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第43話 猫の気まぐれ


 少し呼吸を整えてから、唯舞いぶはそっとピンクのスマホを封本の上に重ねた。



 「これは、アイザワミクさんが書かれた本でした」

 「……失礼ながら。もしやアーサー様はその異界人と面識でも?」



 アーサーの様子からそう判断したアヤセが問えば、彼はゆっくりと首を振る。



 「いや、直接面識があるわけではないんだ。ただ、彼女のことは……カイリ達から少し聞いていたからね」



 昔のことだよ、というアーサーにアヤセが反応を示す。

 エドヴァルト達がリドミンゲル皇国にいる異界人と接触していたなんて、聞いたこともない。

 そんなアヤセの心中を察したようにアーサーは小さく苦笑した。



 「あの時の君はまだ14歳の士官候補生だっただろう? 知ることもなかったはずだよ。それに、カイリ達が彼女と接触していた事実は完全に抹消されて記録には残っていない。だから、これ以上私の口からは何も言えないんだ。存在しない……記憶だからね」



 すまない、と謝るアーサーに、唯舞は首を振ってから再度手元にあるスマホに目を落とす。

 彼女ミクが遺した想いなら、きっと、まだこの中に眠っているはずだから――


 話の途中、報告の知らせが入ったアーサーが一時退席し、その隙に唯舞はスマホの電源を入れてみた。

 見た目は綺麗でも13年前のスマホだ。はたしてちゃんと動くのかが心配だったが、電源と同時に画面に光が灯り起動を始める。

 それを横目で眺めていたアヤセが、ぽつりと呟いた。



 「……保存だな」

 「え?」

 「それにはかなり高度な状態保存の理力リイスがかけられている。……ちなみに何なんだ? ソレは」

 「あ、えーと。これはスマートフォンといって、この世界でいうこのバングルと同じようなものです。すごく大事なもので……私のも宿舎にありますよ」



 アヤセが分からないのも無理はない。この世界では電気ではなく理力リイスを使用するので、電話だけならピアスやイヤリング型、多用途に使えるものは指輪や、唯舞達の持つブレスレットのような装飾型の機器が主流なのだ。

 だが、その保存の理力リイスのお陰で、13年経った今もこのスマホは問題なく動くのだと、動き出した画面を眺めながらも唯舞は納得する。


 起動を待つ唯舞に意識を向けつつ、アヤセはコーヒー片手に静かに口を開いた。



 「ならばお前のものも保存をかけた方がいいな。……思い出でも、多少の慰めにはなるだろう」

 「――! ……ふふ、レヂ公国に来てからの中佐はなんだか優しいですね」

 「…………優しくないほうが好みなら合わせるが?」



 調子が狂うとばかりに少し不機嫌そうなアヤセに唯舞は小さく笑った。

 ミクにとってこの世界がどう見えていたかは分からないが、唯舞にとっては恐ろしくも優しい世界なのだ。



 「しかし、そんな大事なものを手放してまで封本にするとは……余程のことでもあったか」

 「…………分かりません。ただ詳しくはこのスマホ……えと、このスマートフォンのことなんですけど、詳しいことはこっちに残すって書いてありました」



 そうか、と考え込むアヤセには言えなかった。

 恐らく彼女ミクが、封本という特殊な製本を利用して、さらにイエットワー人には分からないようローマ字で次の異界人に向けてメッセージを残したということを。


 そんなことを考えながら、何となく意識が沈みそうになった、その時。


 ぞわり、と得体のしれない何かが足元から這い上がる感覚に唯舞の体が大きく震える。



 「……どうした」



 アヤセの問いに、浅い呼吸を吐いた唯舞が再度小さく体を震わせた。

 無理やりどこかに引きずりこまれるような、大事な何かが奪われるような、とても嫌な気配だ。



 「……い、え。ちょっと……変な感じがして。……すみません、大丈夫です」

 「…………」



 隣に座っていたアヤセが何も言わずにカップを置く。

 半歩分ほど距離を詰めたところで唯舞の額に手を伸ばしてきたので、思わず唯舞も首を傾げた。



 「……中佐?」

 「黙ってろ」



 距離にして30㎝。まぁまぁ近い気がするが、とりあえず唯舞は大人しくアヤセの言うことに従った。

 相変わらず中佐は綺麗だなぁとぼんやり彼の顔を眺めれば、嫌な気配が消えて、代わりになんだか体中がポカポカと温かい。



 「……?」

 「軽く体内に理力リイスを流した。リラックス効果もあるからもう大丈夫だろう」



 そういうとアヤセはまた半歩分距離を取る。

 そんなアヤセの様子を物珍しげに眺めつつも、唯舞は、そうか、と一つの結論にたどり着いた。



 (……懐かない猫みたいなんだ……)



 どこか触れづらいのに、でも、気付けばそばにいる。そう思えばアヤセの言動がちょっと可愛らしくて。

 唯舞がありがとうございます、と素直に微笑めば、アヤセにはそっぽ向かれてしまった。

 彼は猫のような人だから、もしかしたら可愛いと思ったのが伝わってしまったのかもしれない。



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