません」
「ええ」
「でも——」
「でも?」
「でも、エステルを失いたくないという気持ちはハッキリしています。それが、皆さんの云う、嗚呼、リリーさんの云う愛だとか恋だとか、そういうものなのかは分かりませんが」
「そうですか。だったら早く色々と片付けてしまいたいですね」
「ええ。でもなんで今そんなことを訊いたのですか?」
「ああ、ごめんなさい。ほら向こうで話している二人を見たらなんとなく訊いてみたくなって」
何故だかアドルフは最後の方を濁して答えると「変なこと訊いて、ごめんなさい。<監視所>へ報告に?」と話を逸らしたのだった。
※
「だからこれは水だと云ってるじゃねぇか! しつこい奴だな。そんなんだと女にもてねぇぞ、おぅん?」
顔を赤らめたグラドが街道沿いの宿場町で、昼日中からクダを巻いていた。
シラク村へはまだまだ時間がかかりそうだと、グラドはこの宿場町で宿をとり宿泊をしたのだが、翌日、つまり今朝方に南の<亡霊塚>で騒動が起きたのだと近辺の宿場町へ早馬が走り足止めを喰らっていたのだ。
大規模な地鳴りと揺れは確かにグラド達が宿泊をした宿を揺らしていたのだから、その情報は確かなのだ。だからミラは安全になったら出発しようと云ったがグラドはそれを聞かなかった。そして、当然といえば当然だが、宿場町を出ようとしたところで、門番に声をかけられたのだった。
宿場町で珍しい酒、いや水を見つけたのだと云い、それを買い込んだグラドはまさか朝からそれを呑み干していたものだから、門番との問答に支障をきたしている。
「だからな、ここから南には行くなって云ってるんだよ。塚から溢れ出た
「おうおうおう。お前、この娘がただの娘だと思うなよ——」
「ちょっと叔父さん!」と、この酔っぱらいが何か変なことを云う前にミラはそれを阻止した。
「お嬢ちゃんも云ってやってくれよ。あんた達のために忠告しているんだ」
「ごめんなさい門番さん。ちょっとお酒を呑みすぎちゃって——」
「ミラ! これは違うぞ、水だ水!」
「わかったから、もう黙っててよ——ところで、
「ああ、酔いが覚めたらお父さんにも云っておいてくれ——え? お父さんじゃない? まあ、いいか。でな、クレイトンの南にある<亡霊塚>っていう大きな墓があるんだ。そうだ大十字路の近くだ。よく知ってるな。そこは大昔<精霊塚>って呼ばれていたんだが、いつの頃からか
※
結局ミラが門番との話をつけ、南ではなく西に向かい、シラク村へは北から行くことを伝えた。その際に門番は「マニトバの野伏達も騒がしくなってきているし、シラク村もそうみてぇだから気をつけて行けよ」と最後にもう一度忠告をしてくれた。それにミラは「ありがとう、優しい門番さん」と小さく足を折って礼をすると、門番はミラの可憐さに顔を綻ばせ「どういたしましてお姫様」と略式の敬礼をしてみせた。
「お父さん今頃どこを走っているんだろう。この街道を行っていれば、もしかしたら会えると思ったのにね」とミラは横でブツブツと何かを口にしているグラドに話しかけたのだが、どうだろう、いつの間にかこの酒樽は馬の上で酔い潰れたようでミラの言葉は耳に入っていないようだった。
「もう、この旅が終わるまではお酒禁止だからね」とミラは口を尖らせた。
「違うぞ! ミラ! これは——」
グラドは何故だかその言葉だけには敏感に反応したが、云い終わる手前で馬の首に手を回し、器用にそのまま突っ伏してしまったのだ。よくよく不思議なものでグラドはこうやっていても馬から落ちることはないのだ。
「水なんでしょ? わかってるわよ、おばさんに云いつけるからね」
ミラはその姿にケタケタと可愛らしい笑い声をあげていた。
6_Let yourself go, Let myself go _ Quit