「ところでその本の中身は見たのか?」
「……そういえば……まだ、です」
正しく言えば、本を露店の店主から貰った後に引きずられるようにアヤセに連れられて襲撃に遭ったのだ。
中身を確認する時間も、余裕さえもなかった。
アヤセに促されるまま何気なしに本を開こうとして違和感に気付く。
どうやら、これはただの"本"ではなかったらしい。
紙部分はわずか数ページで、残りの大部分は真ん中が箱状にくり抜かれていて一台のスマホが収められている。今どきのものよりもかなり小型で、恐らくは10年以上前の発売初期のものかもしれない。
唯舞は収められていた派手なピンク色のスマホを取り出すと、ページを戻るように一番最初の項を開いた。
最初のぺージに書かれてあったのはローマ字書きの名前だ。
「……なんだ、それは。文字なのか?」
覗き込んだアヤセにそう言われて、読めないのだと唯舞は気付いた。
この世界は、日本語で文字を書いたらこの国の言葉に変換されるような不思議な世界だというのに、ローマ字だけはアヤセもアーサーも分からないと首を振る。
それを知って、何だか少しだけ背筋が震えた。
なぜローマ字だけが言語変換されないのか……でも、もしもこの本を残した作者がそれを知った上で、あえて日本語ではなくローマ字で書いたというならば……
(……この世界の人には知られたくない何かがある)
唯舞は少し戸惑いながらも次のページをめくる。
書いてあるのは一ページ目と変わらずにローマ字だけだ。
(――
続く文章を、唯舞は心の中で慎重に読み進めていった。
作者に隠したい意図があるのなら今は言葉を口にするわけにはいかない。
リドミンゲル皇国で"聖女"と呼ばれるだけあって、メッセージの主もどうやら唯舞と同じ女性のようだった。
《私の名前はアイザワ ミク。2012年にこっちにきた18歳。この本を読んでいるということは、きっとあなたもこの世界に召喚された日本人だと思うんだけど、合ってるかな》
(……ミク、さん)
可愛らしい文体から覗く、自分以外の日本人の証。
ローマ字書きで書かれるとかなり読みにくさを感じたが、それでも唯舞は言葉をなぞるのをやめなかった。
伝え聞く限り、彼女を含めた聖女全員がすでに
《私は高三の、卒業間近の時にこの変な国に来たの。でもいきなりすぎてほんとびっくり。それ以降はなんやかんやで、聖女、って呼ばれてるんだけど……》
話の内容的に恐らく彼女は唯舞と違ってリドミンゲル皇国にちゃんと召喚され、聖女として扱われていたらしい。
だが、卒業を控えていたとはいえ、まだ18歳の少女が見知らぬ世界に転移させられたなど唯舞以上に不安な思いを抱えていたに違いない。
《最初はお姫様みたいってはしゃいでたんだけど、最近はちょっと、色々としんどくて……。このまま手書きだとさすがにキツイから、続きはスマホに残すね。パスワードは元旦。日本人なら……分かるよね?》
その言葉を最後に、ローマ字が続くことはなかった。
「……何か、わかったかい?」
唯舞が読むのをやめたのを見計らったようにアーサーが声をかけてきたので、唯舞は静かに本を閉じてスマホを握りしめる。
そして、意を決してアーサーに尋ねた。
「……大公閣下。少し、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「あぁもちろんだ。何かな?」
「大公閣下は…………今まで召喚された異界人の名前はご存じですか?」
この本に書いてある名前。それが本当に過去召喚された日本人なのかを確認するための問いだったが、それに対しアーサーは少しだけ目を見張り、思案げに足を組みなおした。
「そうだね……私が知っているのはサチさんという女性だ。彼女は初代聖女として有名だからアヤセ君でも名前は知っているだろう。だが、それ以外の異界人というと……うん、そうだね……」
言い淀むように、苦い顔をしたアーサーはため息交じりに指を組む。
「後はもう一人、13年前に召喚された異界人。――アイザワミクさん」
「!」
初代聖女のサチというのは恐らく
そしてリドミンゲル皇国に分からないように、なによりこの世界の人間に分からないように未来の日本人に向けてメッセージを残した封本の作者こそ、高校三年生でこの世界に召喚された、